無意味さの向こう側

誰もが人生に虚しさを感じている
何かを始めようとしても
「結局これをやって何になるのか」
そんな迷いがあなたを閉じ込める

どうせこれも
「時間やお金の無駄だった」
そう感じるのがオチだとね

たくさん手を出してきた経験があるほど
そうした末路の予感が
始めるよりも先にやってくるようになる

「やるまえからわかってる」ってやつだ

じゃあ普段何をして
生きているのだろうといえば
毎月の支払いとか明日の出社とか
そういう自分以外の何かに
決められた予定だけ

真新しいものは何もない
かといって何に手を出してもつまらない
だから予定を消化していくだけの
味気ない人生となっている

こうした人生への諦めを
まるで達観のようにいう人がいるけども
そうじゃない
彼はただ虚しいだけなのだ

なぜ虚しいのかといえば
いまある現実という理屈のなかで
世界の答えを全部知ってしまったからだ

タネを知っている手品ほど
つまらないものはないとね

それは間違えてはいない
どんなゲームもそのルールの中でしか
それを遊ぶことができないのだから

 

1.

ところで17世紀にニュートンが
万有引力の法則を発見した
学校で教わっただろう

物を手放して落ちるのは
地球と引き合っているということ
つまり引力というものがあるかららしい

あなたはそのことを学んで
以後その覚えた理屈を
物が落ちるときの説明に結びつける

「これは引力があるからだ」

しかしその理屈はいったい
何の役に立っているのだろう?

つまりあなたは
「万有引力がある」ということを
どのように人生に役立てているのか

このように問われると違和感を感じるだろう

「ただそれはそういうものだ」という
前提が植えついているだけにすぎず
その理解のうえで単に物事の説明に
使ってきただけなのだから

でも妙だね

これほどの世紀の大発見は
人類にとっての真理だというのに
私たちにとっては
ただの「説明」のためのものでしかない

別にニュートンの発見なんて
知らなくても生きていけるからだ

そもそも万有引力の法則というのは
その理論が発見される以前から
そしてあなたが学校で学ぶ前から
日常的にごく普通に働いていたものだ

いわば「当たり前のもの」を
わざわざ学術的に細分化して
切り出しただけにすぎない

そこにずっとあったものを
「これは特別な何かですよ」と
リボンをつけて提示されただけでしかない

だから「役に立つもの」ではないのである
最初からそれはそこにあったものだからだ

またコペルニクスの地動説も同じ

確かにそれまで地球のまわりを
太陽が廻っていたという認識が
実は地球の方が廻っていたという発表は
センセーショナルなものだっただろう

どこをどうみても朝になれば太陽は
東の地平線から昇ってくるからだ

誰もが驚いただろうし
それを支持したガリレオは宗教裁判にも
かけられて名誉も信仰も剥奪された

この地動説の発表は人類史上に残る
大きな事件とされる
それまでの常識がひっくり返ったからだ

だがいいかい

これはコペルニクスが自らの力で
それまで周回していた太陽を封じて
地球を動かしたということではない

太陽と地球の関係は
以前からなにも変わっていない」のだ

人間はいったい何を騒いでいるのだろう?

 

2.

ではニュートンやコペルニクスたちが
この何も変わらない全体から
「わざわざ切り出したもの」
それはなんだというのだろうか

これこそまさに
「まったくの無意味なこと」ではないかな
あなたが何か始めようとするときに
口にする定番のあれだ

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