問題を消滅させる

やらなければならないこと
考えなければならないこと

そんなものを抱えているね
つまり、問題事

あなたの一日の頭の中
それを紙に書いてみれば
どれだけ毎日同じ事を繰り返しているかが
わかる

ルーチンのことではないよ
思い煩っていること、だ

毎日同じ事ばかり考えて
同じ事ばかりに悩んでいる

忘れていた税金の請求書が来ようが
宇宙から怪物が攻撃してこようが
どのようなケースがあろうとも
思考パターンは大体同じ

昨日もそうだったし
一昨日も同じだった
先週も先月も去年も
ずっと同じ

過去が同じだということは
未来も同じ
つまり明日も同じ
明後日も来週もずっと同じ

新しい未来がやってくるはず
あなたはいつもそう思っているが
今日とまったく同じイベントが
明日も開催されることになっている

スピリチュアルや自己啓発などの本で
なんとなく気分が前向きになったとしよう

だがその前向きさとは
知識を得たことによる一時的な効能
日々の面倒事を
どうにか解決してくれそうな方法
それを得ただけに過ぎない

その通りにやってみるが
だんだんいつもと同じ徒労感に染まり出す

あなたはいつも”方法”を探す
でなければこの苦悩は解消されない

誰かの言葉に耳を向ける
書店を探す
映画のセリフから感銘を受ける
漫画の中から影響を受ける

何かを得るがその灯火は小さく
コトを起こすときにはすでに消えている

またはそこから逃げようともする
アルコール、趣味や運動、
誰かと過ごすこと
それらで問題を誤魔化そうとする

だがワイワイ騒いだ飲み会の帰り
電車に揺られて明日のことを考えはじめる
娯楽はひとときの目隠しをするが
それが外されれば
面倒事はやはりそこに鎮座したままだ
そうして全頭マスクに居場所を求めるようになる
どんどんアブノーマルな趣向に傾倒し
やがて世界から孤立していく
自分がどんな格好で街を歩いているか
あなただけが知らない

街角のショーウインドウを見なさい

ボンテージに身を包み
問題に悶えているマゾヒストが
映っている

このように
問題をどのように取り組むか
問題からどのように逃げるか
あなたはその二者択一を生きてきた
つまり問題を解消するために
そこに生まれてきた

だが問題は消え去ることはなく
いつも定数が在庫される
マインドドットコムから
お急ぎ便で毎日到着する

あなたが生きている以上
無限の豊かさにて
すべての代金は支払い済みだ

商品が届くたびに
同じ思考的対処をするから
何も変わらない

38,000円のセミナーに参加しても
パワースポットに参拝しても
家に帰れば
今日もパッケージが届いている

 

問題に勝つことはできない

さてさて

面倒なことばかり
悩ませることばかり

あなたは色々やってきた

重い腰を持ち上げて
その岩肌に立ち向かったことも
数え切れない

やらなければ大変なことになる
それはわかっているが
いつまでこんなことをやらなければ
ならないのだろう

明日も来週も来年も
同じ苦悩にあなたはいる
それは確定している

遠くに投げ捨てたはずなのに
手元を見ればなぜかまだ握っている
もはやタチの悪いジョーク

腹の辺りに重たい何かがある
全身突き刺すような痛みがある
こんなドロドロしたものを味わうために
自分は生きているのか

問題は解決しようとも
一向に消え去らない

伝えておくよ
ゴッホの名言だ

La tristesse durera toujours.
哀しみは永遠に消え去らない

不幸は不幸なのだ
それはただそこにある
あなたが不幸を手にするとき
それは変容しない
不幸を変えようとすることが
不幸なのだよ

だからあなたが不幸をやめるには
別の何かを根本的に変えなければならない

“問題”を在庫管理することが
人生ではないはずだ
そんなくだらない一生を
過ごしたいわけではないだろう

 

矛盾に溶ける

禅問答でこんな話がある
「片手で柏手の音を鳴らしなさい」

そもそも柏手とは両手で起こすものだ
それを片手でやれという

弟子は師匠が出した「問題」を解こうとする
さてどうやって音を鳴らそう?
四六時中考えた
何年も経過した
弟子は食べている時も
眠っている夢の中でさえも
その「問題」に取り憑かれてしまう

わからない
何をどうやっても
片手で音を鳴らす方法がわからない
この問題を解決する法はどこにある?

