自然のままに強烈に在る

勢いを感じさせるものは好きかね

ハードな音楽
格闘技
漫画でもいい
何かスカッとするようなもの
映画や小説、ゲームにスポーツ

最初の衝動が強烈なのだ
まさにクリティカルな一撃となる
それはあなたを「今ここ」に誘う
時間を超えた空間
あらゆる苦悩が消える瞬間だ
あなたは世界そのものに溶ける

だが賞味期限が過ぎてしまうともうだめだ
マインドでそれを追ってしまう

「今に在る」は
マインドの対極にあるからだ

同じ興奮をしたくて
その後にどれだけ音楽を集めても
最初の衝動は起こらない

あなたが純粋に刺激を受けたとき
宇宙を駆け巡る彗星そのものだった
その先頭に立っていた
向かう先?
軌道がどうかなんて頭にない
すべてはあなたの後ろに残る
いつもの計算的な意識は消え
肉体が感じる空気
温度や湿度
鼓動
呼吸
そこにあるものを
ただ感じているだけの存在

好みの異性がいれば平気で声をかける
うまそうな飯があればガツガツと食らう
NOはNO
YESはYESだ
いつもの躊躇はない
肉体は動き回る獣となり
あなたはその光景を見ている者となる

月夜の下
地球の表面を感じながら
どっしりと歩くその姿
野生的で本能的
その姿を取り戻しなさい
それがあなたの本来の姿なのだよ
地球の循環に身を委ね
強烈に存在しなさい
鮮烈に在りなさい

何を恐れると言うのだ?
生も死も
ただ感じるだけ
誰もがあなたの後を追うだろう

原生のものになりなさい
マインドの欲望ではなく
肉体が求める欲求だけを満たしなさい
食って寝て遊ぶ
笑って泣いて叫ぶのだよ

人生は短い
それをどれだけ正義のために使えるか
挑戦してみなさい

常に自由でありなさい

大自然の如く
そのままに生きなさい
世界はそんなあなたを待っている

 


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  1. ガルシア より:

    こんにちは、自分さん。

    まだ、“至福”や“包まれている感じ”についての理解は頭の中を超えず体験へは至っていないのですが、私の人生が大きく流れ始めたように感じます。

    何をすれば、自分の“生”が流れるのか、循環するのかわかったのです。

    自分の生命が、体内からハートへ沸き上がっているのを感じます。
    自分の人生を生きるという感覚があります。

    自分の人生を生きられるなんて!
    嬉しいです。
    幸せです。

    自分さんが、なぜ涅槃の書を書いていらっしゃるのか、ハイスピードで手記を更新なさるのか、私たちにコメントを返してくださるのか、わかったような気がします。

  2. 自分 -涅槃- より:

    ガルシアさん

    こんにちは

    よろしい
    私は何もしていないのだよ

    あなたもいずれ
    自分は何もする必要がなかったということに
    気が付くだろう

    すべての重さが消えるだろう

    • ガルシア より:

      循環に気がつく数時間前、自分をやめるに思いが至ったら、電源がパチンと切れたように思考が止まり、頭の中が静かになりました。

      すると気がつきました。
      怖くないのです。

      次元が変わろうが、世界が崩壊しようが、自分は大丈夫そうな様子でした。
      大丈夫そうというか、正確にいうと、そんなことも思っていない様子でした。
      不思議でした。涙が出るほどあんなに恐れていたのに。

      この週末は、仲間ととても楽しく過ごしました。
      猛暑の中、一日中歩き回り、身体はクタクタでしたが、心も肉体も、私は幸せでした。
      帰りの電車の中で、隣に座る仲間に対して思いました。

      「一緒にいてくれてありがとう。私のそばにいてくれてありがとう」と。

      すると同時に、以前コメントに書かせていただいた、私が涅槃の書を読むきっかけとなった今では会えなくなっている大切な人に対して、自分の内側からこんな言葉が浮かび上がってきました。

