アダムとイブ

以前、親しかった人が亡くなってね
棺に彼の思い出を入れてあげようとして
写真を何枚か選んでいたときのこと

花見で微笑む姿や
自宅でくつろでいる光景
家族やペットと戯れる姿など

彼の思い出を選んでいた

そこでふと気が付いたのだよ
私は彼の思い出を探していた
無論、彼が写っている写真を選んでいる

だがこれは彼の思い出というよりも
私の思い出ではないのか、とね

私が撮影しているわけだから
生前の彼が写っているものは
私の見たままの光景
私の見ている世界

中には手を伸ばして2人で
写っているものもある
だがその写真を見ているのは
一体誰なのだろう

そこに並べられた写真を見ているうちに
「ああ、彼は私の世界そのものだった」と
ひとつの気付きがあったものだ

彼だけじゃない
私が見たり聞いたり
つまり関知しているすべてが
私の中で起こっているものであり
日頃錯覚している「私」とは
彼らを存在させるスペースだったのだとね

アダムとイブ
彼らは互いの相手のためのスペースだった
アダムはイブという彼女が存在できる空間
イブはアダムという彼が存在できる空間

だけども彼らは自分が
スペースであることを忘れ
自我を持ってしまう

私はアダムだ
私はイブだ
私はアダムと話している
私はイブと遊んでいる

さて、突如現れたこの第三者、
「私」とは一体なんなのだろうか

この存在については古代から
悪魔、怨霊、不幸、ネガティブ、エゴ、
様々な表現をされる
そこに「いないはずのもの」だ

一度写真を眺めているみるといい
そこに並んだ光景
それがあなたなのだよ

 

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