意識の構造

自分を取り巻く現実について考えるより、その現実を捉えている意識を捉えなければならない。

よく話すことだけども、いま私が「呼吸」と書けば、あなたは途端に呼吸を感じ始める。空気や肺の存在を認識する。つまり呼吸していたことを思い出すわけだが、本当のところはそうじゃない。

「ひとつの大きな流れ」が過ぎていく”現象”として、体はここに現れている。

だがそれは呼吸というものではないし、空気や肺があるわけでもない。大きな流れの一部をそういう「名称」であなたは捉えているだけ、つまり「人間の世界」でのみ、呼吸や空気や肺がある。

これもいつも話していることなので省略するけども、じゃあ動物には呼吸や空気がないのかといえばこの話を見誤っている。となれば「なるほど、動物は別の解釈をしているわけですね」と解釈するかもしれない。だがそれも違う。

「動物」というものもまた人間の世界で”のみ”、認識されている姿や形態であるからだ。

だから人間の世界は人間独自のものだが、逆にいえば「ここに本当は何があるのか」は人間にはわからないということでもある。なぜなら「人間」もまた、人間の生み出した世界のなかで”のみ”現れている存在だからである。

社会も活動も学問も食べ物や自然も、人間が理解しているすべては人間によるもの、あなたの性別や年齢や容姿もそうだね、人間の記憶を引き出して、その記憶に照らし合わせているだけなんだ。

人間の世界で固有のものはすべて意識の産物にある。だから「時間」もまた意識の”なか”でのみ流れている。

 

“現実”が起こるプロセス

それゆえ現実に苦悩しているならば、現実の構造を吟味してあれこれ努力をするよりも、まず意識の構造を捉えなければならない。すべての問題解決はそちらにあるからだ。

「呼吸」ときいて瞬時に空気や肺があなたの意識上に現れたように、いま苦悩していることもまた、あなたがそこに意識を向けているからであって、それに関連する人間関係や諸々の問題が文字通り「出現」する。

同様に、あなたが将来に悲観的になれば、その悲観さに紐づいた記憶が「大いなる流れ」に重ね合わされる。

苦手な人や物事が到来したり、逆に悲観したくないという反動から少しの期待をもたせる物事も現れる。たとえばそれまで知らなかった娯楽などの出会いがあるだろう。

それゆえに、現実から逃げるため、目を背けるために、楽しみを見つけるかぎり、その重苦しい現実はそこにあり続けることになる。だからどのような前向きなことであれ、「ネガティブな自分」を発端にしてはならないわけなんだ。

あなたはたしかにスピリチュアルという分野を、あなたの世界に生み出した。だけどもそれが現実の逃避手段であるかぎりは、どれだけ読み漁ってもなんの解決にもならないだろう。だがスピリチュアルや宗教といったものが、現実に”向き合うこと”が書かれていると知ったとき、それらは光を放つようになる。

つまり”あなたの世界”が光で包まれる。

しかしそれは他のどんなこと(仕事、家事、恋愛、散歩、スポーツ、勉学、etc…)でも同じなんだ。

 

あなたは1mmも動いていない

さてこうして意識は画一的なものではなく、無数の記憶が複雑に絡み合うことで、その結果である「現実」をあなたの目の前に作り出しているが、間違えてならないのは、こうして編まれた「意識」こそがあなたそのものだということにある。

すなわち、”私たち人類”が生みだしてきた記憶の総合体(記憶の貯蔵庫)から、いくつかを引き出して集めて統合したものが「個別の意識」という小さな空間となる。ただし記憶が単体として表されるのではなく、他の記憶との複合として現れたり作用したりする。

上の一文は特に頭に入れておこう。

言いかえれば、いまあなたが過ごしている空間も、どこかへ移動することにしても、本当はそんなものは「存在していない」からだ。

つまりあなたと私は同じ場所にいる。より正しくいえば、ここにあるのはひとつの流れだけであって、その流れに記憶を重ねて「みている夢」こそが、個々の私たちの現実世界であり、個々の私たちの意識空間であり、すなわち「魂」とよばれているものとなる。