      「私のそばにいてくれなくてありがとう。私のもとから離れてくれてありがとう。私を一人にしてくれてありがとう」

      大切なその人がそばにいてくれることと、そばにいてくれなかったことは、まったくの同質でした。
      そこに違いはありませんでした。

      そのとき、心の中のその人の姿と、電車の窓から見える夏の夕方にキラキラと輝く木々の緑と太陽の光が、私の中で同化していました。

      心はとても穏やかで、世界は光と響き合っていました。

    • 自分 -涅槃- より:

      ガルシアさん

      そう、恐怖は自らが作り出している
      それは無知だったからだ
      無知というのは
      それを見ようとしなかったからに過ぎない

      いずれあなたは「それ」を知るだろう

      知ってしまえば
      「知らなかったから迷っていた」
      ということがわかる

      ごく単純なことだったのだと
      あなたは気が付く

      あなたのコメントは美しい

      なぜならば
      すべてがあなた自身だったことを
      見ているからだ

      あらゆる思い出は
      あなたのことだ
      神とはあなたのことだ

      何に恐れるというのだろう?
      ずっと包まれているというのにね

  3. りお より:

    自分さん、お返事ありがとうございました
    「いじめ、人間関係を超越して自由になる」と合わせて理解を深めたいと思います
    また、心配無用とのことで安心しました
    大変失礼しました

    さて、私はこの記事にある、獣タイプの人間がどうも苦手です
    大自然の中とは違い、人間の生活エリア内では、
    獣は動物園で鉄柵の中に閉じ込められていますね

    また同じ人間でも、本能のままに動き周囲に危害を与える危険な人物は、
    それらの獣類と同等の扱いを受けることになるわけですが
    このあたりについて、どのように理解すればよいでしょうか

    • 自分 -涅槃- より:

      りおさん

      あなたがそれを拒むということは
      それを出現させているということだよ

      いつもの言葉だが
      あなたがそうならばそうなのだ

      それが世界の大前提なのだよ

      例えばいまこれを停車した車内で書いているが
      レンガ畳の歩道に通勤や散歩の人々が歩いている
      これを美しい光景と取ればそうだし
      悲惨な光景だと取ればそうだ

      すべては私にしかわからない

      これを理解しておきなさい
      すべてはあなたにしかわからないのだ

      つまり
      あなただけの世界が広がっている

      苦手なものは苦手だとしておきなさい
      あなたは避けようとするから
      それが消化されていないだけだ
      苦手なものは苦手
      合わせる必要はない

      その苦手なものは
      あなたに影響を与えているのではない
      あなたが影響を受けているのだ

      何かで関わらなければならないとき
      嘘の仮面を作らないことだよ
      繰り返すが
      あなたがそうであるから
      世界はそうなのだ

      誰にも責任はない
      彼らはまったく悪くない

      あなたが勝手に避けているだけなのだ
      苦手なものは苦手なのだから
      それでいいのだよ
      ただ単にそうでありなさい

    • りお より:

      自分さん
      せっかく頂いたお返事ですが、私がお聞きしたかったのはそのような話ではありません

      この記事で野生的で本能的であるように勧められているわけですが、
      自分さんは「理性」についてはどのようにお考えですか?

  4. 自分 -涅槃- より:

    りおさん

    あなたのいう「獣タイプ」の人間とは
    それはあなたの観念だ
    手記はそういう話ではないよ

    外を歩いてみなさい
    草が生えている

    彼は
    そこでそのように、
    その通りのままに存在している

    あなたもそのようでありなさい、ということだ

    彼は移動することもない
    つまり自分から何かを求めているのではない
    ではなぜ彼は彼らしくあるのだろう?

    それは前回したコメントの通り

    あなたが掲げる主義主張、
    例えば今回のように「私は〜ではありません」
    そうしたものを脱ぎ捨て
    そこにあるがままのものを
    ただ受け流していることに神髄がある

    草花であれば
    太陽、雨、風、土、虫

    何かを拒むわけでもなく
    何かを求めるわけでもない

    ここにポイントがある
    あなたが見逃している箇所だ

    彼のライフスタイルの中で
    どこに「自分」があるのだろう?

