夢と現実は交互に入れ替わっているだけ

眠るときに見る夢
あなたがそれを夢だと認識するのは
目が覚めたときだ

見ていたという記憶を思い出す
つまり”過去の経験”としてそれが残っている

面白い実験がある
休日にやってみなさい

「眠って」「起きて」「眠って」‥を
短期的に繰り返すのだ

すると目が覚めた瞬間に
さっきまで見ていた夢を思い出す
眠りが浅いからほぼ夢を覚えている
部屋の天井や壁を見ながら
「あ、いまの夢だったのか」となるわけだ

つまり眠りから覚めて目が開き
そして記憶に残っている「夢」を思い出す
それらは実時間で進行している

「眠って起きて実験」を繰り返していると
あることが判明する
夢見の「中の世界」も実時間で
進行しているのだ

例えば夢の中でオムライスを食べていた
目が覚めてから食べていた夢を思い出す
だがこの夢見の実験で明らかとなるのは
オムライスを食べているその体験は
現実と同じ時間の経過があるのだ
3分食べていたら3分寝ていた
つまり夢の中と現実は
一本の線上を交互に進行していることになる
どちらを意識に浮かばせているかの違いだ

さてここからが本題だ

夢とはなんだろう
あなたが怖い映画を見たとする
それはとても怖かった
そしてその晩、夢でも何らかの怖い体験する
またはその日大量に水を飲んだ
その晩はプールで泳いでる夢だ
何らかの連想が起こる

夢とはあなたの潜在意識に刻まれたもの
それが投影される
つまり過去の投影が夢として起こる

これは何を意味するのか
あなたのその現実も「過去の投影」なのだ

あなたがネガティブな気持ちになっていれば
どんどん嫌なことが起こり出す
いまの状態が未来を作り出す
つまり夢と同じシステムだ

夢においての表面的な事実とは何か?
それは「夢を見た」ということだけだ
リアルタイムで進行はしているが
あなたが夢を見ていたと知るのは
目が覚めた後だ
すべての経験は経験をした後に
それが事実として残っている

しかしここで注意しなさい

夢の中で体験をした
だが体験をしたと知ったときには
その体験はそこにはもうない

夢の中で美男美女と甘い暮らし
だが目が覚めると
煙のようにお相手さんは消えている
体験だけが事実として残る

これは現実でも同じ
ついさっきの出来事ですら
いまそこにはないのだ

さらに「いまに在る」とき
いまコップに触れていることすらも
記憶を観ていることがわかる

つまりリアルタイムを追求しようとも
“体験を知った頃”には
その「事実」はそこにはない
煙のように消えている
そこには「何もない」のだ

だから夢と現実は
まったく同じ仕組みになっている

 

体験を構築する材料

では次に夢にしろ現実にしろ
一体どのような条件でその体験が作られるのか
探ってみよう

あなたは幼少の頃
カネというものに重みを感じていなかった
小遣いを握りしめて菓子を買うなりの
「楽しみ」を発生させる道具に過ぎなかった

だが今は支払いのため
生存のための十字架となっている

3歳の子供が請求書の支払いをしている姿はない
だが彼は普通に生活をしている

あなたはいう
「そりゃ親か誰かが払ってるからでしょう」

いいかい
3歳の子は請求書の存在を知らない
だからお金は楽しいもののままだ
請求書があるというのは、
あなただけの現実となる

つまり観念がその現実を構築する材料となる
想念ともいう

この想念が良いも悪いも
あなたの現実を作っており
あなたが不幸ならば不幸となるし
あなたが幸福ならば幸福となる

同じ場所にいるように見えても
誰もが見えている光景が違う
3歳の子とあなたのようにね

夢見の実験でわかるのは
現実も同じシステムであるということ
あなたが過去に思いを向けるほど
それが現実となって現れる
あなたが焦れば
より焦らせる出来事が起こる
求めれば
より追いかけなければならない事態となる

その記憶、過去
それらの正体は心だ
目の前の猫が可愛いならば
あなたは可愛がっていないかもしれない
記憶がそう考えさせているだけだ

もしあるがままに猫を見ることができれば
あなたは転がる小石ですら愛情が湧く

その現時点での、
その「いま」での充満性
そこに常に意識を向けていなさい
そこに心を開いておきなさい

あなたは心を閉じているから
過去の記憶の中でしか
現実を生きられない

心を開いておくことだ

何でも受け入れたい、
そういう子供の意識であること
「この先に何があるんだろう?」という楽しみ
そういう気持ちで生きることだ

ある部族は夢を見ること自体が
「いまにいない」として罰を与えられるという
確かに過去を引き摺らなければ
夢を見ることもなければ
現実が「想い」に制限されることもない

だが世界とは想念のことであるゆえ
いかにしてあるがままの世界を楽しむかにある
だから経験や体験はあっても
感情を引き摺らないということだ
想念の主材料は感情だ

あなたのネガティブ性は
いまそこにあるものじゃなく
ずっと引き摺っているものである
そしてそれはあなたの道を作り出す
ネガティブロードが果てしなく続いていく

その道を外れたければ
きっぱりとネガティブを捨て去ることだ
あなたの記憶、過去、受けた感情
それらは自らが作り出した幻想であること
それを見抜くこと
そしてそれらが現実を作り出していること
だから永遠にハッピーになりたいのならば
全部楽しく嬉しく受け止めればいい
本当のところはそうなのだから

