世界という映像を見ている者

朝目が覚めると同時に
憂鬱な気分になるならば
あなたの覚醒はすぐそこだ

なぜ気分が重いのかといえば
現実での問題が
どうのこうのではないのだよ

単についさっきまで
深い眠りの中にいたからだ

幸福すらも必要ない
なにもない至福の中
“それ”に包まれていた

ゆえにあなたの朝は気が重く
形容しがたい虚無感に襲われる

まるで子宮から産み出された赤子のよう
彼は母の胎内で幸福も不幸もなく
ただ存在していた
求めることも思考することもなく
何の主義主張も掲げることもなく
我ここにあり、を表現していた

ところが出産のときがくる
至福の”外”なんて知らない
概念すらない

突然に天変地異が起こる
重力の次元にシフトする
何の予測もなく
彼は引きずり出される

「私」が誕生する

そこで初めて恐れという感情を経験する
真っ新な白紙に最初に
書かれた言葉が「恐れ」だ

だがそれは彼が世界に堕ちてきたのではなく
彼の中でドラマがスタートしたということ

間違えてはならないよ
一人称と三人称のトリックを見破りなさい
あなたの世界で人は産まれてくるが
あなたは産まれてもいない

三人称とはいわゆる神の視点だ
だから自分自身を
その世界の中の一人としてはならない
あなたの世界にあなたはいる
だがそのあなたはあなたではない
完全な別人だ

彼が苦悩しているとき
あなたが苦しいのではなく
その世界が苦悩しているのだ

「とあることを考えていたら
連鎖的に関連することが起こった」
そんな話がよくあるが
それは世界の中のあなたを
自分として見ているから不思議に感じるのだよ

実際はすべてあなたの手中にある

 

世界は映像

あなたの見ている世界とは
心の情景が細部まで起こしている

だから世界は気分ひとつで変わる
心地良い音楽を聴くだけで
煩わせる面倒事が消滅する

またどこかの誰かの酷い光景を目にしたら
嫌な気分にもなる
世界はグレーになる
すると嫌な出来事が頻発するようになる

つまりそこにいるあなただろうが
名前を知らない他人だろうが
世界はすべての影響を受ける
引き寄せやら、なんたらと言われるが
そうではなく
世界はあなたの影響下にあることを
証明しているのだ

だから覚えておきなさい

良い気分も悪い気分もどちらもドラマ
母親の子宮から追い出されたという
第一回目から現在も連続放映中だ

出てきたのはあなたではなく
あなたの世界のキャストのひとり
あなたは産まれてもいない
“あなた”はそういうものではない

すべては心が作り出しているということ
そして、何が起ころうが
“あなたという領域”をはみ出ることは
決してないということ

その理解を踏まえた上で
目の前のことをやっていきなさい
そこで見えている世界は
映写機から投影された映像なのだよ

朝の目覚めの重さから
それがドラマであることを悟りなさい

固いものもない
手がそのように解釈していることを
“観ている”のだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. より:

    何はともあれ、意識する瞑想で目の前の危機を乗り越えました。
    ありがとうございます。自分。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      よろしい
      だが危機を乗り越えたのではない
      そのように起こっただけなのだよ

      あなたは何もしていない
      何かをしてたように思えるのは
      自分と同化しているからだ

      距離を保ってみなさい
      自分と
      その自分を観ている者との距離を
      常に取っておくことだ

      その距離が悟りだよ

      離れて眺めていると
      その人間ボディはどんな瞬間も
      奇跡的にやり遂げてきていたことに
      気が付くだろう

      植物は動かずして繁栄している
      彼らは自らに意識を置かず
      世界の中に自分を観ているのだよ

      だから同化してはならない
      そこに置いてある
      リモコンになりたいかね?

  2. より:

    なるほど。でも失敗したり打ち首になる人も居ますよね。
    奇跡的にぜんぜん駄目なパターンは、それはそれとして、その悲劇を見守るしかないのでしょうか

  3. より:

    ちなみに、今回、私、全然成功していません。むしろ失敗です、見るも無残ですが、自分と距離を取っていたので全くダメージを受けなかったと言うことです。
    言わば自分の打ち首を冷静に見ていたと言う意味で、心の安定が揺らぐ危機を乗りきった。
    そんな感じです。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      奇跡というのは
      成功を続けるという意味ではないよ

      あなたが離れた距離で
      自分を見守るとき

      あなたの体は本当に
      よくやっていることがわかる

      あなたというスピリットに
      多くの思い出を残すために
      彼はその生涯を注いでいる

      成功や失敗という「内容」を
      捨てなさい

      雨が降れば濡れ
      日照りが続けば枯れるだけだ
      それを見守ってあげなさい

  4. ワモノ より:

    「世界という映像を見ている」状態と「主体的に生きる」状態というのは違った在り方なのでしょうか?
    世界という映像を見ている者はおそらく「それ」であって在り方と表現するのも違う気がしますが、主体的に生きるということとはまた異なった視点なのかなと思いまして