禅問答でいう「問題」とは
なぞなぞのことではない
あなたが日常的に抱えている
問題事と同じものだ

師匠とはその世界のこと
弟子とはエゴのことだ

エゴは世界が持ちかけてきた話を
「問題」として聞いてしまう
だからあなたは常に問題の中にいる

禅問答の根底にあるテーマとは
矛盾である

片手で柏手を鳴らすなんて
不可能なのだ
できるわけがない
言葉の時点で矛盾している

つまり要点は鳴らすことじゃないのだよ
師匠は「片手で柏手の音を鳴らしなさい」という

だがそれは
「片手で柏手の音を鳴らしなさい」と
話しただけだ

あなたが世界をあるがままに受け取るとき
瓶の中で育ったガチョウを
瓶を割らずに外に出すことができる
片手で柏手を打つことができる

 

それは全体の一部分である

それはただそこにあること
それを知るのだ

誰かが話をするとき
あなたは話の先を予測しながら聞いている
そうではなく「話」だけを聞きなさい

そこに内容を見てはならない
ただ話だけが起きていることを知りなさい

種から芽が出る
なぜ?

毎日不幸ばかり
なぜ?

私は生きている
なぜ?

「なぜ」は矛盾を解決しようとする
険しい岩肌を踏破しようとする

問題はあなたが作っている
問題など最初からありもしないのだよ

つまり矛盾を矛盾として受け取ることが
問題なのだ
矛盾は解決するものではない
科学はあらゆる「証明」を作り上げてきた
だがそれら証明は
矛盾というパレットに並べられている

あなたの視野は科学的だ
ごく一部分しかフォーカスできない
だから「こうであるべき」を
立証しなければならない

パレットを見なさい
すべての物事は全体のほんの一部分なのだ

あなたはCG画像の1ピクセルだけを見て
「これは一体なんだ!?」と喚いている
それを解決しようとする
一体ぜんたい、それが何なのかわからないから
とても恐怖する、不安になる、自己嫌悪になる
1000×1000の画像の1ピクセルを見て
それがなんだかわかるとでも思うのかね?

いつも一部分から全体をどうにかしようと
していることに気が付きなさい
ここにあなたがカルマから解放される術がある

 

問題を消滅させる法

一部分を解決しようとするとき
あなたの意識はそちらに掴まれる

意識は本来あなたの中に宿っているものだ
それが外に掴まれると
あなたの中の光が失われる

不在
文字通り、心ここにあらず

光が失せたあとに残るのものはなんだ?
闇だ

真夜中に部屋の明かりを落とすと
あなたは警戒しながら歩くようになる
何かに足を引っかけて躓くかもしれないからだ
たとえそこに何もなくても
あなたは警戒する

よく見えないから
縄を蛇だと勘違いして怯え出す

闇はあらゆる妄想を起こすのだよ
「蛇に噛まれたら危険だ」
「蛇などに恐れてどうする」
「明日仕事なのに何でこんなことに」
「誰かが窓を開けっ放しにしたからだ」

どんどん膨らんでいく

世界のせい
誰かのせい

闇にいることで
「あなた」が生みだされ強化されていく

光の不在=エゴだ

だから光を失わなければいい
自身の中に光を灯し続ければいいのだ
手にしたランタンを離さず
いつも自分の中を照らすのだよ

あなたの中に意識が灯されているとき
何の思惑もなく
何の感情もなく
人を視線で追いかけることができる

そのとき他者は「他者」ではなくなる
ただ動いているだけの光景となる

問題は「問題」ではなくなる
ただそこに、やることがあるだけとなる

つまり外側を変えるのではなく
あなたの中に光を灯すだけで
世界のすべては変容する

世界は何も変わらないが
あなたが変わる
あなたが変われば
世界はそれまでと変わって見えるようになる

自身の中に意識を戻す方法だが
いくつもやり方がある
そもそも瞑想とはその為のものだ

・何か視界にあるものを見る
それに指を差す
その指を自分に向ける
つまりその対象があなたを見ているということ
「見る」は双方向となる
あなたが見るとき
あちらも見ている
「見る」がひとつになるとき
眼球はキョロキョロせず固定される
そのときの意識の位置をチェックしてみなさい

最初は難しい
自分の中に光を灯し続けることは困難だ
すぐに外側に持って行かれてしまう

外に掴まれるのは癖のようなものだ
貧乏揺すりなどと同じ
癖に気が付けば
すぐに戻すことができる
やめることができる

つまり癖に陥っているときに
気付かなければならない
その癖自体が忘れることなので
しばらくは厄介だ
だからどこかに書いておくとよいだろう
普段持ち歩く物などね

常に意識的であることで
何もかもがスムーズにいくようになる
そうならざるを得ないからだ

環境が変わっても意味はないのだ
ただ徒労感が増えるだけ
いままでそれをあなたは怖がってきた
それを知っているからだ
だから「面倒」や「やりたくない」など
そういう心境になってきた

そうではなく
意識を内側に灯すことの維持
それだけできれば
すべての重さは瞬時に消える

あなたの問題は解決するまでもなく
消滅している

 


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  1. ONEPOINT より:

    この手記に書かれていることがまさに今日起きてしまった。
    スピリチュアルの知識も散々つけた。
    自分さんにもたくさん返信いただいた。
    そのときは悟ったような気になっても
    棒で頭を殴られれば途端に激怒する。

    いつまでこんな事を続けているのだろうか。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      出来事に意識を引っ張られてはいけない
      その出来事を見ている者に意識を向けなさい

      つまりあなただ

  2. Uq より:

    進んだと思ったら、振り出しに戻される。
    もういいや、全部捨ててやめてしまおうと思うと勝たされる。
    そして失望感がすぐかき消され、期待を持ってしまう。

    昨日も、大失敗だもう二度とやらないとふてくされていたら、
    大成功やればできるねと言われ、さっきまでの気持ちを忘れさせられる。

    景色自体はどんどん変わってるのに、
    どうにかしたいことだけはずっとこべりついて残ります。
    形は変わっても、似たような状況として現れます。

    今日は、諦めのような感情の中で、
    どうすれば今より少し前進できるか気づきました。
    思えばいつも同じ状況だったので、
    そのメッセージのようなものを今回たまたま受け取っただけだと思います。
    ふだん試行錯誤してる時には気付かなかったのに、
    今回はなぜかふと気づいていました。

    何なんでしょうね。完全に諦めさせてくれません。

    • 自分 -涅槃- より:

      Uqさん

      あなたはずっとエゴに支配されてきた
      そのコメントでもそう

      起こる出来事にウェイトを置いている

      これまでの人生を振り返ってみなさい
      色々な出来事があっただろう

      あなたは自分の人生を思い出すとき
      出来事を主役とする
      それがエゴの性質

      いいかい
      出来事とは「あなたが見ていること」だ
      出来事に力はない
      意味もない

      あなたが見ている中で
      流れている光景に過ぎない

      この話を熟考してみなさい

  3. より:

    意識を内側に灯すということが、いまひとつわからない。

    内省的になれと言うことでもないようだし
    別の記事の私へのコメントによると、知識に汚染される以前の対象そのものを受け取るということらしい。
    換言すれば、出来事そのものになると言うことか。
    しかし「意識を内側に灯す」と言う言葉のニュアンスとは少し違う感じがするんですよね。
    映画『LUCY』のラストは、「意識が全世界にいきわたって居る状態」ですが
    ヘーゲル哲学で言うところの「絶対の他在の中に自己を自覚する」と言うような境地でしょうか?
    ヘーゲル哲学の研究者があの映画を見たら「この映画は『精神現象学』の解説じゃ」と言うのではないでしょうか。
    ヘーゲルの『精神現象学』によると、はじめ、エゴは世界から孤立し、世界に対峙するものとして現れます。すべてはエゴを脅かす恐るべき他者だったのが、(労働などを通して)自我を滅却していき、世界=自己という境地になっていき、何を見てもどこをみても「自分しかいない」と言うようなところに到達すると言う。これは一種の当時における『涅槃の書』だったのかもしれません。

  4. より:

    パソコンを指差し、それを逆向きにすると、一瞬、思考が止まり、パソコンそのものが意識に現れるような感覚になる。
    逆に、普通の状態でパソコンを見ると、いろんなことが連想される「涅槃の書」とか「YOUTUBE」とか「アマゾン」とか、パソコンを見ているのではなくて、その背後に観念の連鎖を見ている。
    人に関しても、恐らく、普段の状態では、背後の観念を見ている。「この人は敵に回すと恐ろしいな」とか「機嫌悪そうだな」とか。
    それに付随して、恐怖とか不安とか、もしくは嬉しさなどの情動が生まれる。
    こういった状態が、外部につかまれている状態かな。
    外部につかまれているとは言うが、内的な思考に翻弄されている状態とも言える訳で、言葉のニュアンスは難しいですね。
    それはともかくとして、自分さんの言われる「逆指差しの瞑想法」ですが、
    日常生活で、指差し確認しながら生活するわけには行かないですよね。
    先のパソコンの例で言えば、その状態の意識で、世界と関わると言うことが、「内側に光を灯して生きる」と言うことなのでしょうね。
    ペンに見られていると言う感覚。ペンを見るのではなく、ペンが見ると言うように意識を変えてみる。
    世界を見るのではなく世界が見るに変えてみる。
    普通に物事を見ようとすると、観念の連鎖が起こります。
    縄が蛇になります。
    目の前にある「ペン」を見ても、実際は「これは誕生日に○○ちゃんからもらったペンだな。そういえばお返ししないとな。あの人の誕生日はいつだっけ。」を見ています。
    自分さんが言われるのは、こういう見方を止めてみましょうということですよね。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん
      いくつか返答しよう

      そう、我々は観念を通して物事を見ている
      つまり対象を見ているのではなく
      観念を見ているのだ

      観念を見ているということは
      常に思考を稼働させているということ

      では思考(マインド)とはなにかといえば
      これまでの集積物だ
      我々はマインドを持って産まれてこない
      つまり観念とは後付けのものである

