間違いをやめて人生を楽しくする

生の醍醐味とはなんだろう
マインドがこの世を去るとき

「マジで最高!めちゃ楽しかったあ!!
こんなぶっ飛び体験できてホント良かったー!
絶対また来るね!ありがとう〜〜!!!」

そのように世界に感謝を
述べることが出来るかどうかだ
実際そのセリフの通りなのだ

だがなぜあなたはそんなにも不幸なのだろう

「もう二度と来たくありません」
「やり直せるなら一回死にます」
「あの人みたいな人生ならそりゃいいよな」

ポジティブとネガティブ
その違いとは
あなたの意識がどこに向いているかだけ

ただそれだけなのだ

学祭の催し
社内のプロジェクト
アミューズメントパークに遊びにきたとき

なんでもいい

あなたが大勢の中にいるとき
どんな心境になっているかね?

個人的な感情に浸食されているならば
あなたは不幸だ

自分の意見を持ち
そこが退屈ならば
何か楽しめること、喜べることを探す

「自分の道は自分で切り開くのですよ」
あなたはそう意気込む

だがこれが不幸のはじまりとなる

何が悪いのかわからないだろう
あなたはこの生き方をしてきたから
これを美徳としてきたから
いまそこで不幸なのだよ

これはマインドの罠
決して冒頭の明るいセリフは吐けない

 

意識の場所

あなたが周囲に注意を置いているならば
意識は外側に掴まれている
外側から自身を見ることになる
構図としては「世界の中の自分」だ

その髪型や作法、常識
それらは「あなた発」のものではなく
他者からどのように見えるか、
それを起点としている

そしてその中での「自分の意見」
それはなんだね?

周囲を意識するあまり
あなたは河で流れることのできない岩だ
流れの中で
流されまいと必死に立ち踏ん張っている岩

「楽しめることを探す」
それはどこから探すのろう?
探して見つからなければどうするのかね

仮に何かを見つけたとしても
その輝きは手にした途端に失われ
あなたは探し続けることになる

なぜ自己啓発が
あなたを不幸に導くのかといえば
アイデンティティの形成がテーマだからだ
エゴという種を鍛え上げることで
社会の荒波に抵抗する力を備え付ける

幸せになりたい
誰にも負けたくない
安心したい

世界の波とはエゴにとって脅威だ
だからあなたは自己を強めていく
そうして悪性腫瘍がどんどん成長する

一見、素晴らしいことが書いてある

「自分の道は自分で切り開け」

それは世界に背いている姿そのもの
流れることのできない固形物になれということ

人はここに思い違いをしている

エゴを磨くほどその重量は増していく
河の真ん中で固定された巨石となる
「私が進んでいる」
「世界を切り開いて進んでいる」
と錯覚する

だが実際は
同じ場所で留まっているのだ
進んでいるように見えるのは
世界という河が流れているだけ

覚えておきなさい
あなたが自分の考えを持てば持つほど
そこで固まってしまう
実際には進化などしていない
それどころか
世界に置いてけぼりにされているのだ

そうしてある日、気が付く

「なんだかおかしい」
「こんなに懸命にやってるのに
なんでこんなに辛いのだろう」

無力さをそこで知る
自分の力で生きてきたとすればするほど
絶望感は大きい

生きていく術が見当たらなくなる
気力が失われる

これまで実力以上を発揮してきたのに
1mmも進んでいなかったからだ

しかも世界はあなたを通り越して
どんどん過ぎていく
光景はムンクの叫びそのものとなる

よろしいかね?

 

ディズニーランドへ

さて世界とはそんなものなのだろうか

殺されるために
戦場へ投下される兵隊なのだろうか?

何をやっても満足感はなく
足を止めれば後ろから迫る壁に潰される
世界とはそんなもの?

いいやそうじゃない

ただあなたが「世界の中」にいる限り
その地獄は続く

休日に家族でディズニーランドにきた
あなたは明日の会議で頭がいっぱい
家族は「もっと楽しみなさいよ」という
まあそうだな、と何か楽しめることを探す
ミッキーにドナルド、どれも興味はない
あそこでビールを売っているようだ
あなたはその場をアルコールでやり過ごす

ふと目をやった先に、仲良さそうな家族連れ
高級そうな服を着ている
旦那の腕にはロレックスデイトナ
奥さんの腕にはエルメスケリー

炎天下で酔いの回ったあなたはこう思う

「別にロレックスとか興味ないしお好きにどうぞ」

以前読んだ偉人の名言を思い出す
そう、自分には自分の道があるんだ、と

そして、かねてから欲しかったブランド時計を
スマホでチェックする
賑わうテーマパークの隅に座り
ひたすらスマホの画面を眺めている

「自分もこれを身につけてたら
周りから羨望されるんだろうなあ」

そんなことを思っていると
周囲の人々の目が気になり出した
今日は前髪がいけてない
「なんでこんなに風が強いんだよ、もう!」

これがあなただ

自身の惨めさを
さらなるエゴの強化で誤魔化そうとする
その根底にあるのは
外側に魂を食われてしまっているということ
つまり自分の側に意識の光が
灯されていないということだ

これがどうして
ディズニーランドを楽しんでいるといえる?
どこをどうみたら
世界を楽しんでいるように見えるのかね

流れる世界の中で
「自分のスタイルはこうだ」と固持することが
ポジティブというのかね

それが”自己啓発”だ

あなたはそんなモヤモヤのために
生まれてきたのだろうか?
それじゃいつまで経っても
落ち着くことはない

 

意識の向きを変えるだけでいい

あなたはいう

「だって、自分の欲しいものとかなかったら
生きてる意味ないじゃないですか」

「それすらもやめろって言うんですか?」

いいや、それは結構なことだ
だがあなたは「孤独感」から
それを見いだしている

なぜ自分の旗を立てるのかといえば
それは世界が怖いからだ

それすらもなくしてしまうと
自分の意味が見えなくなる

何のために頑張って生きてきたのか、
周りは楽しそうなのに
自分だけが楽しんじゃいけないのか

そんなことばかり

そりゃそんなことを考えてたら
そういう思考に行き着くだろう

本書に尋ねてくる人の多くが
このカルマから抜け出せていない
私が「それをするから苦しいのだよ」と言えば
大体は「じゃあどうしろっていうんですか!」だ

根本を変えなさい

“世界にあなたがいるのではなく
あなたの世界がそこにあるのだ”

意識の向きが違うことに気が付くかね?