 

あなたの脳が描いているもの

前にコメント欄でも話したけども、広大な世界や社会があって、ひとつの脳を持った自分がそのなかで行動していると私たちは考えているが、そうではない。

その広大な世界や社会こそが、つまり通りを行き交う人々や、世界情勢や季節の変化など、己の”知った”世界の像こそが、脳が描いているものなんだ。

もちろんそのコメント回答でも話しているように「脳」もまた意識の産物であるけども、”私たち自体が虚構そのもの”ゆえに、こうして話の土台を作らなければ、私たちは何も伝え合うことも理解することもできない。

たとえばマリオはプログラムだが、そのマリオの世界もまたプログラムであり、だがマリオが「己はプログラムである」とを知るには、そのマリオの世界で生成されたものを手がかりにしなければならない。

だから”それゆえ”に「知れば知るほど」世界はその現実性を失っていくことになる。なぜならそうして知り得ていく過程で「この世そのものを疑わせるヒント」を必ずみつけるからにある。

これも以前回答で話したことなので引いておこう。

──

この眼差しをもってはじめて勉学も仕事も恋愛も「実は同じひとつのものを示していること」がみえてくる。

たとえばどのような学びも最終的には「極める」ことができる。

だが「極める」というのは、その分野の”限界に達した”ということだ。白い紙の上に描かれた円、その円の輪郭線にたどり着いた。

ではその円が真理なのだろうか。そうではないね。真理とは、こうして円が「描かれていること」そのものにある。

しかしいったい「どこに」円は描かれているのか。そしてこの円とはそもそもなんであるのか。

そう問い始めるときに、円の境界は「そもそも不要だった」ことに気づくわけだ。ゆえに己のなかで円の輪郭線は薄まり、円の内と外はまったく同じものだったと気づく。そのとき、己はそれをマスターしたことになる。

もはやそれは「自然な呼吸」であり、何かを目指すものでも、何かを柱にするものでもない。それゆえに誰も追従ができない。あなたはあなたであり、他人がどれだけあなたの真似をしたところであなたそのものにはなれないのと同じ。

たとえば子どもたちは「どうして勉強しなきゃならないの?」という疑問を持っている。

親や学校は「将来的に待遇の良い職場にあり着くためだ」ということを前提に「その勉強がいつか役立つときが来る」と答えるが、それがいつなのかは答えることができない。そうして社会が差し出す回答とは「社会という円」の内側の整合にすぎないからだ。

だが「円そのもの」を捉えているならば、子どもたちにこのように答えることができる。

勉強するとは、その勉強が本当は「なんの意味も持っていないこと」を知るためであり、それを知るからこそ、勉強という概念、そしてこの現実のあらゆるすべてが、人間の思い込みの世界、創り出された円の「内側」にあることを悟ることにある、とね。

経済学者のジョーンロビンソンがこう残している。「経済学を学ぶ理由は、経済学者に騙されないためです」

まさにその通りであって、こうして「人間世界の真理」を悟るとき、その子は成績が向上するだろう。なぜなら実際よく勉強ができる生徒、スポーツのレベルが高い生徒というのは、その分野の内部、すなわち円の内側に意味や目的を追いかけているのではなく、円の外側からそれを捉えているからだ。

大学は英語でユニヴァーシティというけども、その語源は宇宙ユニヴァースから来ている。この意味での宇宙とは多元世界のことであり、森羅万象のこと、つまり大学とは「無限の知識の宝庫」であることを示している。

もちろんそのままでは、ただ満天の星空に圧倒されるばかりだから「自分なりの秩序」を見出さなければならない。

ここに教養の真の意図がある。

それは己の内面世界を「規律づけること」にあるわけだ。いってみれば自分の新しい人格を形成することであり、より高い意識を獲得することにある。つまり信念体系の変革であり、それによって己が体験する世界が変わるのだよ。

