「なにも知らない」瞑想

この瞑想は恐れや焦りといった
ありもしない妄想を引き離し
深いリラックスに包まれるようになる

日頃からこの感覚を備えることで
人生から不幸を消滅させ
また無限の可能性を作り出す素養が
あなたのなかにできあがる

瞑想

  • いま体が感じてること以外「何もわからない」ことを認めてみる

視界はそこにあるし
音も聴こえる
肌が触れる空気の感じ
口のなかの味
鼻腔には微かな香り

それらは確かにここにある
それらをじっくり感じてみる

ではそれ以外は?
それ以外ってなんだ?

自分の後ろの光景
閉じたドアの向こう

家族がいま何やってるか

何も知らない
何もわからない

ここにないものは何もわからない
あの事はいま何もわからない
ここにないものは何も知らない
あの事は何も知らない

何も知らない
何もわからない

本当に知らないのだ

知ってるつもりでいたのは
妄想なのだよ

ベッドに横たわって
体を伸ばしてくつろぎながら
その未知の漆黒に包まれてごらん

何も知らない
何もわからない

体が縮んでいく感覚が起こるなら
それに任せてみる

歩きながら
仕事しながら
誰かと会話しながらでもいい

何も知らない
何もわからない

食べているときも
トイレのときも
なにをしていても

何も知らないという無に
包まれていることに気づきなさい

人生とは奇妙なものだと
初めて気がつくだろう

私もそうだし
世界中のすべての人もそう

本当に何も知らないのだよ

 

知らないということを知る

無に包まれようとするとき
突然闇に放り出されたような
感覚になる

ゆえにホームシックな気分に
陥るかもしれない

だけども帰る場所なんて
知らないことを知りなさい
知らないと知っていることが
己の居場所なのだ

ならばその静寂に
溶け込むことができる

どんなに賑やかでも騒がしくとも
静寂は背後にずっとあった

あなたをずっと包んでいた
だから今度はあなたから
そこへ溶け始めていこう

どんどん沈み込んでいく

とても静かなところへ
知らないという安息の境地へ
つまり未来や過去のない
時間の止まった次元へ
あなたは到達する

現実はただの夢となる

 

瞑想
  • 体を感じる
  • それ以外は何もわからないことに気付く

 


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コメント・質疑応答

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  1. tiktak3926 より:

    自分さんに質問です。
    ここ最近自分の体の中に意識を向けて生活しているのですが、不意に周りの物や音なんかと距離ができるというか、間に空間ができたような感じになるのです。
    これが瞑想という物なのでしょうか?

    • tiktak3926 より:

      質疑応答で質問しちゃいけないのですか。笑
      私にはわからない。
      私はなにも知らない。

      まだまだ反応で生きているようです。

    • -自分- 涅槃 より:

      tiktak3926さん

      >不意に周りの物や音なんかと距離ができるというか、間に空間ができたような感じになるのです。

      よろしい。あなたがこれまで物や音だと感じていたのは、外の何かではなく己の「思考」だったのだ。つまりそこに物が見えていると「考えていた」、音が聞こえていると「考えていた」わけだ。考えるためには意識を外に注がなくてはならなかった。

      だがあなたがそのエネルギーを留保することで、そこに物や音はあるけども思考はそれらについて幻想を作り出さず、ただあるがままに外の世界を感じているということになる。それが距離が作られたということであり、そして瞑想となる。

      つまり散々自分を悩ませてきたのは世界そのものではなく、世界を面倒なものに作り替えて見せていた思考なのであり、その思考から距離を置くこと(自分が思考ではないと知ること)で一切の苦悩から放たれ、そして自由自在な生を歩み出せるようになる。

      なぜ自由な生となるのかといえば、思考を道具として扱えるようになるからだ。

      >質疑応答で質問しちゃいけないのですか。笑

      色即さんのは禅問答のようなものだ。大事なのは「それが何か」ではなく「自分はどうであるか」だ。老子は道徳経で「タオは言葉で語られるものではない」という真理を1ページ目からさっそく言葉で書き始めている。すべては偉大なるジョークなのだよ。

      世界を自由に歩むことだ。

    • tiktak3926 より:

      全ては偉大なるジョーク。笑
      気に入りました。
      もっと楽に生きていいんですね。
      ありがとう!

