“この世”に息を吹きこむ

あなたが死ぬとき
親しんでいたこの世界から
あなた一人だけが呼吸をやめるのではない

この親しんでいた全部が呼吸を停止する

ここで呼吸の意味
すなわち「いのち」の意味を
捉えなおす必要がある

もともと呼吸(=プシュケー)は
魂やいのちと同じ意味だった

つまり「同じなにか」から派生した言葉だった

歴史言語学は詳細に述べると長くなるので
簡単にまとめておくけども
各地に分布する言語というのは
国境を超えてもとは「同一の言語」だった

いわゆる「語族」というもので
言語の起源が同じグループをいう

たとえばインドとヨーロッパは同じ語族であり
サンスクリット語、ペルシャ語、ギリシャ語
そして英語やドイツ語などは同じ起源にある

つまり同一だった言語が
歴史の流れと共に
複数の言語へと分裂してきたわけだ

ヨーロッパ各地の言葉に
共通性があるのはそのためだが
文法の法則や語義だけでなく
ものの捉え方や考え方にも当然影響してくる

そしてこの語族はインドにも跨っており
その意味で古代ギリシアやキリスト教と
仏教の始祖である釈迦との接点
思想の根源の共通項をみることができる

日本は孤立した語族だとされるが
明治時代のように西洋の外来語を
自国の翻訳語に置き換えることで
インド-ヨーロッパ語族に関わるパターンもある

だからもとは同一だったわけだが
辞典などで記されているように
「呼吸の意味はそれが”転じて”
魂やいのちとなった」というのは
言語が分裂した”あと”に存在する人々の立場から
眺めている解釈にすぎない

 

2つの”息”

では同一の言語が存在していたとき
そんな時代が実在していなくとも構わないが
「プシュケー」とはそもそも何を指していたのか

その「同じもの」とはなんだったのか

それは現代の私たちが理解している
「呼吸」でも「魂」でも「いのち」でもなく
“それらが指さす何か”だったわけだが

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