魂を浄化する

たとえば誰かがあなたを罵ったとする

その瞬間あなたの中の
「意識ゲージ」は一気に下がる

頭の中は相手への主張でいっぱいになる

何が起こっているのか
それはあなたの中に隙間ができて
相手の意識があなたの中に
流れ込んできているのだ

あなたは腹が立ち
すぐに言い返そうとする

それは激しい憎悪だ
「一体どういうつもりなのか!」
「くそっ!馬鹿にしやがって!」

相手が同等か弱い立場の人ならば
すぐに反応を露わにする
相手が強い立場なら
あなたはそれを抱えたまま
重たい気分で過ごす

どちらにしろ相手に
自己意識をすっかり注いでしまって
やがて自分自身を忘れてしまう

あなたのなかは空っぽとなるわけだ
すると周辺の霊に簡単に乗っ取られてしまう

霊とは単なる通行人や
ちょっとした物音
自分の履いている靴や
着ている服

それらの主張にあなたの存在が負けてしまい
いろんなものがあなたの中に流れ込んでくる

周囲のちょっとしたことに
イライラして当たってしまうようになる

普段そんなことをしないのは
外のものが「あなたの中」に
入ってきていないからだ

自己意識が減ることで
外で宿っていた意識があなたに入り込み
落ち着かない様子となる

こうした己に魂が宿っていない状態により
人生全体が「動揺」したものとなる

 

1.宿

すべてのものに意識が宿っている

物だってそうだし
音や風もそう

それを精霊と表現することもあるが
それはその見た目のことを
言っているのではなく
その背後にいるものを指している

そして意識は他の事物へ
乗り移ることができる

それは「宿替え」に近いものだ
ヤドカリが貝殻を取り替えるようなもの

つまり「宿」は
あなたの知る事物の数だけあるが
意識はこの世で「ひとつ」だということだ

意識は同じひとつのものであり
形という入れ物に水のように流れ込んでいる

だからあなたは他者と共感したり
相手の気持ちになってみることができる
映画や漫画に涙することもあるし
この文章を読んで
作者の意図を察することもできる

ならば自分の中に外の意識が流れ込んでも
常にフラットじゃないのか?
となるがそうではない

 

2.汚れ

ここで重要なのは
意識は宿の思念の影響を受ける
ということにある

たとえば手袋の5本の指穴が「宿」で
そこに入れる手が
「ひとつの意識」だとしよう

手袋の人差し指の中が汚れているとき
そこで汚された指が「他の指穴」へ入ると
その指穴も汚れてしまう

会社を興すときに安いからといって
倒産品でオフィス用品を揃えてしまうと
経営が困難続きになったり

またある特定の傾向のリスナーに
愛聴される音楽を聴けば
音楽を通じて彼らの影響がやってくる

ホラー映画などは
ポジティブに楽しむ人が多いから
それほどでもないが
ダークな世界観の音楽などは要注意だ

そうした宿を経過した意識が浄化されるには
先の手袋の例でいえば
「汚れのない指穴」を
何度か体験しなければならない

 

3.シーツ

ひとつの手の一部分が汚れているとき
それは月が影に染まっているだけであり
月自体が欠けているわけではない

この様子が多面的な意識世界を生み
カラフルな現実として
あなたの目の前に広がっている

これこそが意識(神)が
「経験したいこと」なのだ

「じゃあ苦悩や不幸は神が与えているのか」
となるがそうではない

「汚れ」とは人間的な解釈にすぎない

以前までは悪いと思っていたものが
いまは良いものに思えたりすることがある
職業でも人間関係でも
住まいでも自分の性格でもそう

つまり「汚れ」として見えているのは
「多様性」のことなのだ

その多様性自体に意味があるのではなく
多様なカタチが存在するから
豊かな世界があるのだ

その「神なる多様性」は自然界でも
様々なところに見られる

たとえば木漏れ日の光と影の部分とか
岩肌のでこぼこだとか
自然の模様だとか

もしコントラストがなければ
すべてが均一となる
なにも認識することはできない

それは完全=神となり
死を意味する

ゆえに人生での明暗(コントラスト)こそが
生という不完全さであり
それが「生きていること」なのだ

だからどんな聖者であろうとも
完全な純白でないから
そこに存在している

ただし彼はエゴという影が薄い
ゆえに聖者(死に近い存在)なのだ

私たちはピンと張られた白いシーツの
シワのようなものであり
シワが際立つこと(エゴが強いこと)は
それだけ影が濃くなるということにある

「神はなぜ私たちに苦悩を与えるのか?」
人類はその疑惑を払拭できなかった

だがその「神の理由」は明白なものだ
なぜならそれは神にとって
「苦悩」などではないからだ

私たちが存在していること自体が
私たちにとっての
根源的な苦悩として見えてしまうだけなのだ

 

4.悪霊

アリストテレスが言ったように
自然は真空を嫌う

それは意識が
「どこにでも必ず流れ込むこと」を意味する

感情に振り回されて自分自身を
忘れることとは
宿っている意識を手放すことであり
その空白に別の何かが流れ込んでくる

つまり別の宿に汚された意識が
あなたのなかに入ってくる

それまでの宿主とは違う主人に
宿は動揺という拒絶反応を起こす

他人であれ物であれ
なんでもそう
生き霊や呪いなんてのも理屈は同じ

物欲なんかに振り回されている人は
その優越感を求め得ると同時に
どんどんシーツの影が濃くなっていく

それは彼自身が自らを失い
その代わりに別の何かが
入り込んできたことを表している

するとだんだん人生が重いものとなる

なぜならシーツの際立ちが強いほど
彼自身の空虚を意味するからだ
つまり悪霊にファックされ続けることになる

彼の姿には
たくさんの顔がへばりついている

ゆえに人生を気軽で自由なものにしたいならば
シーツの影を薄める方向に目を向けることだ

別に有名人だから濃いというわけではない
宿は関係がない
その内側にいる宿主の状態のことであるからだ

一国の大統領であろうとも
限りなく白に近くなれるし
社会と断絶したような孤独な人でも
真っ黒な人は大勢いる

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  1. ROBOVANA より:
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  2. mmrc7 より:
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