ダイナマイト

人生は常にいろんな不幸に見舞われる

ほんの出来心が大きな災難を招いたり
たまたま関わっていたばかりに
他人の尻拭いをさせられたり
理不尽な連鎖の中に
いつの間にか放り込まれていたり

まあそんな感じで八方塞がりとなり
恐ろしい牢獄に閉じ込められたようになる

どうして出口がみつからないのかといえば
それはその不幸があまりに完璧だからだ

完璧すぎて太刀打ちできない
だから不幸は恐ろしいものに思えるわけだね

 

完璧なシナリオ

たとえばどうしてあのとき
あの出来事やあの出会いがあったのか

そしてそのときどうして己は
あのように考えてしまったのか

巧妙に仕組まれたみたいに
そのように考えが紐づく出来事を
なぜ当時に経験していたのか

つまりすべてが完璧だった

起きてくる出来事も
それに対する自分の判断も
すべてがシナリオどおりに進んでいた

そうして見事に
不幸の物語の主人公に抜擢されていたが
当然そうなろうとしてなったわけではない

だから嘆いているわけで
いまとなれば理不尽や不条理にしか思えない

しかしいままさに
そのように考えていることさえも
すでにシナリオに書かれているものなのだ

 

牢獄に光を漏れ込ませるダイナマイト

ところでこのように
自分や現実を俯瞰してみたとき
あまりの完璧さに驚くことができたりもする

その驚きは嘆きからではなく
むしろ感心して褒め称えるような
「すごい・・」と思える純粋な驚嘆にある

まるで壮大な山脈や宇宙の天体や
DNAの二重螺旋構造や生物の全体世界など
まさに神がデザインしたとしか思えない
完璧で深遠で美しい様子を前にして
言葉を失うような驚きのことだね

あなたの現実もそれらと同様に
完璧そのものとしてここに現れている

だから不幸に巻き込まれて
ボロボロになった自らを冷笑して
自分を慰めろとかいってるのではない

不幸の”完璧さ”そのものに
素直に驚くことができるということだけども
しかしその素直な驚きこそ
八方塞がりの牢獄からの突破口ダイナマイトとなるんだ

 

不幸は実は不幸ではない?

いいかい
不幸な現実という表面をみるのではなく
その不幸を完全なものにしている「すごい力」を
受け取るとき
そこにはただ驚きだけしかない

なぜなら”自分”は
シナリオに書かれた通りのことしか
思考できないからだ

だがこの素直な驚きこそが
その不幸な現実を別のものにするわけで
なぜなら
“完璧さそのもの”は不幸ではないからにある

そもそも「完璧さ」とはなんだろう?

それは安定して満たされたものであり
むしろ”幸福”と呼ぶことができる

つまりこの気づきが大事でね

実は不幸な現実でなくても
あなたの人生は”常に完璧”なんだ

その完璧さが
単にいまその様子にみえているにすぎない

また壮大な自然や宇宙や
顕微鏡を覗き込んでみえてくる世界も
あなたがみるもの聞くものすべてが
かならず完璧にある

それは”単純な理由”からであり
すべてが完璧なのは
言葉が矛盾を嫌うからにある

 

言葉が織りなす”人間の世界”

言葉というのは
単に対話や心を表現するためだけの道具ではない

言葉がなければ数も存在せず
善も悪も存在しない
当然幸福も不幸もない

さらにそうした論理的なシステムを司るだけでなく
視界など知覚に映る光景を認識しているのも
言葉を介してのことにある

つまりある何かを浮かべるとき
“それ以外の何かも同時に”浮かんでなければ
そのある何かは観念の輪郭を保てないわけで

だから言葉といっても
単に文字化文章化するものだけでなく
どんなことであれその認識の前提として
そこに作用しているからだ

ゆえにこの”言葉”というのは
いつも話しているように
日本語や英語といった言語の意味ではない

“人間”の知覚や認識の構造そのものであり
脳を解剖しても神経細胞しか出てこないのは
脳の生体活動のなかで
“言葉”が論理的に行き交っているからにある

言いかえれば”私たち”とは言葉であり
またこの世が三次元的かつ時間の進行があるのも
“言葉”の論理構造がまさにそうであるからにすぎない

この意味がわかるかな

つまりあなたや私というのは
本当は別々ではないんだ

物理的な世界もなければ
もちろん”脳”もない

脳の活動のなかで言葉が動いているという論理を
“言葉”が措定している

つまりすべては
言葉と言葉がひたすらつながりあっていく
一連の動きだけがあり
その”夢のなか”で人間の世界が浮かんでいるだけ

もちろんその動きは
川の流れやコンセントからの電流のように
“内容”を持たない流れの上に浮かべた
船や布のように
またテレビ画面に放映される番組のように
言葉そのものが”内容”となる

だから科学の発見というのは
内容を持たない流れ(大いなる流れ)を
単に”言語化”したにすぎない

そしてその言語化が
私たちの”認識”に矛盾なく刻まれるとき
それは”現実的なもの”となるわけだね

それゆえに古い真理がいまや通用しないこともある

そればかりか昔は人々にみえていたものが
現代にはもう知覚できないものもあるだろう

 

巨大なクエスチョンマーク

だが話したように
言葉は論理構造として成り立つゆえに
矛盾を嫌う

逆にいえば言葉は矛盾を理解できない

つまり人間は矛盾を理解できず
“矛盾しない現実”でしか暮らすことができない

涅槃の書のロゴが
クエスチョンマークを象っているのは
そのアイロニーの意味でもあるのだけども

ゆえにそうであるからこそ
現実はどのようであれ「完璧」となる

たとえばあなたはいま巻き込まれている不幸は
現実的な方法でしか脱せないと考えている

実際そうなんだ

非現実的な方法なんてのは
あなたの”認識”が許さないわけで

よほどのパラダイムチェンジがなければ
つまり信念構造の変更がなければ
非現実を現実化することはできない

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