生活苦という幻想から抜け出す

余裕のある生活を送ることは良いことだ。だけども余裕を生みたいがために何かをするというのは転倒している。それは「見えない制限」のなかで足掻いているだけとなる。よっていつも虚しく、そしていつもどこか絶望の香りが漂っていることになる。

そうした理由のわからない人生の苦しみ、またその苦しみから抜け出そうとしていることの苦しみ、それらがいったい何であるのか、どうすればその苦から抜け出せるのかについて考察しよう。

ある円満な夫婦

知人夫婦とたまに食事をしたりするのだけども、夫は会社勤め、奥さんは朝からパートに出ている。まだ小学生の子供がひとりいて、あと犬だけだったかな、他にも動物と暮らしていたかもしれない。

夫はその勤め先の仕事が嫌いではなく、残業も苦にならない。やればやるだけ給料が加算される。そして家事を手伝うことも楽しんでやるほうだ。食器洗いや掃除なども自ら進んでやっている。子供と公園に出かけて遊び、毎朝家族の起床前に犬の散歩に出る。彼は家庭を愛している。

ところが奥さんも働いているから、たとえば子供が病気をしたりペットを動物病院に連れて行かなくてはならないとき、またスーパーへ食材の買い物に出向かうときも、夫婦一緒に行動しなければならない。

もちろん毎日ヘトヘトに疲れている奥さんを労ってのことだ。だがそんな暮らしのなかで、夫は自分の仕事が制限されてしまうわけだ。外見的には円満な夫婦だとご近所では評判なんだが、今回はそんな彼らが私によく冗談気味にこぼしていた話がテーマとなる。

閉じ込められた世界

仕事と家庭を並行させていくというのは、それが好きなことであったとしても、それぞれに割り当てられる時間と精神力は限られてしまう。どんな天才であろうとも時間は他の者と同じだけしか持っていない。つまり天才とはいかにその能力を有効活用するかが「天才的」なのであって、それが為されなければ凡人と変わらない。

つまり彼の「天分」はそうした制限によってどんどん蝕まれていく。奥さんからのコールで残業を早々に切り上げなければならないし、いまやっているプロジェクトをより向上させるための煮詰める時間もない。新しい知識を学ぶ時間もなければ、本を買う余裕資金もない。

そして奥さんといえば、日々のパートのストレス発散のために稼いだお金を使う。「今日はお肉が食べたいわ」とか「次のお休みは家族で京都へ遊びにいこう」とかね。

それ自体は悪いことではないが、問題はストレスが溜まっていなかったら、それらの発想はそんなに度々出てこないだろうということだ。(これはこの時点での奥さんには理解不可能なのだけども、ついては後述する。)

自分を優先すると見えなくなるもの

彼女にしてみれば夫の給料だけじゃ不安だし、そもそも自分の給料からいくつかの生活費も支えている。もちろん扶養控除内でないと実質的には損であることを知っているのだけども、それゆえに控除ギリギリまで働いても良いという頭が働いてしまう。

やがて彼女は自分の先々の取り分をあてにして、リボ払いやらで買い物をするようになる。そうなると当然働き続けなきゃならないわけだ。働き続けるということは、ストレスが溜まるのであり、お肉の日やらお出かけの日が今後も約束されることを意味する。

つまり夫はこれ以上仕事に精を出すことができず、そこから得られるはずのお金も精神的な充実感も閉ざされててしまう。奥さんはそんな旦那の薄給に、自分はもっと頑張らなきゃと思うわけだ。

さらに子供やペットが病気をしたりして想定外の出費が出たとき、奥さんからすれば「せっかく稼いだお金」を、また夫からすれば「どうやって捻出すればいいんだ」というお金を、渋々払うことになる。病院にかかるとなれば待ち時間も長く、彼ら夫婦にとっては貴重な時間の損失でしかない。

もちろん子供が病気をすることが幸せであると言っているのではない。そうではなく、全体性との融合、すなわち病気の手当てをしてあげることに「本来の幸せ」があるのに、それが自分たちの幻想生活のなかで見えなくなってしまっているということだ。

その全体の大きな流れこそが「余裕」というものの正体なのである。だけどもそれはそこへ目指して向かうものではない。

得るほど失われていく仕組み

もしお金や時間について日頃から余裕を感じられているならば、ペットが怪我して動物病院に払うお金も「このために準備されていたのだ」という全体性のリズムを享受し、その波に乗り続けることができる。そこには不幸はなく満たされた喜びしかない。すべては流れのまま、起こるべくして起きたものをただ純粋に流していくことができる。

だからといって「将来の余裕」を作るために「いま」をお座なりにするのは転倒となる。たとえば彼ら夫婦はどうだろう? 彼らの言い分は間違えていない。夫は家庭を愛しているし、奥さんは人生を充実したいから個人的な消費活動をする。

だけどもそれらの実現には常に何かが犠牲にされている。その傷口を埋めるために、また別の傷を作っているようなものだ。つまりそのスパイラルが資本主義社会という神話なのである。

いまの自分が満たされていないから手を伸ばす。そうして社会が回転する。だけども手を伸ばした分だけ、また満たされない部分が現れる。だから埋め続けなければならない。社会はいくらでも回転し続ける。

こうして社会は己を活性化させるために、民衆をコントールすることに見事に成功したのだ。確かに表向きは、いわゆる往年のアメリカンファミリーみたいなのどかさがある。だがその裏側では得体のしれない虚しさが今にも破裂寸前なのだ。それがこの社会の生み出した虚構の幸福像であり、人々はその偽りの泥水のなかでバシャバシャと泳がされているにすぎないのである。

社会という憑依を解き放つ

民衆はこの世に生まれた時点で「何が楽しいことで、何が喜ばしいことなのか」ということでさえ決められた人間神話のなかにいる。すでに赤ん坊からしてそのルールのうえを走り続けている。仮にこのことを奥さんに伝えても「私に仕事をやめろってこと?じゃあ私の幸せはどうなるのよ」と怒り出すだろう。だがそれはその神話に乗っかっているゆえに発想される思考や感情にすぎず、そして掴もうとしているのは蜃気楼のように浮かんでいる幸福でしかないのだ。

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