“あなたから”世界を見るとき
欲しいものを手に入れれば良いし
ひたすら「生きる」ことをすれば良いだろう

それが自由というものだ
やっていることは同じようでありながら
その質はまったく違う

世界に道を探してはならないよ
いつも未確定でありなさい
道を探して
それを歩むことをマイウェイとするのは
まったくの勘違いだ
そんなものあなたの道じゃない
外部に支配された道なのだ

人々は「これが私」とばかりに
自信の笑みで闊歩しているが
それは自分で歩んでいるのではなく
歩まされている
いずれ自分は置き去りにされていたことに
気が付く

道はあなたの前にはなく
後ろに作られるのだ

いいかい
目の前に道がないという事は
常に未確定であるということを意味するのだよ

宇宙から地球にやってきた
エイリアンの”初日”のように生きなさい

人だろうが物だろうが出来事だろうが
対象に引き摺り込まれないように
常にクールでありなさい
いつも”あなた視点”でありなさい

この世にあるものは
すべて同じものだ
あなたの内側に意識が灯るとき
それを知ることになる

だからその場その場を駆け抜けるのだ
そこにある「いま」だけを感じなさい
「何も知らない」という生き方をしなさい

何かを目標として
その道を心の拠り所にするのはやめなさい

「他人を気にせず生きるとき
何があるのだろう?」
それを常に考えておきなさい

空を焦がす火の玉になりなさい
先もなければ後もない場所に立ちなさい
大海原で流れゆく
船首の先を居場所にしなさい

あなたから世界を生きるとき
人生はエキサイティングなものとなる
そのスリルの内側で
いつも温かいものに包まれることを
実感するだろう
あなたがクールゆえにそれは起こるのだ

そしてあなたは
あなた自身に包まれていることを悟る
世界はあなたのものだった
あなたのために世界があったのだ

「マジで最高!めちゃ楽しかったあ!!
こんなぶっ飛び体験できてホント良かったー!
絶対また来るね!ありがとう〜〜!!!」

墓に刻みなさい
刻むことで世界は悟るだろう
あなたの次回の生は
あなたのお陰でとてもハッピーなものとなる

 


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コメント・質疑応答

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  1. サボ より:

    自分さん

    >“あなたから”世界を見るとき
    欲しいものを手に入れれば良いし

    ここのところをもう少し私レベルでもわかるように噛み砕いてもらえませんか?

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      やあ元気にしているかね

      世界に幸せを探すのではなく
      幸せなあなたが世界を歩くのだよ

      つまり世界を起点にするから
      色々探さなければならない

      そうではなく
      「あなた」を起点としなさい

      誰かがあなたを笑ったところで
      それは彼らが笑ったのだ
      あなたが笑っているのではない

      あなたにはまったく関係のないことだ

      あなたが笑うときに笑えばいい

  2. サボ より:

    自分さん ありがとうございます

    ところで

    >誰かがあなたを笑ったところで
    それは彼らが笑ったのだ
    あなたが笑っているのではない
    あなたにはまったく関係のないことだ

    これは他人のことなど気にするなということなのでしょうか?
    それとも何か違う意味があるのでしょうか?
    というのが

    >“あなたから”世界を見るとき
    欲しいものを手に入れれば良いし

    私が他人のことを気にすることと、欲しいものを手に入れることはつながらないように思えます。
    例えば私がマンションが欲しいとします。
    私がそれを手に入れるためには、私が他人のことを気にしようがするまいが、金があるかどうかにかかってきます。
    他人のことを気にしなければ、金が入ってくるのでしょうか?

    どうもよくわかりません。

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      >これは他人のことなど気にするなということなのでしょうか?
      それとも何か違う意味があるのでしょうか?
      >他人のことを気にしなければ、金が入ってくるのでしょうか?

      その質問の時点で
      あなたの観念がベースになっていることがわかる

      他者はいない、私がそう言うとき
      それは
      「他者を木のように見なさい」
      「他者をただの絵柄のように見なさい」
      そういうことを言っているのではない

      そのように捉えている時点で
      すでに外側に意識が持っていかれているということ

      ひとつ話をするが
      いまはまだ理解には到達しないだろうから
      ただの思い込みでいい

      あなたの生きている世界とは

      「あなたが見たときにだけ
      その光景がそこに起こっている」

      もしそうだとしたら
      あなたの中で何が変わるだろう?
      少し考えてみなさい

      誰もが幼少の頃にやる遊びだ

      目を閉じたら世界は止まっていて
      目を開けたら動き出す
      自分の後ろには世界はなくて
      振り返ればそこに現れている

      その遊びが
      もし本当だとしたら
      あなたの中で何が変わるだろう

      同じであるということはないはずだ
      なぜならば
      あなたは社会や他人を意識して生きているからだ
      それが消え去る

      つまり、あなたがその世界の
      最重要な存在となるわけだ
      あなたがいなければ
      その世界はなく
      あなたの見方ひとつで
      世界の色が決まる

      それはわかるね?
      まだ「思い込みゲーム」の域だがね

      では、
      マンションを手に入れるためには金がいる
      その思い込みはなんだろう?