    もしあなたが
    自分というものを捨てるとき
    そこにある世界をそのまま受け流す建物となる
    参拝に来る人々を迎える寺院のようになる

    彼らはいろいろなわがままを抱えてやって来る
    だがあなたは何も言わず
    ただじっと迎え入れる寺院だ

    毎日広がる視界をごらん
    多くの人々があなたの視界にやってくる

    その中でどうして
    その寺院が自己主張をする必要があるのだろう

    あなたが「何かにならなければ」や
    「何かは嫌だ」というエゴを捨て去るとき
    つまり「自分」を捨て去るとき
    あなたは「自分自身」に戻ることができる

    何も、
    タフでたくましい野心的なガツガツした人間になれ
    ということじゃないよ
    それは自己主張だ

    それを捨てるということ

    あなた自身が何かを拒むとき
    それは世界にあるものを拒んでいるときだ
    苦手なものは苦手でいい
    それは拒んでいるのではない

    だが苦手なものを
    どうにか克服しようする姿勢は
    拒んでいる、つまり「自分」が起動している
    そこに気が付きなさい
    あなたは人々を受け入れる空間なのだ

    理性とはあなたの観念のこと

    「いまに在る」とき善も悪も超える
    善でも悪でもどちらでも良い
    それがただそこにある、となる

    だがあなたのエリアからは
    「じゃあ悪いことをしてもいいのですか」となる
    それは能動的であるからだ
    自分がどのような動きをしていこうとかという
    計画性からの悪がある
    その視点からは
    あなたのような見解になってしまう

    だが太陽、草木、雲、雨はただそこに在るだけだ
    その通りの特質だけに存在する

    干ばつで苦しむ大地を照らす太陽は悪なのだろうか
    苦しむ人々からすれば雨乞いの儀式をするぐらいだから
    それはそれは悪の象徴かもしれない
    大雨に流された人々にとって雨は悪となる

    だが太陽にも雨もただ存在しているだけ
    そこに「理性」という観念はない
    観念を持ち続ける限り
    あなたは社会的な人間として生きるが
    その姿は仮面を被っている様子と変わらない

    いまそこで身体のあらゆる部分に
    意識を向けてみなさい
    心臓の鼓動、肌に触れる空気

    そうしたものに常に気付いていることだ
    あなたという肉体が
    あなたという空間の中で存在していることを
    発見しなさい

    まずは「自分は観念である」ということを
    深いレベルまで”見てしまう”ことだ

    我々はあらゆる要素の寄せ集めで出来ている
    それらに惑わされてはならないよ

    存在でありなさい

    • りお より:

      自分さん、お返事ありがとうございます

      記事の中に、衝動、興奮、といった言葉があったので、今回の質問に至りました
      理性が働かずにそういったものが優勢になったときに、過ちを犯してしまい、後に後悔して苦しむといったこともあるので、そこが心配になったからです

      でも、自分さんはそういったことではないと仰っているので、もういいです

      身体を意識していたら、純粋な獣になれて
      理性がなくても秩序のある行動を自然に取れるものなんでしょうか
      神性の領域に入るような感じなんですかね
      本来の私が寺院で、肉体の私が寺院を守護する聖獣みたいなものでしょうか
      変態が寺院に入ってきたら、口から炎でも吐けばいいですかね
      素敵な話ですね
      やってみます、ありがとうございました

    • 自分 -涅槃- より:

      りおさん

      そうだね、
      まず心臓の音を聴いてみよう
      手などを当てずに
      身体の奥の方に意識を向けてみる

      すると胸のあたりだけでなく
      全身に鼓動が響いていることがわかってくる

      人は手を胸に当てる
      だから心臓はそこだ、と決めつけてしまう
      そうじゃない

      鼓動がそれなのだ
      つまりどこかに固定してあるものではない
      全身が心臓なのだよ

      さてその状態のまま
      今度は呼吸を探してみようか

      深いとか浅いとか
      そんなコントールをせずに
      ただ出たり入ったりする空気を感じてごらん

      全身に鼓動があり
      腹のあたりに空気が出たり入ったりする

      いいかな?