  2. buruku10 より:

    思えば常に何かを掴もうとしていました。

    そうすれば良い気分になれて、幸せになれると
    ずっとそう思ってきたからです。

    でもそうやってたまたま掴めた幸せである一瞬は
    掴めていた時には自分はいなくて

    気づいた時にはもうなくて、
    残るのはそれに執着している自分だけでした。

    僕の中の正攻法は全部試しました。
    僕の中の常識では限界が来ていてどう進んでも
    不幸にしか繋がってません。

    最近は必死に掴もうとしていた理想も
    少しどうでもよくなってきました。

    そんな物の為に今これだけ苦しんでいるのなら
    割に合わな過ぎると感じます。

    毎日心臓はバクバクするし汗もかくし
    動悸は酷いし頭痛もするし、
    それだけ必死に何かを掴もうとしているみたいです。

    何も掴まなくていいから楽になってほしいと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      buruku10さん

      >何も掴まなくていいから楽になってほしいと思います。

      何も掴まなければいいのだ。人々が行き交う街のなかで「誰もいない」世界を歩くことだ。会社でもそう、どこでもそう、あなたが見ている人々とは実在のものではない。あなたが人について考えているだけであり、その思考を見ているだけなのだよ。

      もちろん人だけじゃない。あなたが背負っている荷物はすべて幻なのだ。それを見破りなさい。

      あなたは自分と同じ荷物を背負っていないひとを羨ましく思うだろうけども、思考の夢のなかにある以上、誰になったところで同じ重さの荷物を背負うことになる。これは重要なポイントだよ、思考が見せる表象が違うだけで苦悩というのは共通した同じ質なのだ。

      あなたがモデルのような容姿で不自由のない裕福な家庭で育ったところで、異性に振り回されて早々と命を絶つかもしれないし、友人も誰もが自分を利用しようとして集まってきているだけだと信じてしまい一歩も外に出られなくなるかもしれない。実際にそういう人はたくさんいる。

      だから私はあなたに対して言っているのと”同じこと”を、彼らにも言う。この意味を理解することだよ。そうして己の世界観から抜け出すことだ。

  3. 色即みっちゃん より:

    なにも知らない瞑想の話しに…。

    何を質問するのだろうか…。

    依存体質のほかにならない…。

    まず…。

    物事の内容は自分で吟味して、
    尚且つ実践してからでなくては判断できない…。

    吟味も実践もなく安直な質問は、これは向上心からのものではない…。

    堕落だよ…。堕落…。

    依存体質を捨てないと…。

    君は君のままだよ…。

    • 色即みっちゃん より:

      瞑想とは…。

      覚醒とか、その現象とかは…。

      どうでも宜しい…。

      たんなる、それを表現する手段がそれしかないからだよ…。

      いつまでも悩んでないで、それを超える心構えを持ちなさい…。

      そろそろ皆で上にいこう…。

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん

      >なにも知らない瞑想の話しに…。何を質問するのだろうか…。依存体質のほかにならない…。

      たとえばこれはどうかね。確かに「何も知らない」という話だが、自分が「知らない」ということを知っているわけだ。ここは大事な点だよ。

      つまり質問する者は、質問していることに気付いていなければならない。「質問しているという姿」がすでに答えであるのだ。なぜ質問が生まれるのか、それは質問すべき穴を掘り出したからであり、それは穴を掘ったことでそこに穴があるということなのだ。

      どんなことであれ質問に対する答えというのは、決して穴を埋めることはない。穴を埋める方法はただひとつ、穴を掘ったから穴があるということを知ることにある。

  4. 匿名 より:

    色即みっちゃんさん

    僕に対するコメントではないと思いますが、

    なにも知らない瞑想の話しに…。
    何を質問するのだろうか…。

    なるほどと思いました。

    いつまでも悩んでないで、それを超える心構えを持ちなさい…。
    そろそろ皆で上にいこう…。

    その通りです、心構えを持ちます。

    • 色即みっちゃん より:

      此処には色々な思考が渦巻いている…。

      主に悩みだよね…。

      その根底に共通するものがある…。

      それは求める心だよね…。

      悩みとは別に自身の目が曇る時もある…。

      それは利己心と虚栄心だよ…。

      他人を見るだけでは駄目で…。

      常に自身の心も分析しないと駄目なんだよね…。

      俺自身は「求めるな」と言っているけど…。

      それからの俺自身の生活の何が変化したかには、
      述べるつもりもないよ…。

      最後は自分で辿り着かないと意味はないのだよ…。

      俺は俺の世界…。

      君は君の世界…。

      涅槃さんは涅槃さんの世界なのだから…。

  5. aslan より:

    「そういえば、涅槃さんが『何にも知らない瞑想』の話してたっけな。」
    と思い出し、感覚以外の全てが何も無いと観想してたら、二年くらい顔見知りだが全然話をしなかった知人が「アスランさん、○○に行かれてるんですか?私も連れて行ってください」と突然、話しかけてきて、また物事が新たに展開していく感じですね。背中の向こう側がブラックホールか何かになっているかのような吸引力である。
    私が行くところには、必ず「何事か」が起きるので面白すぎるのである。

  6. shiy より:

    何も知らな~い!

    ふぅ~
    温泉に入った気分♪

  7. 涅槃の書-自分 より:

    shiyさん

    よい表現だ、そう「何も知らない」という”空白”に溶けあうとき、それは温泉に浸かっているような不思議な安堵にある。

    タタータさんのところでも話したが、幻想の次元と生命の次元の調和とはいかに幻想を緩めるかにあり、つまり「許し」や「受容」「寛容」や「忘却」によってこそ、己という意識の輪郭(現実の限界)は薄まっていくようになる。

  8. arai12345 より:

    「何も知らない」瞑想や、「音を観る」瞑想、四肢になる瞑想など、全ては「頭、マインドなどなかった」ということに気づき、「いまに在る」ためにやることであると考えております。自分さんが書いてくださっている瞑想は、やってみると頭がふっと無くなるような感覚になります。

    まだ私レベルでは一瞬でその感覚は止まってしまいますが、その感覚に留まれるよう、自然に身を委ねます。
    ありがとうございます。

    • 涅槃の書-自分 より:

      arai12345さん

      こちらこそありがとう。メールもいただいているね。

      >やってみると頭がふっと無くなるような感覚になります。

      よいことだ。私もあなたと同じくとても長いあいだ心が引き裂かれていた。意識はいつも心の騒動に巻き込まれ、寺や教会などいろんな場所に赴いてはとにかく心を静めようとしていた。

      オリジナルな瞑想法はその当時に私なりにノートへ残していたものだ。河川敷や公園のベンチ、デパートの屋上、文字や紙にそれらの光景と静寂が染みついている。

      やがて苦悩しなくなったのでね、だからすべて有効な技法だといえる。その時々であなたに合うものが変わってくるだろうから、いくつか覚えておいて気軽にやってみるといいだろう。

      さて、あなたは”これから”の人だね。

      だが心配しなくていいよ、どんな出来事があろうともあなたはいつも守られている。

      問題なのは「守られていること」に自ら気づいていないから、救われようと余計なことに手を出して面倒を引き寄せてしまうことにある。その面倒も自ずと片付いていくけども、そのためには、いかにそれを”許せていけるか”にある

      というのはそれを許していくというのは、自分にとってそれほどの恐怖はないからだ。自分はいつもなんらかの手を打ってダメージを軽減しようとする。だがそれは大抵裏目に出る。

      かといって、自らを抑え込んで他者や物事の言いなりになれというのでもない。

      その”微妙なところ”は手記で様々に砕きながら話しているので少しずつ読み進めていくといいだろう。決して性急にならないこと、その”焦ってしまう自分”を手放さなければならないのだからね。焦りはすべてを逃すことになる。

      はじめのうちはスピリチュアルも自己啓発も、それが人生を変えてくれる「魔法の杖」のように思えるだろうけどもそうではない。それらが教えてくれるのは、あなた自身が魔法の杖だということなんだ。

      ゆえにゆっくりでいいんだよ、いずれ理解できることを祈っているが、何年かかろうが実は時間は進んでいない。

      その意味でたとえば何かを習得したくて、しかしそれが2年3年かかるからと途方もなさを感じて除外してしまうのは人生を楽しむことができないばかりか、固定した現実を延々と繰り返すことになる。

      だからどんなことも“じっくりゆっくり”と味わうようにやっていこう。

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