      外を歩けば8歳の少女が笑顔でやってくる
      あなたに何かを伝えようとしている
      あなたは「なに?」と聞こうとしたとき
      少女の身体に巻かれたC-4が爆発する
      でもその現実はあなたの世界にはない
      その思い込みはなんだろう?

      思い込みゲーム、
      それを思い込んでいるのは誰かね?

      あなたが社会に対して悩み事があるならば
      それは一体なんだろう?

      社会があなたに当て付けてきているのか
      それともあなたがそのように思い込んでいるのか
      どちらなのだろうか?

      さらに踏み込もう

      あなたがマンションなどいらないとするならば
      マンションを手に入れるためには金がいる、
      その思い込みすらも消えるのではないかね

      つまりあなたが望むものに対して
      必ず何かが影のように付きまとう

      ではあなたの「望み」とはなんだろう?

      それは「マンションが欲しい」ということなのか
      それとも
      「マンションを手に入れるには金がいる」ということなのか

      これはあなたの想起の種を示している
      まだ理解できないかもしれないが
      一度、あなた自身のそのあらゆる望みについて
      本当に望んでいるものは何かを書き起こしてみなさい

      何も考えず
      ただ書き起こすのだよ
      意外なものが浮かびあがるはずだ

      その「本当の望み」が
      まさにあなたの現実を作っていたことを知るだろう

      つまり
      あなたの願いはすべて叶っていたのだよ

      要は
      あなたの観念がその世界なのだよ

  3. サボ より:

    自分さん
    ありがとうございます。

    >では、
    マンションを手に入れるためには金がいる
    その思い込みはなんだろう?

    外を歩けば8歳の少女が笑顔でやってくる
    あなたに何かを伝えようとしている
    あなたは「なに?」と聞こうとしたとき
    少女の身体に巻かれたC-4が爆発する
    でもその現実はあなたの世界にはない
    その思い込みはなんだろう?

    これは単純に経験だと思います。
    ただここで自分さんが言われていることは、経験は「観念」からくるということのようにも思えますので、

    >これはあなたの想起の種を示している
    まだ理解できないかもしれないが
    一度、あなた自身のそのあらゆる望みについて
    本当に望んでいるものは何かを書き起こしてみなさい
    何も考えず
    ただ書き起こすのだよ
    意外なものが浮かびあがるはずだ
    その「本当の望み」が
    まさにあなたの現実を作っていたことを知るだろう

    をやってみようと思います。
    またよろしくお願いします。

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      よろしい
      あなたが話を受け入れたなら
      「受け入れた」なのだよ

      いつも船首にいなさい
      それが生だ

  4. 情けない男 より:

    自分さん こんにちは

    お陰さまで少し霧が晴れてきました。

    質問ですが、意識を置く場所は内側でしょうか、外側でしょうか?

    自分が観客としてスクリーンに写っている映画を観ている視点なのか、自分自身が映写機としてスクリーンに投影しているの映像を観ている視点なのか?

    スクリーンが本来の自分なのか、映写機が本来の自分なのか?意識を置くべきはどちらでしょうか?
    映写機の視点に立てば自分が神であるというのは理解出来ます。

    説明が難しくてすみません。
    全体の中の個として観るのか、個として全体を観るのかという質問です。

    前者が東洋思想で、後者が西洋思想の見方に近いと思いました。

    自分さんのお陰で自分の内に存る(生まれた時から今まで変わらず在る)ものにも触れた時、安心がありました。

    また、世界は意識(観念)の投影だとも解りました。

    ありがとうございます。拝

    • 自分 -涅槃- より:

      情けない男さん

      こんにちは

      意識を置く場所を先に考えるよりも
      どこに意識が”向いているか”を調べなさい
      置き場所は結果的なものだ
      向きさえ正しければ
      どちらでもいい
      なぜならば、その世界の裏側は
      あなたの意識で満たされているからだ

      「置き場所」と伝えているのは
      説明としての便宜的なものだ
      いずれ、すべてに己の意識が行き渡ることになる

      だから「向き」だ

      誰かと話をするとき
      あなたはその相手を意識するだろう
      「こう言った方がいいかな」
      「こう受け取られてるかな」
      それらは恐怖心から来ているのだ

      なぜ恐怖かといえば
      あなたがコントロールできるものではないからだよ
      だから意識は「相手からこちら」に向かう

      つまり、あなたは自分自身を生きておらず
      「相手からこう見えるであろう自分」を
      生かされていることになる

      それが不幸のはじまりだ

      では恐怖を取っ払って
      相手と対峙すればいいのか、というのも違う
      その解釈の時点で
      相手を意識しているからだ

      じゃあ相手を意識せず
      自己中にやればいいのか、というのも
      相手に意識を握られているから起こる発想だ

      根本的に違うのだよ

      まず相手がそこにいたら
      そこで何が起きているのかを見つけなさい
      つまり世界があなたに送るメッセージは何か
      それを掴む必要がある

      相手が視界にいるなら
      「見ること」が起こっている

      相手が言葉を発しているなら
      「聞くこと」が起こっている

      「あなた」と「相手」は必要ないのだよ
      「そこで何が起きているか」だ

      その起こりがすべてであり
      真実なのだ

      その真実を映し出しているのが
      スクリーンであり
      そしてスクリーンそのものが
      それを経験しているのだよ

    • 情けない男 より:

      ご返答ありがとうございます。

      頂いたコメントや記事を拝読し、生に対する恐怖を取り除けば大方の不幸は消せるという気がしました。m(__)m

      もう一つ質問させて頂きます。

      物事や人、出来事に意味や意義を持たないということを繰り返し説かれていますが、その様な見方が出来る様になる訓練はありますか?あれば教えて下さい。

      自分さんはお金も只の紙や金属と捉えることが出来るので仕事やビジネスを淡々と生理現象の様にこなせるのだと思います。

      私など凡人は収入や仕事は一大事ですし、家族や恋人は他人より意義を与えて観ています。またそれらを失うことも怖いです。

      物事や人、出来事に過度な意義や意味を与えることが執着だと思います。

      あらゆることを呼吸や排泄行為等の生理現象の様にフラットに観れる視点を持ちたいです。

      記事で説かれていることは解りますが、やはり物事や人、出来事に過度な意義を与えてしまいがちなので自分さんの様な物の見方が出来る様になりたいです。

      我が儘を言って申し訳ありません。

      宜しくお願い致します。拝

    • 自分 -涅槃- より:

      情けない男さん

      今日の手記に少し加筆をしたから
      そちらも読んでみてほしい

      あなたの質問だが
      それは「あなたのもの」だ

      つまり、

      あなたの観念が表現されているに過ぎない
      それはわたしにはわからない

      この2行で悟りなさい
      物事の対象に囚われてはいけないよ

    • 情けない男 より:

      そういう見方をしているからそういう現実に投影されてしまうのかと解りました。

      要らない観念を壊していきます。

      いつもありがとうございます。拝

    • 自分 -涅槃- より:

      情けない男さん

      世界はどんどん変わる
      それはあなたが変わるからだ

      このことを忘れないようにしておきなさい

  5. M より:

    自分さんこんにちは。
    人一倍強い観念を発見しました。持っているのは自覚していましたが、重いという事を発見しました。

    マンション欲しい
    『マンション買うには金がいる』
    確かにマンション要らないとするなら『』の部分は取れる。
    彼氏が欲しい
    『稼ぎがある男でないとどうも無理、華奢な男はどうも無理、欲を言えば背が高い方がいい』
    『』部分が強いのです。自覚していたので意識的に『』部分を諦めて色んな人と食事にいけど、何故か『』に該当する相手ばかり現れていました。
    今までにない現象で焦ってました。でも、意識すらしてなかった三年前までは『』を満たす相手と付き合えど、結婚が出てくると逃げてしまってた。
    適齢期で派手に婚約破棄して、結婚から逃げてた自分と向き合い、ある意味結婚を意識した途端に『』部分を当て付けられているように出会う相手が『』一色に。良い所を見よう見ようとするが、どんどん気を使って疲れてしまう。頼まれてもないのに板についてしまった気を遣うが取れなくなる。自然じゃなくなる。苦しい。
    稼ぎのある男に貢いで欲しい訳じゃない。金がないと不安なのか?分かったのは、稼ぐ人は見ていると楽しいという事。自分で作り上げた気を遣いすぎる自分から解放される。余計な神経使わなくともオドオドしないだろう、仕事でくらうボディーブロー位なら話を聞いていれば勝手に逆転してくる。会社がダメになりそうな時でも弱音吐いてもどこかで安心して応援できる。
    『』の相手だと、褒めても応援しても自信なさげに見えてしまう。これは私の自信の無さの投影?確かに婚約破棄して相手も世界も信じれなくて怯えてた。そしたら世界の方が自分なんだと分かったら安心できた。
    最近気づけた世界からの1人になってとのメッセージ。やっと応えられる。
    彼氏が必要なければ『』に囚われなくとも良い。重い。重すぎる。囚われ過ぎてる。世界は望みを叶えてた。これに応えたい。最近1人を満喫。軽い。そしたら人を紹介されるが世界に登場。あの重さを取りたい。世界が伝えようとしている事に応えたい。

    • 自分 -涅槃- より:

      Mさん

      こんにちは
      そう、あなたが「マンションが欲しい、そうなるとお金がいる」
      そのように思っていれば
      マンションがやってくるのではなく
      「マンションはお金が必要だ」という現実がどんどん起こり出す

      例えば不動産のチラシがよく投函されるようになったり
      土地価格の上昇などで
      ますます手の届かない金額になっていることを
      目にするようになる

      彼氏の話も同じだよ

      こういう条件の男性がいいな、そのように思えば
      その思いを強化する出来事ばかりが起こるようになる

      さて

      実際あなたは何がしたいのかね
      それをあぶり出してみて
      その通りにピュアに生きてみなさい

      世界の表面的な情報に振り回されず
      なぜ○○がほしいのか
      その根本を探ってみなさい

      それがわかったら
      その根本を受け入れてみなさい

      あなたはその根本を受け入れていないから
      ○○を求めようとしてるのだよ

      「受け入れる」とは
      それそのものになるということだよ
      やってみればわかるが
      求めているものへの執着は
      どんどん薄れていくだろう

      もちろんマインドは抵抗する
      新たな問題を投稿してくる

      「じゃあ私は何の為に生きてるの?」とね

      その先にスピリチュアリティがある
      いくつか山を越えなければならない

  6. より:

    「やりたいこと」と言うのは意外とエゴの都合とは関係なく内的に存在するエネルギーとも言えるので、それが流れに逆らっているのか沿うことなのかわかりませんが、やりたいことをやろうと思います。それって流す(循環)と言うことでもあるかと思うからです。
    また、それにともなって、やりたくないことの存在感が増してくるのが悩みでしたが、それも循環として受け入れることにしました。

  7. より:

    今再放送している『あまちゃん』の中で、アキの母、春子が若き頃、アイドルに成るために東京に行くのだが、母への反抗心や地元への不満や不信、アイドルになると言う夢の為に、海岸沿いで母親の夏(ナツ)が大漁旗を振って門出を祝っていたことにも気が付かず、20年以上地元に帰らず、屈折した思いを抱えていたと言うようなこと。一方で娘のアキが、母親に「あんたは地味で協調性も存在感も華もなく、パッとしない娘」と言われて、それを引きずって生きてきたが、ある時、それを三陸の海に捨て去り、別人に生まれ変わると言うようなこと。
    考えさせられますね。
    アキはその都度、「やりたいこと」がかわり、海女になったり、カフェを作ろうと言ったり、アイドルに成りたいといったり、周囲を振り回すのですが、その都度周囲を幸せにもしてるんですよね。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      わたしはそのドラマは観ていないのだが
      良い話ではないか

      そのアキとやらが教えてくれるように
      自分目線で自由に生きればいいのだよ
      本人がハッピーならば
      彼女の世界もハッピーとなる
      すべてが祝福される
      終わらないパーティが続くようになる

      いいかい
      誰かに良い思いをさせてあげたければ
      まず自分が良い思いをすることだ
      すべては繋がっているのだよ

  8. より:

    「あまちゃん」はNHKオンデマンドで全話が視聴できますのでよかったらどうぞ。(^-^)

    そう言えば、母親の春子は目的追求型でプロ志向、娘のアキは、ある意味では行き当たりばったりで、その時の直観に従って行動する。受動的とも言える。アイドルに成りたいと言うのも、親友のユイちゃんが、アイドルに成りたいのに付き合っているうちに、気が付いたらアイドルになっていたと言う。
    一方で、春子と同じく能動的で目的追求型のユイちゃんは、どうしてもアイドルになれない。
    それどころか見えない壁でもあるかのように、地元から離れて東京に行くことすら出来ない。
    春子やユイちゃんの中には、情念のようなものすら発生している。
    死んだら怨霊になるくらいの勢いである。
    もはや、本人の中でも楽しいとかではないんですよね。
    実際、お座敷列車のイベントの当日、プレッシャーで腹痛に襲われたりしている。
    付き添いと言う立場のアキは気楽にイベントを楽しみにしている。
    こう言う事って我々の実生活でも度々ありますね。

  9. M より:

    お返事ありがとうございます。
    私は何がしたいのか、探ってみました。カウンセリングも受けてみた。
    努力をやめれた効果は大きかった。

    私は安心したいのでしょう。
    自分を楽しみたい。
    自分を好きになりたい。
    自分って最高を彼氏の鏡を通さないと思えない。彼氏が私を最高だと思ったなと実感できた時だけ本当の意味で満たされる。本当は自分で最高と言ってあげたい。最高と思わせるには稼げる男じゃないと自分が納得してくれない。
    それぐらい自分=世界を信じていなかった。自分に自信がなかった。
    根本は自分に自信を持って欲しい?
    彼氏の鏡に映った自分じゃなくて、自分=世界に自信を持って欲しい?
    根本を受け入れてみる→世界=自分を信じてみる
    やってみます。今まで世界=自分視点がなかったので、なんでこんなに自信がなかったのか納得です。いつもありがとうございます。

  10. M より:

    その根本を受け入れてない…
    それって、私は自信がないを受け入れられなくて抵抗するから苦しくなっていた??受け入れられないから頑張っちゃう、折れちゃう、逃げちゃう。

    受け入れるとはそれそのものになる?
    自信ないそのものになる…?
    分からなくなってきました。すみません。自信がないを受け入れる?世界を信じてみる?相反してる…

    • 自分 -涅槃- より:

      Mさん

      受け入れる、という意味を勘違いしてはならない

      いまこうだから、
      違うあの姿になる、

      そういうことではないよ
      それはあなたに無理が生ずる結果となる

      受け入れるとは
      何の意思も主義主張もなく
      ごく自然にそうであるということだ

      逆にいえば
      主義主張を捨てるということとなる

      あなたがある性格を持っている
      例えばそれが「赤」だとしよう
      でも「青」や「緑」になろうとするのではなく
      「赤」をやめるということだ

      あなたが「赤」だから
      「青」や「緑」ではなかった

      だが「赤」をやめるとき
      その対極にある別の色は消滅する

      つまり「受け入れる」とは
      なにかになろうとするのではなく
      それを捨てることにより到達するのだよ

      これを自身に置き換えて考えてみなさい

  11. TKD34 より:

    自分さん、はじめまして
    いつも楽しくブログを拝見させていただいております。

    突然私事で恐縮ですが、以前に僕はダグラスハーディングの「自分を指差す」という実験をきっかけに、「自分は人間じゃない。この人間(身体)の人生を見ている何かだ」という一瞥体験をしました。
    その体験以降、自分は何でもできて、すべては思い通りになると勘違いして過ごしてきました。
    「よしよし、これで好きな仕事をして、みんなに感謝されながらお金持ちになって、他人とのコミュニケーションも上手になって、セクシー美女とセックスすることができるぜ!」てな感じです。

    でもいつまで経っても、相変わらず金銭的に苦労しているし、楽しめない仕事を嫌々続けているし、コミュ障だし、魅力的な女性とセックスすることもできていません。
    人生がまったく思い通りに展開していかないのです。
    一瞥体験をしたからといって人生劇場の内容がガラッと変わるわけではないんですね^^;

    体験前より多少はマシになりましたが、振り返ってみると、物心がついた頃からずっーーと似たような展開を繰り返しています。

    自分の中を探ってみると、根本的に「このままじゃいけない」「でもいつかはきっと理想の人生にするぞ」という思いが鎮座していることに気がつきました。
    「いまはこうだけど、いつかは絶対理想的な人生を体験するぞ!」というのが僕の大本の脚本のようです。
    でも、こんなストーリー展開もう見飽きちゃったので、この大元の観念を手放すことにします。

    前置きが長くなってしまいましたが、自分さんに質問があります。
    観念は手放すだけでOKなのでしょうか?
    それとも、手放した後、あらたな観念を植え付けなければならないのでしょうか?

