プラス思考になるということ

“自分”はマイナス思考だから
プラス思考になりたい

しかしその真逆へと向かうには
とてつもない”心の努力”が思うわけで
だから「なりたくてもなれない」となる

ところがプラス思考とマイナス思考は
実は「同じこと」をやっているんだ

その単純なカラクリに気づいてしまえば
不幸を幸福に変えるマジックが
あなたに備わることになる

人生から恐れは消えて心は平和になり
それゆえに潜在意識(=現実そのもの)は
新しく書き換えられていく

 

真のプラス思考とは

さて一般にいわれるように
プラス思考というのはどのようなことも
肯定的に受け取れる考え方のことで

マイナス思考というのはどのようなことも
否定的に捉えてしまう考え方にある

ここで注意しなければならないのは
起きてる出来事は同じだということだ

実際そうだね

あなたと私で同じ出来事を体験しても
それぞれ受け取り方が違う

またあなた自身もその時々の気分で
プラス思考やマイナス思考に転ずるわけで
同じ出来事なのに
現実の見え方がまったく違ったりするだろう

心から喜ばしいことがあって
重く抱えている日頃の苦悩が
不思議と気にならなくなったり
いつもなら許せない人に寛容になれたり
というのはよくあるだろうけども

しかしそれらは
偶然的な出来事(喜ばしいこと)に
委ねられているから
結局良いことがなければ
プラス思考になれないことになる

そしてこうして偶然の反応に任せっきりゆえ
マイナスな心境も自らで制御できなくなる

つまりそうした偶然に頼らずとも変えられると
“知っていること”こそ
真の意味でのプラス思考となる

たとえば取り返しのつかない失敗をしたり
大切な人との別れや何かを失ったとき

ただ悲惨で不幸な思いに浸るのか
それともその出来事を”肯定的”に捉えて
自らの方向転換のきっかけにしたり
また良い思い出として受け取るのか

あなたの心のあり方ひとつで
その出来事の”意味”が変わるのであって

つまり出来事は「同じ」だけども
あなたにとっての意味が
その出来事に”与えられる”ことになる

だから幸福が不幸かは
出来事が与えてくるのではなく
あなたが自らで決めているんだ

この見解自体がまさに”プラス思考”だね

だがそれはあとで話すように
この世の構造そのものを見抜いているわけで
決して「プラスに思い込もう」としているのではない

もしプラスに”思い込もう”としているならば
それこそがマイナス思考にある

 

切り出される”意味”

ところで出来事の見え方は
なぜそんなにころころ変わるのだろう?

さすがに黒いものを白だというには
その確固たる足の置き場がなければ
それこそ単に思い込みにすぎなくなる

単にそうあってほしいだけだったり
確信に疑いが混じっているならば
それはプラス思考とはいえない

繰り返しておけば
あらゆることはラッキーに取れるし
同時にあらゆることは不幸にも取れる

どうしてそんな真逆に変わるのか
ということだが

それは決してあなたが
器用な心の持ち主だからということではなく
ごく単純な”事実”にその理由はあるんだ

いいかい
そもそも「出来事」とはなんだろう?

よく例としてあげることだが
たとえば海面が蒸発して雲になる

雲が雨を降らせ
雨が川となり海へ流れる

もちろん気温や気圧などの
他の無数の因子が複雑に絡みあい
それらが同時進行するなかで
「雲」や「川」として現れている

ときには雪や氷にもなるだろう

だからコップに注がれている水は
さっきまで空に浮かぶ雲であり
その前は広大な海洋そのものだったんだ

蒸発するときに塩分は海に残り
ゆえに雨や川は淡水にある

これらは”出来事”としては
まったく異質なものにあるが

この一連の流れ全体を区切って
その”範囲”をみているとき
それがコップの水だったり雲や川として
あなたは受け取っていることになる

つまり幸福だったり不幸だったりする出来事は
こうして区切ったその範囲のみを
そのように捉えているだけにある

 

神の戯れ

ではこの一連の流れの「全体」は
なんと呼べばいいのだろうか

水分子の変化や自然の循環と呼ぶのは
それもまた科学という枠組みで
捉えているにすぎない

この場合はたしかに流れ全体を
より大きな全体の部分として
客観的に眺めていることになり

そうして科学的に捉えていること自体が
そのより大きな全体のなかで
“範囲”を設定していることになる

太陽をまわる地球の公転運動が
より大きな銀河の運動の部分であるように
海や雨の循環はより大きな循環の部分にある

つまりこうして”範囲”の区切りをおとして
尺度をどんどん開いていけば

それがなんであるのかという
人間観念の次元を超えて
姿や形なき「流れるもの」を感得するんだ

これが「大いなる流れ」と呼んでいるものであり
つまり人間が風景として見聞きする自然ではなく
本当の意味での自然、宗教的な言い方をすれば
“神の意志”や”仏性”となる

