あなたが歩いているのではなく風景が変化している

あなたが歩いているとき
「私は歩いている」と考えている

上の一文にヒントがある
どれだろう?

答えは『考えている』の部分だ

我々は青空に漂っている雲のようなもの
考える雲、つまり「漂う思考」が
自我の私たちだ

思考すら自ら生んだものではなく
流れ来る度に我々はそれに同化している
あなたはその雲を自分自身だと思っている

確かにそうだ
だがそれを自分とするから
あなたは苦悩に見舞われている

歩くときあなたは
どのように認識しているのか

あなたが足を一歩前に出し、
次の足を出し、そうして進む
そのように認識している

だがね本当はそうではないのだよ

あなたは一歩も動いておらず
風景の側が刻々と変化(循環)
しているだけだ

あなたが目を開いているとき、
そして閉じているとき
それを知っている何かがある

その場でくるくる回っても方向転換をしても
じっと同じ位置で眺めている何かがある

それが循環を体験しているのだ
いわば循環そのものがそれだ

だから何も動いてはいないし
何も過ぎ去ってはいない

すべての解釈は
水中で水を汲もうとしている行為と同じである
深い水中で沈めたバケツは
空なのか、それとも満杯なのか
どちらでもなければ、どちらでもある
ただ「水中」なのだよ

 

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