    お忙しいこととは存じますが、気が向いたらでいいので、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いします。

    • 自分 -涅槃- より:

      TDK34さん

      はじめまして

      あなたの体験した一瞥と
      それ以降のその望みは
      対極するものだよ

      あなたが一瞥を得たときに何が起きたかといえば
      世界とあなたが消え
      そこに「起こり」だけが残されたということだ

      それは悟りといえる
      つまりこの宇宙で本当に起こっていることだけを
      あなたは見たのだ

      だがその後の
      「自分が何かをしたい」というのは
      また幻想に戻ってしまっている

      いいかい
      美女と良い関係になりたいならば
      自分を捨て去りなさい

      美女と関わるときがあったら
      あなたと美女が消え
      その「関わり」だけが残るよう
      意識を動かしてみなさい

      そこには恥じらいも焦りもなく
      ただシンプルな関係性という動きがあることがわかる

      そして彼女が「美女である」ということも消える

      風にながれる雲のように
      その関係性が流れていくだろう

      雲のように全体に委ねなさい
      あなたの世界が美女と良い関係になるものならば
      自然とそのようになる
      だが「自分」がそこにいれば
      彼がすべてを台無しにするだろう

      いいかい
      他者も大自然のひとつだ
      循環の中に動いている
      雨や風と同じもの

      あなたは雨や風をコントロールすることはできない
      雨が降れば濡れればいい
      風に吹かれればいい

      それを感じること

      ただそれだけだよ
      大事なのは「美女と良い関係になりたい」が
      自然のものであるかどうかだ
      もちろんそれはあり得る

      あなたにとってそれが
      「ごく自然で当たり前のこと」である場合によるがね

      「お金持ちになりたい」という人は
      無意識レベルで「自分はお金がない」としているから
      それが「ごく自然で当たり前のこと」となっている

      すべては観念だ

      古い観念を崩せば
      また新しい観念ができる
      その中で「自分」に邪魔をさせない

      これが願望実現のセオリーだよ

      つまり、いまのあなたは
      「いまのあなた」という願望がすべて叶っているといえる

    • ONEPOINT より:

      人間関係の問題が出たので書かせていただきます。
      私も同性異性関わらず深い関係が気づけず、どうしてもいつも表面的な関係に終わってしまう。
      いつも怯えながら人と関わっているような感覚がずっとあったのです。

      そして心の中を探ってみると「自分が相手を支配しなければ相手から支配されてしまう」
      という歪んだ観念があることに気づきました。
      そしてどうやらそれは家庭環境に原因があったようでそんな自分に
      仕立て上げた家族に対して怒りが込み上げてきました。

      心のどこかではわかっていましたが、やはりか、という感じで
      今後の人生をスムーズにするためにはこの観念を手放す必要があると感じました。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      あなたは私と同じ
      多くの障害を抱えている

      だがそれは
      自分自身で作り出していたということ
      それに気が付いてきている

      もう一歩

      あなたが恐れて踏み入れないエリアに
      入ってみよう

      自分を捨てること
      それが一番最後のハードルだ

    • ONEPOINT より:

      ありがとうございます。

      自分を捨てる・・・
      スピリチュアルなメソッドだけでは足りないという事でしょうか?
      飛び込み営業?ナンパ?滝に打たれる?

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      そうではないよ
      それらは「あなた」がやろうとしている

      行動は何でもすればいい
      だがそこに「あなた」がいてはダメなのだよ

      大それたものでなくていい
      例えば誰かと会話をするとき

      あなたは自分という像を作り上げる
      それはごく自然に呼び起こされる

      そうではなく
      そこに「関わりがあること」だけを
      見なさい

      会話も聞くことも触ることも
      すべて「見る」のだよ

    • 匿名 より:

      自分さん、早速のご返答ありがとうございます。
      こんなに早く返信してくれるとは思ってもいなかったので、とても嬉しく思います。ありがとうございます。

      >あなたが一瞥を得たときに何が起きたかといえば
      >世界とあなたが消え
      >そこに「起こり」だけが残されたということだ

      すみません。ちょっとそれは違っています。
      僕が経験したのは「自分が人生劇場という映画の画面の外から、一方的に見ている存在だということに気づいた」という感じです。
      スターを手に入れたマリオのように、自分が無敵状態になった感じでした。
      無敵なのにも関わらず、いつもと同じように反応してしまう身体をただ見ていました。
      つまり、相変わらず「自分」は残ったままでした。
      だから僕は悟ってなどいません。

      >あなたと美女が消え
      >その「関わり」だけが残るよう
      >意識を動かしてみなさい

      わかりました。
      これは美女だけでなく、すべての対人関係においても使えそうですね。
      ぜひやってみます。

      >だが「自分」がそこにいれば
      >彼がすべてを台無しにするだろう

      わかります。
      僕自身が観念であることも、僕が発動するとスムーズに事が流れていかないことも自覚しています。
      でも、自覚しているのにも関わらず、昔馴染みの反応をしてしまうこの口や身体に、もどかしさを感じてしまうのです。