      あなたの頭から下は
      あなたとは別の生物だ

      あなたが「私」と思っているのは
      その脳に住み着いているマインド

      そして首から下は
      純粋な動物

      マインドはいろいろと心配をするが
      動物はそんなことはしない

      人間だけが自殺をする
      人間だけが退屈をする
      人間だけが希望や絶望をする

      動物はただ生きているだけ
      あなたの首から下は
      ただ生きているだけでいいのだよ
      そこに至福がある

      でもあなたは未来を怖がる
      脳は何の行動もできないから
      首から下の動物に命令する

      ひどいもんだ

      奴隷に乗っかって
      鞭を打っている役人と変わらない

      だからまずあなたがすべきことは
      首から下の彼女を愛してあげることだ

      あなたの子孫はすべて
      あなたの身体から生まれてくる
      その系譜が続いていく

      それは生物の歴史だ
      決して、あなたの歴史ではない

      彼らは彼らなりに
      うまくいくようになっている
      なぜならば思考がないからだ
      そもそもそこに彼がいる時点で
      自然の循環に則っている

      あなたが心配性なだけだよ
      だからいつも身体に聞くようにしなさい

      何か物事を考えるときは
      脳ではなく
      身体に考えてもらいなさい

      四肢を感じなさい
      歩いているときも
      食べているときも
      いつも感じていなさい

  5. りお より:

    自分さん
    懇切丁寧なご指導をありがとうございます

    昨日から試しているのですが、
    身体が熱くなるし振動しているように感じました
    記事にあるとおり、どっしりとした感じになりますね
    寺院の例え話がしっくりきたこともあり、何ともいえない安心感に包まれました
    どこまで行っても、私は寺院でお留守番をしている幸せな獣で、
    やってくる景色や人々を眺めることができました

    昨日と今日で合わせて、20,005円の臨時収入がありました
    (5円玉は拾いました、私は幸せな気分のときによくお金を拾います)
    これって、寺院のお留守番手当ですかね 笑
    偶然かもしれないし、まだ何とも言えませんが
    嬉しかったです
    続けたいと思います

    身体に考えてもらうっていうのが、まだよくわからないのですが
    例えば、大切な予定があるのにどうしても体調が悪いときなどは、無理をせずにキャンセルするだとか
    そういったことでしょうか?
    それだったら過去に何度か経験していて、キャンセルしたことで難を免れたことがありましたが
    あとは、オーリングテストっていうのもありますけど・・・
    でも、そんなことをしなくても、いろいろわかるようになるんでしょうか?

    自分さん、突っかかるような質問の仕方をしてしまい申し訳ありませんでした
    読み返して、何でこんなにムキになってしまったんだろうと思います
    自分さんが仰るとおり、消化できていないものがまだまだ残っているみたいです
    本当にすみませんでした

    • -自分- 涅槃 より:

      りおさん

      誰もが外側に何かを求める
      喜びや興奮、退屈しのぎ
      いつも待ちわびている

      だがすべては内側にあるのだよ
      本書の手記のすべては
      内側の宝物を見つけるための地図となる

      あなたが路頭に迷ったり
      不安や焦り、憎しみなどに駆られたら
      「いま自分はそうなっている」と
      見るようにしなさい

      ずっと見続けるようにしなさい

      見ている限りそこに同化はしない
      あなたはその感情でも肉体でもないのだ
      そこに気が付けば
      すべての感情は消滅する

      体調が悪いならば
      予定をキャンセルしなさい

      それが大切かどうかという解釈の時点で
      外部に囚われている
      つまり意識が外側に向いているということ

      そうではなく
      あなたが「大切な予定」なのだ

      あなたがそこに参加すれば
      それは大切なこととなり
      参加しなければ
      参加しないあなたが大切なこととなる

      どんな場合であれ
      いつも内側に意識を向けることだ
      それが基本となる

コメント・質疑応答

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