大胆に罪を犯してみよ

異端者への処刑が横行していた中世で
命の危険を抱えながら
たったひとりで宗教改革を始めたルターだが

そんな彼の言葉に
「大胆に罪を犯してみよ」というものがある

これが単純に「罪を犯していい」と
言ってるのではないことは
彼の意志や行動そのものからわかるだろう

ルターのその後の功罪は置いておくとして
だがひとりで歴史を変えた彼の鮮烈な生き方は
現代の私たちにとって紛れもなく
偉大な教師のひとりにある

さてこの言葉はのちに彼の協力者となる
弱気だった伝導者、メランヒトンへ宛てた
手紙の一文なんだけども

実際にはこのようにある

──

お前が恵みの説教者ならば
作り物の恵みではなく
本物の恵みを人々に教えることだ

そうして作り物の罪ではなく
“本物の罪”を背負うといい

神は作り物の罪人など救いはしない

だから本物の罪人であれ
大胆に罪を犯してみよ

──

 

罪と救済

私たち人間は
嘘をついたり悪いことをするとき
心の抵抗を感じるのはもちろんだが

ところが善いと思うことをするのにも
心の抵抗感がつきまとう

まるでそれをすることで
罪を背負うかのようにね

良かれと思ってやろうとしたが
もしかすると相手に誤解されるかもしれない
裏目に出てしまうかもしれない

そんなことが脳裏をよぎって
“罪”を犯すことができないわけだ

だが善良な気持ちでしたことが
たとえ裏目に出て相手に否定されたり
そのために大きな困難を背負ったとしても
それでもいいんだよ

なぜならあなたは

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