スピリチュアル風ならば
神の遊戯(リーラ)だね

このリーラという”捉え方”は
大事なので覚えておこう

だからこの大いなる流れリーラに私たち人間は
姿や形ある観念世界(心の像)を重ね合わせ
“その見えた世界”のなかを生きてる様子にある

もっといえば
己自身も”心の像”としてここに現れている

つまり世界は幻だが
己もまた幻なんだ

 

この世の神からあの世の神へ

さてここまでを踏まえてもう一度問うてみよう
出来事とはなんだろう?

まず2つの流れがある

・大いなる流れ(神の遊び)
・それに重ねた心の世界

ここで大事なのは
心の像としてしか知覚できない私たちにとって

大いなる流れは必ず
なんらかに置き換えられたものとして
受け取られるということだ

たとえば「神の意志」にしても
神という概念に親しんでいる
宗教者だからこその”解釈”であり

それが恋する少女ならば
「これは愛の力」だろうし
「順風満々」や「自信に満ちた」といった表現も
その時々の文脈(=現実)において
そのように置き換えられているものにある

だから話したように
己の知る世界の区切りをどんどん取り払って
一切の分割がなく
ただ流れる”世界”を感得しているとき

その世界は心の像であると同時に
大いなる流れに極めて近づいていることになる

たしかにその世界は依然として
やはり姿形ある世界として認識するしかないが
まさに神の遊びのようなものだろう

ゆえに宗教者や神秘主義のいう「神」には
二重の意味があるわけで

つまり”分割された世界”において
それを超越するための
指標としての「神」をまず作り出す必要があり

やがてその人工的な神において
人工物を超えた”神”にたどり着くんだ

この”同じ意図”をスピリチュアルにしろ
聖書や仏典を読むにしても
常に見失わないようにしなければならない

目に見えて現象しているすべては
たとえどんなに崇高なものにみえても
観念の産物にすぎない

言いかえればそれは「扉」であり
それを開いた向こう側を指し示すために
私たちがこの幻想のなかで
幻想を超えるために生み出した
アクロバティックな観念物にある

だがそうして扉を開いて
向こうにあるものを知ったとき

人生で関わるすべての人々や物事もまた
「扉」だったことを知るだろう

親や友人や日々のこと
呼吸や食事や睡眠があること

それらすべてが扉であり
そうして扉であるということを知ることが
感謝とよばれるものとなる

このようにして区切りが消え去った世界

つまり世界という観念は依然としてあるが
“だから”こそ「神の世界」なんだ

 

すべてに意味はないという”真の意味”

だから日々の出来事から
人生の意味を推測しようとするのではなく
「永遠に遊んでる神」の視座から
日々の出来事を眺める必要がある

それが確固たる足の踏み場となる

たとえば人生を振り返ったときはじめて
「すべてに意味があった」とわかるが
それは同時に
すべてに意味などなかったという
二重の理解として受け取られるだろう

だがそれはいたって肯定的な理解だ

よって出来事というのは
「永遠に続く神の遊戯」のなかで
区切った範囲としてみた部分のことであり

しかしそれがなんであるのかは
その部分に隣接する部分との比較によって
意味が与えられる

たとえば「傘を忘れて濡れてしまった」とき
一般にそれは「今日はついてない」
つまり「不幸」として受け取るが

それは傘を忘れたことや
濡れたこと自体が不幸なのではなく
隣り合ってる何かがあるからだ

誰かと会うために出かけていたり
買ったばかりの服だったり

そうした隣接する部分との関係で
出来事は不幸な意味を与えられる

しかしその隣接した部分もまた
区切った範囲をみているのであって
また傘を忘れることになったことにしても
それ以前の何かがあった

昨日家に来た友人に傘を貸していたとか
いつも置いてる場所においてなかったから
持って出ようという発想が浮かばなかったわけで
だがそうした原因にもまたさらに「原因」がある

こうして原因をどこまでも遡っていけるのは
実は区切られた出来事など本当はないからであって
観念上の幸福と不幸という幻に
己は振り回されているだけなんだ

だから逆に傘を忘れて濡れた結果もまた
そこで終わりではない

その結果によって
どんどん新しい結果が生まれていく

もしかすると濡れたあなたをみて
傘を貸してくれた人と結ばれたかもしれない

その結ばれたこともまた
いろいろな幸福や不幸を生み出していくだろう

だが区切りではなく全体としてみたとき
この世のカラクリを知ることになる

そしてここが最も重要だが

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