    私の解釈では
    前者は身体や思考を含めた世界すべてをあるがままに見ている者、流れに乗っているのではなく流れている様子を見ている者
    後者は身体の中で流れに身を任せて五感を楽しんでいる者
    です

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      以前にこんな手記を書いた。だがこれらは「全体」へ向かういくつかの道に過ぎない。まずそれを頭に入れておきなさい。

      瞑想とは私たちが「何の理由もなくここにいる」ということに気がつくための手段だ。単なるツールに過ぎない。ゆえにあなたのように、そして方々で語られるように、「手段」に対してはいくらでも解釈が起こる。

      大事なのは「なぜ解釈をすることができるのか」であり、解釈そのものは、現時点での自分の納得にしかならないのだよ。そこをまず押さえておこう。

      「世界という映像を見ている」はスピリチュアルでは自己観照という言葉を用いられる、そして「主体的に生きる」は自己想起となる。後者は自己イメージの確立であり、外側(現実)に流されて見失いがちな、自分自身をしっかりと繋ぎとめておくメソッドだ。

      この状態を目覚めという。外部に何の影響も受けず、地球全体が自分だけの自由な空間になる。途端に変化する。外部からの目で生きていないので、そこに誰がいようが相手に意味を与えることもない。言葉は平坦だが、まさに「どうでもいいこと」になる。

      強がりでも現実放棄でもなく、本当にそれがどうであるかなど、自分にとってまるで必要のないことになる。つまり「解釈」をしなくなる。

      そしてその自己想起が深まると、それ自体が「全体という気付き」であることがわかるようになる。つまり自然と観照にシフトすることになる。

      さて、いま私がこれを書いているね。あなたは「涅槃の書の人が私のために書いている」と捉えるが、そうではないよ。私が書いているのではなく、あなたが読んでいるのだ。

    • ワモノ より:

      自分さん返信ありがとうございます

      >大事なのは「なぜ解釈をすることができるのか」であり、解釈そのものは、現時点での自分の納得にしかならないのだよ。そこをまず押さえておこう。

      そうですよね(笑)
      なにかにつけて解釈して納得しようとする癖はなかなか抜けないですね
      いや、これも癖が抜けにくいと思っているからなのでしょうが

      >さて、いま私がこれを書いているね。あなたは「涅槃の書の人が私のために書いている」と捉えるが、そうではないよ。私が書いているのではなく、あなたが読んでいるのだ。

      ここについては自分さんがこれまでに何度も仰ってたことなので理解しているつもりです。あくまで「つもり」ですが

      自己想起と自己観照ですね
      覚えておきます

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      質問が起こるとき、その質問内容よりも「なぜ質問することが可能なのか」を探ることだよ。これは日常生活すべてに真理の鍵があることを意味する。

    • ワモノ より:

      >「なぜ質問することが可能なのか」を探ることだよ

      正直、全然わからないのですが探ってみます

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      わからなくて良いのだよ。わかろうとすると要点を逃してしまう。「わからない」をあなたはわかったのだ。矛盾をそのまま眺めなさい。人生もそのようにありなさい。

    • ワモノ より:

      「そうか、ただ見てるだけで良かったんだ」

      先程、ふとそんな納得が起こりました
      理由はわかりません

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      そうすべてに理由はない。ゆえに理由を見つけるとき、それは偽りのものとなる。何かを見ているとき、その対象物に囚われるのではなく、それを見ている自分を見なさい。

      現実は途端に崩壊するだろう。なぜなら対象物に意味が与えられないからだ。私たちは言葉の世界にいる。あなたが言葉(意味)を与えないとき、すべては個別の存在性を失い、そしてあなたそのものとなる。

  5. komatta より:

    朝、毎回、憂鬱です。目覚めなければよかったと。
    三人称の意味が解りました。

    だけど悟りが間近と悟りに関心あるわけでなく
    他の方のコメントが気になる。
    失敗して打ち首ってなんでしょう。

    自分さんのお話はとてもホッと安心するものも多いですが真理に近いなと思うものほど、たまらなく怖く神から脅されてるような気になる時があります。私、特有の見え方なのでしょうか。

  6. ワモノ より:

    質問を書きかけてわからなくなりました
    質問があってそれを書いてる私がいて、私が質問するところを私が見ているのならこれは誰が誰に宛てたメッセージなのでしょうか

    「なぜ質問することが可能なのか」
    依然分からないままのこの問にようやく辿り着いたような気がします

    • 涅槃の書-自分 より:

      ワモノさん

      >質問があってそれを書いてる私がいて、私が質問するところを私が見ているのならこれは誰が誰に宛てたメッセージなのでしょうか

      あなたは「神」を通過させるための門としてそこにいる。そうして神は神を知る。これを理解するといい。

      >「なぜ質問することが可能なのか」

      とても良い洞察だ。可能であるのはあなたが門を開いたからだ。だが問いは答えを導くものではない。探せば再び門は閉じられてしまう。

      なぜなら「問いが答え」だからだ。問いは問いとしてそこにあるとき、神はひとつになる。「問」という漢字をよく観察することだ。その絵の通りだよ。

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