その世界はあなたが照らしている
その中の出来事でしかない
照らされた光の中
そこに充満しているすべては
あなたが認識をする
なぜ認識ができるかといえば
あなたが生命を与えたからだ
つまりあなた自身
あなたはあなたを常に見たり聞いたり
感じ取ったりしている
常に完全にあなたの中なのだ

だからあなたがネガティブを引き摺ること
それはあなたの中のネガティブ性を見ている
いくらでもネガティブに生命が与えられる
ならば違うものを照らせばいい
ならばあなたの別の面が次々と起こされる

何がどう違おうが
現実やら夢にしろ
どれもこれも
あなたなのだ

意識という光で照らすとき
あなたの中の何かがまた現れる

ここまで書けばわかるかもしれないが
物理的な現実などないのだよ

意識は同じ場所から
「意識」を感じているだけだ
だからいくらでも作り出している

意識の素は感情が作用する
だから楽しくありなさい
ゲームオーバーはありえない

 

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コメント・質疑応答

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  1. 地天泰 地水師 より:

    涅槃さん

    いつもありがとうございます。
    第5の鍵読みました。

    判断のない、善悪のない、吉凶のない、ノーサイドの世界
    もともと世界はそうだったんだと気づくと

    自分は自分がつくりだした想像の物語の住人だったんだ
    と気づくと
    それは絶望的ではなく、ワンネスに戻ること
    全てが命そのものだったんだと気づくと
    この世界は命の輝きで溢れてますね。
    ただやっぱり浮きますよね。家族の中でさえ。

    でもまた煩悩の世界に戻ったりして、
    まだまだ行ったり来たりです。(笑)

    前から夢と現実の違いについては
    よく考えてまして、意識がどちらに向いてるかだけなのだなとは思います。

    私の夢の中では色も感情も感覚もあるので
    現実と混同してしまいそうになります。

    でもやっぱり夢はつじつまがあわず、
    事象の展開がバラバラで繋がりがなく感じます。

    現実はしっかりとした流れを感じます。

    でもその差違って実はほんの僅かで実は違いない、
    現実もマインドのリミットが外れれば夢の中のように飛んだり
    出来るということなのでしょうか。

    私は夢と現実は量子のちかいで
    夢の中のほうが粒子と粒子の間の間隔が広いので流動性があるのかと
    思ってます。

    突拍子もない質問で失礼します。

    返信頂けると幸いです。

    • -自分- 涅槃 より:

      地天泰 地水師さん

      物理的な作用は
      あなたの常識としている
      現実の法則に縛られる

      どこかの手記でも書いたが
      頭を棒で殴れば痛い、
      それが夢なのだ
      つまり物理的な作用すらも
      夢の中ということ

      人は現実と夢を分けてしまうが
      人生80年の中で一本の直線上に
      交互に想起しているに過ぎない

      漫画の登場人物がその世界の中で
      「○○が真実らしい」と言ったところで
      それは漫画の中の真実を超えられない

      ヴァーチャルというリアル
      常にその香りが漂っている

      この香りの正体は何か

      例えば数分前の出来事ですら
      現時点から観れば夢だ

      それどころか
      いま持っているコップの感触ですら
      決してリアルタイムではない

      つまりすべてが夢であり
      本書でいうところの「回想」となる

      時間は未来に進んでいるのではない
      つまり現在が死に向かっているのではない

      死がいつもここにあり
      死がその中身を観ているのだ
      これが香りの正体

      科学がどんな見解を示そうとも
      どんな素晴らしい教えがあろうとも
      すべてはあなたという死の中にある

      いまそこで立ち起こっている光景を
      噛みしめなさい

      家族がいまそこにいるなら
      “すでに過ぎ去った彼ら”の姿を感じなさい

      あなたはいつも
      何もないところにいるのだよ

  2. 地天泰 より:

    涅槃さん

    ありがとうございます。
    回想。香り。
    噛みしめながら寝ます。

    • -自分- 涅槃 より:

      地天泰さん

      香りは目に見えないものだが
      それは察知する

      あなたの人生に広がる光景は
      同じものだよ

      そこにあるが
      そこにないもの

      何かを掴んだとき
      愛だけが残る

  3. uzn9bzt より:

    こんばんは。
    最近は寝起き以外でも夢をはっきり覚えていて
    すぐに思い出すことが出来ます。
    そう考えると夢と現実はただの映像、残像で
    区別はないですね。全て自分の中で起こっている、他人は居ないと
    分かり張り合いがなくなりファッションやメイクなど
    興味がなくなりました。
    今までいかに自分が他人の目を意識して生きてきたにかが分かりました。

    質問ですが、
    私は寝ている間に手を掻きむしってしまいます。
    人生は夢と現実の交互であるなら夢見の間に
    痒い→掻くという行為を行えるのは何故なんでしょうか。
    寝ている間は夢見に没頭しているなら肉体は動かないと思うのですが。

    変な質問ですみませんが、よろしくお願いします。

    • -自分- 涅槃 より:

      uzn9bztさん

      遅くなったね。なかなか年末年始の行事が進まなくてコメントやメールの返信を追いかけているよ。

      現実と夢は同じ線上にある。あなたがどこで境界線を引いているかだけだ。つまりこう捉えてみたらどうかね?

      手を掻くという肉体的な動作も夢の中だ。

      最近は現実というフィクションについて手記をよく書いている。また迷ったらいつでも質問しておいで。よい1年を。

コメント・質疑応答

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