大学ユニヴァーシティはそのきっかけを掴むために行くところであり、もちろん大学に通わずともいまの時代はいくらでもそれは可能となる。

ここに人生の秘密を解き明かす最大のポイントがあるわけで、つまり「自分なりの秩序」を組織するとき、この「秩序」もまた、宇宙コスモスを意味しているのであって、すなわちユニヴァースからコスモス、大きな宇宙から小さな宇宙を見出すとき、今度は逆に己の内側から広大な宇宙(無限の可能性)への扉が開くんだ。

だからこそ意味を先に持ってこないこと、それは円に閉じ込められた世界、温もりのない機械の世界のようなものだ。そうではなく、生のなかにあなたの宇宙を創り出さなければならない。

温もりに満ちた世界をね。

──

 

精神と科学

さて、では意識の構造そのものを捉えたとき、どのような現実変容のアプローチが可能となるのか。

それはまず古今東西で語られてきた「ことわざ」や「格言」のとおり、精神論が有効だということにある。

いまは実証科学の時代ゆえ「精神論なんてのものは無駄だ、すべては立証された結果に基づくものでなければならない」そう考えている人が多いが、ところがその立証された結果はその人の意識空間に現れている。

いまのような科学が隆盛して200年あまりしか経過していないが、たとえば現代物理学の最先端である量子力学の発展に多大な貢献をしたヴェルナー・ハイゼンベルクが、同じく量子論の巨人とよばれるニールス・ボーアとの対談をした際の有名な記録がある。

──

ハイゼンベルクはボーアに質問した。

「原子の内部の構造について議論したいが、しかし私たちはその構造について議論するための”言葉”をもっていないとすれば、原子を理解することなんてできないじゃないか?」

ボーアはこのように言った。

「いやいや、私たちは「理解する」ということの本当の意味を、そのときこそ”理解”するんじゃないか?」

──

科学は新しい”認識パラダイム“を作り出してきたにすぎない。そうして次々に大いなる流れに重ねる記憶を生み出しては、たとえばそれが金儲けや戦争につながってきた。つまり現代科学の背後には企業や国家というパトロンがあり、彼らの”ため”に科学は発展している様子にある。

そうして”新設”された「世界」という枠組み、人々はその”なか”での計算どおりの人生を歩んでいる。「こうなればきっとこうなる」みたいな思考回路が定着してしまっている。なぜならそれは人々にとって「”現代の常識”として立証されている」からだ。

ここに「現実構造ではなく意識構造を捉え直す」の論拠があるわけだね。

 

魂の構造

だから非科学的オカルティックだといって、精神論(言い伝えや格言など)を軽視したりすることなく、また「自分が得しないから」とか「メリットがないから」など言って、親切心や良心を捨ててしまわないようにしなければならない。

そうした態度は結局はひとつ上のシャボン玉(個々の魂を包み込んでいるひとつ大きな魂)に操られているだけとなる。ひとつ上とは、社会や風潮や時代といったものだが、それもまた意識体ゆえに”構造”は同じ。

話したしたように「魂(=シャボン玉)」は、人類の記憶からいくつかを読み出して、それが複雑に絡みあうことで成り立っている。

だからその絡み合い(関係性)によって、まったく違う世界がみえていることになる。

今回のコロナ騒動にしても「ああ悲惨だ、ああ災厄だ」と喚いて不幸に感じているだけではただ理不尽が募り、やがて他者への攻撃によってその不満足を解消しようとするだろう。

だがこんな現状だからこそ、新しい人生の展開をしている人たち、今回のことを機に同じ失敗を繰り返さないようにと、これまでの人生を見つめ直して改めている人たちも大勢いる。

そういう人たちは、それまでとは別の大きなシャボン玉の”なか”での個別の魂として自らの世界が現れているだろうし、その新しい関係性のなかで暮らしていくことになる。

 

時間は”無限”にある

だから人生を変えるには「〇〇が必要だ」とか「もうこんな年齢だからだめだ」ということは一切ない。それらはそのように思い込んでいるだけ(思い込まされているだけ)にすぎない。

あなたが大富豪になるのに何も必要としないし、あなたは何歳でもない。

ただあなたが取り組まなければならないのは、

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