      >いいかい
      >他者も大自然のひとつだ
      >循環の中に動いている
      >雨や風と同じもの

      一人の時や自然や動物と触れ合っている時には、比較的「何者でもない自分」でいられます。
      でも、他者とコミュニケーションを取らなければいけない時にだけ急に「コミュ障な自分」が発動してしまうのです^^;

      >つまり、いまのあなたは
      >「いまのあなた」という願望がすべて叶っているといえる

      はい、仰り通りです。
      「自分とは~」と定義している通りに、モノゴトに反応していることを自覚しています。

      >古い観念を崩せば
      >また新しい観念ができる
      >その中で「自分」に邪魔をさせない
      >これが願望実現のセオリーだよ

      まさにそこなのです、僕が知りたいのは。
      古い観念を崩すだけで、自動的に、自然と調和した観念が形成されるのか。
      それとも、たとえ崩したとしても、意識していないと以前と似たような観念が形成されてしまうのか。
      もしそうなら、崩した上で、新たに意識して観念を作りあげる必要があるのか。
      それすらもすべて「起こり」に任せた方がいいのか。

      「悟りたい」というより、「人生を自由に楽しく過ごしてみたい」という未練の方が強いので、どうしても知りたいです。
      教えてください。お願いします。

    • TKD34 より:

      すみません、名前の記入を忘れていたようですが、2015年7月20日 11:22 PMの匿名は僕です^^;

      あれからちょっと、自分の願望が叶わない(というより不足が全部叶っている)ことについて向き合ってみました。
      具体的には、「いま足りない」と感じていることについての不足感や怒りを、飽きるまで存分に感じてみました。
      そうすると、先日のコメントを書いている時のような「焦燥感」は薄れ、「ま、別にどうでもいっか」的な状態にいま落ち着いています。

      これから旧友(女性)と会う約束をしているので、この状態のまま、関わりだけが残るように意識してみたいと思います。

      でも自分さん、最近僕、これの繰り返しなんですよ(笑)

      感情的に解放される → でも何かしらの不足に注目してしまう → それを解決するためには願望実現だ! → 本やブログで情報収集 → 実践 → 思い通りにいかず不足を感じる → 感情の解放(以下ループ)

      もうバカみたいなので止めたいのですが、止めたところで以前と似たような現実が起こり続けるのもなー
      もう嫌になるほど体験したから、別の体験がいいんですよねー

      ああ、こうしてまたループに嵌っていくんですね^^;
      混乱してきたのでまた教えてほしいのですが、僕はいったい何を断ち切ればいいんですか?
      どこにクサビを打てばこの悪循環は断ち切られますか?

    • 自分 -涅槃- より:

      TDK34さん

      >一方的に見ている存在だということに気づいた」という感じです。
      あなたは謙遜しているだけだよ
      それでいい

      マハラジが言ったが
      「自分が悟っていないという限り悟りはない」

      世界はあなたなのだ
      あなたが悟ったとすればそうなのだよ
      つまり、
      あなたが「これはこうじゃない」と想起し続ける限り
      それはそうなのだ

      あなたの世界はあなたなのだよ
      この意味を熟考しなさい

      あなたのコメントで
      私に返答しているものは
      すべてあなたの「解釈」だ

      解釈とはなんだろう?

      あなたは頭が良いから
      マインドからでも気が付くはずだ

      だが「マインドは悟りの対極だ」としてはならない
      その固執が
      あなたを遠いものとしてしまう
      あなたなりのやり方でいいのだよ

      そしてもうひとつ
      別の方がコメントしているが
      あなたが見落としているものがある

      「そして彼女が「美女である」ということも消える」

      すべてあなたの思いが世界を生んでいることに
      気が付きなさい

      あなたが美女と自然に関わるとき
      あなたも美女も消えるが
      あなたの「美女観」も消える

      あなたのクサビを打ち消すのは
      あなたの世界観のみだ

    • TKD34 より:

      自分さん、
      毎回コメントを返してくださってありがとうございます。

      >あなたのコメントで
      >私に返答しているものは
      >すべてあなたの「解釈」だ

      「解釈」って、何かを特別扱いしてしまうマインド(つまり僕)の動きのことかなと思います。
      僕「が」解釈をしているのではなく、「僕自体が解釈」ということですよね。

      >だが「マインドは悟りの対極だ」としてはならない
      >その固執が
      >あなたを遠いものとしてしまう

      わかりました。
      どうやら「『私』という感覚がある限り、それは悟っている状態とはいえない」
      みたいな情報を、どこかで仕入れていたようです。
      僕が居ようが居まいが、悟りとは関係ないということにします。

      >あなたが美女と自然に関わるとき
      >あなたも美女も消えるが
      >あなたの「美女観」も消える

      どうやら僕は、「美女」だけ特別扱い(高値の花、手の届かないモノと)していたようです。
      さらに、美女だけでなく他の叶えたい(叶っていない)願望も。それをいつまでも求められるように。
      手に入れてしまっては、それの価値がなくなってしまうから「それを求めること」を延々としたかったのかもしれません。

      一瞥体験後も、
      鏡に写っている男と、この体と、湧いてくる思考感情などを、相変わらず特別扱いしてしまっています。
      特に、いま自分さんにコメントを書いているこの「僕」という思考を。

      ですから、大本の「僕(解釈、判断するマインド)」がいなければ、同時に、何かの対象を特別だとすることもなくなると感じています。

      長々と書いてしまいましたが、結論を言うと、
      願望を実現しようと躍起になるより、それを求めてしまう(叶っていないを継続させている)「僕」と世界に起こっているすべてを、傍観者のごとく見ているのが一番いいのかなと思いました。

      なので、願望実現(叶っていない状態の継続)は、一旦やめにしてみます。
      疲れるので(笑)

    • 自分 -涅槃- より:

      TDK34さん

      自分自身というものについて
      新しい手記を入れておいたので
      そちらも読んでみてほしい

      さて、あなたはまだ道中にいる
      だから色々な考えが巡るだろう

      そもそもの話をすれば
      「生きる」ということだ

      シンプルなその姿こそが
      あなたにすべての流れをもたらし
      あなたもそこに流れていくことができる

      人は抵抗する

      ただそこに生きていればいいのに
      あらゆる主張を翳して
      流れに抵抗してしまう

      その主張が人道的に良いことであったとしてもだ

      あなたが生きているのならば
      それに変えられるものはない

      生きる、とは生き延びるという意味ではなく
      自由であるということだ

      ただし、何かの願望を持ち続けることが自由なのではない
      そこに自分が存在しているという自由を知ること、
      それが自由だよ

      意識が内側に向けば
      自ずと「自由」の意味がわかる

      別に何も必要ないのだ
      美女もね

      なぜならば
      自由だからだ

  12. より:

    すべての現実は自分が作っていると。世界は自分の思考であると。
    例えば、全ての女は偽善者だと言う観念を持っている人間がいたとしよう。彼がその観念を持つに至るには、彼の母親との関係が深く関わっているとしよう。
    しかし、その場合も偽善者の母親が実在するのではなく、偽善者と言う観念を母親に投影し、後には女性一般に投影しているのだと。
    すると、この世に、本当は偽善者と言う実体は無いのだが、ただそう言う観念があるのだと。

    そう言うことですよね?自分さん。

    勿論、母親とか女とか人間とかも観念。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      そう
      そしてもうひとつ

      あなたがその解釈をしていることも
      観念だ

      さてあなたが
      その観念を持つことになった材料を探せば
      本書や私が出てくる

      なぜ本書や私を知ったのかね?

      そのように辿っていくと
      すべては一本の糸だったことが
      見えてくるのだよ

  13. より:

    結局、観念に支配されないためには、解釈を止めるしかないすね。
    ただ、仮に自分が絞首刑になったりした場合も、解釈せずに、坦々と日々を過ごすことが出来るだろうか、解釈したら最後、恐怖が生まれ、恐怖がさらに様々な解釈を生み出し、無間地獄の様相を現出するだろう。

    テレビのアナウンサー、漠然と見る(現象を解釈すると)と、美人だなあ、手にいれたい、苦悩と言う一連の動きになる。

    現れを現れのまま受けとると、苦痛はないが、面白くもない。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      その「面白くない」が罠だよ
      この世界に、あなたの気を紛らわす娯楽、
      映画や音楽、漫画、テレビドラマ、本、
      またはアルコール、人との会話、遊び、
      趣味やスポーツ、はたまたドラッグ

      そういうものがなければ
      あなたはどういう世界に生きるのだろう

      そこは地獄かね?

      自分を誤魔化すものがなければ
      地獄となるのかね

      ならばまだあなたは
      自分というものに縛られている

  14. M より:

    自分さん
    お返事ありがとうございます。
    それを捨てるーはなかなか難しいですね。捨ててきた部分もあると思うので自分でもやった時もあるんでしょうが、今これを捨ててみようとなるとあの時どうやって捨てれたんだろうとなります。
    考えても分からないので川沿いを散歩してたら、流れなさい、我を捨てて、自然になりなさい、流れて大きな力に乗りなさい、世界を信じなさいと世界から言われたような気になりました。川沿いなんていつも散歩しませんから…この川の光景も起こって、思った事も起こったんだしなんとかなるさ〜と思えた1日でした。
    色々軽くして下さってありがとうございます。

  15. えくぼ より:

    横からすみません。

    上に書いてあった、

    >美女と関わるときがあったら
    あなたと美女が消え
    その「関わり」だけが残るよう
    意識を動かしてみなさい

    の部分が何度読んでもわかりません・・・。「関わり」だけが残るとはどういう事でしょうか?

  16. サボ より:

    「受け入れる」と「あきらめる」は同じですか?

  17. 自分 -涅槃- より:

    Mさん
    えくぼさん
    サボさん

    何かを捨てるとき、とは
    その対象をどうにかしているのではない

    あなたから向けられていた意識がやみ
    ただ、それらそこにあるということ、
    それをそのまま受け入れたということだ

    「あきらめる」は言葉として
    ネガティブなニュアンスを含むから少し変えてみよう
    受け入れることとは
    あなたが「一方的に見ることをやめる」、
    ということだ

    別の方にもしたコメントだが
    そこにある何かを見るとき
    あなたはいままでそちらに意識を向けていた
    それは純粋な「見る」ではなく
    あなたの記憶や推測、そうしたマインドを見ていた

    だがあなたが何かを見るとき
    その何かもあなたを見ているのだ

    そのとき
    意識があちらからあなたに向かう

    コップや木が
    あなたを見ている

    その「見る」にはマインドが関与できない
    ただ純粋な「見る」が起きている

    覚えておきなさい
    我々は勘違いをしていきている

    「見る」とはあなたが見るのではないのだ
    「聞く」とはあなたが聞くのではないのだよ

    あなたが見るすべて、
    そのすべてがあなたを見ている

    それが「見る」だ

    それが「関わり」であり
    あなたもコップもその存在意義は消える
    なぜならば、マインドの記憶や推測として
    いままで見てきたからだ
    だからあなたをそれを「コップ」だとしてきていた

    だが純粋な「見る」が起こるとき
    その推測が消える

    それが関わり、つまり体験だけが残る、ということ

    体験だけがそこにあるとき
    あなたは時間を超越する

コメント・質疑応答

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