      思考はあなたではないということ
      それを理解しなさい
      まずそれがひとつめ

      次に、すべては双方向であること

      あなたが見るとき
      相手も見ていることに気が付きなさい

      そこにリモコンがある
      「〜がある」としている時点で
      その認識が起きている
      これを想起という

      もしあなたが他のことに気をとられていたら
      そこにリモコンがあっても
      認識していない
      つまりリモコンはそこにないのと同じ

      よくあるのは
      リモコンを見ているのに
      そのリモコンをあなたの観念で塗りつぶしている場合だ

      あなたの観念がリモコンを消してしまった
      そこにあるのはリモコンなのに
      あなたはリモコンを見ながら会社の嫌な上司が見えている

      よく視野を広げろ、視点を変えろと言われるが
      それはそこにあるものが見えていないこと
      それについての教義だ

      私は成功やら失敗やら自体に興味はないが
      あなたにとって成功している人の典型例としては
      あなたが気付かなかったことに
      気が付いた人たちだ

      つまり観念を崩壊させたから
      それがわかるのだ

      何か問題事があると
      人はその連想的な妄想に囚われる

      フォークを引き出しに仕舞う、があるとする

      フォーク
      手の動き
      持った感触

      ただそれらだけを追えば
      何ら難しいことはない

      難しいかどうかすら超越している

      実際、我々の生きている世界とは
      ただその通りに対応していくだけなのだ
      難しさなどありはしない

      だが人は妄想する
      フォークをここになおすなら
      これをこっちに移動した方が便利かもしれない
      でも柄がバラバラだな
      新しいフォークを買った方がいいかもしれない
      でも今月の給料少ないしな
      そういえば次のカードの請求いくらなんだろう
      先月の食事会で結構かかったし
      だいたい私はあんな集まりに行きたくなかった
      あの人私に嫌味だったな
      また明日も顔あわすのか嫌だな

      いいかい
      フォークを片付けるだけだ
      たったそれだけなのに
      ネガティブな妄想に浸食される
      体に重い石のようなものが感じられ
      全身を突き刺す痛みに辛くなってくる

      これが人々の生きている世界だ

      それらから脱するには
      あるがままの世界に対応していく姿勢に
      戻らなければならない

      植物や虫、鳥でもいい

      彼らは人間のように
      先の不安だとかに一切関わらない

      あなたに観念が起こるとき
      ある種の恐怖心が根底にある

      つまり、それがなんであるか
      その解釈がほしいのだ

      わかりやすいのは
      他者と関わっているときだ

      あなたは人をじっと見るようなことをしない
      「ちゃんと相手の目を見なさい」
      そのように教えられることがある
      だがそれは、マナーやエチケットとしての作法だ

      つまりそうした作法を叩き付けられた反動で
      あなはたじっと見ることが
      相手に失礼にあたると考える

      その「失礼さ」とは
      あなたの過去に起因する

      悪気はなく、何気なくしたことなのに
      相手が嫌な思いをしたとき

      また、あなたが嫌な思いをしたとき

      そうした心のしこりが
      今日も根付いている
      それがあらゆる観念のベースとなっている

      つまり、世界を見るとき
      その対象をまるで見ておらず
      自分の観念だけを見ているということ
      それは恐怖の世界に生きているということとなる

      さらに追求すれば
      あなたは、世界に操られてる状態だ
      あちらから機嫌が悪そうな人がきた
      レジの店員の対応が悪い
      まさかのラッキーがあった
      会社が倒産した

      何かが起こる度に一喜一憂し
      あなたは世界の奴隷となる

      それは観念で物事を見ているからだ
      観念とは「事実」ではない
      だからあなたはいつも観念が揺るがされる
      その揺らぎが、操り人形の糸の動きとなる

      さて、本当のことをいえば
      世界そのものがあなただ
      だが観念が邪魔をして
      それが正しく見えていない

      目の前のコップを見るとき
      コップもあなたを見ている
      双方向に「見る」がある

      これは何かといえば
      あなたが能動的に見たのではなく

      世界の中で「見る」が起きたのだ

      見るが起きたから
      あなたもコップも、互いを見た

      つまりあなたの体験するすべてとは
      あなたが体験しているのではなく
      体験がそこに起きた結果である

      そのように解いていくと
      世界そのものが自分自身であることがわかる

      「見る」がそこに起きているのに
      あなたは観念が邪魔をして
      見ようとしない
      または見ているが、何か他のことを考えている

      そうしたとき、何が起きているのだろう
      あなたは世界に逆らっているのだ

      つまり、自分自身を受け入れていないのだよ

      すると世界(自分)は
      未処理の体験をさらに起こしてくる
      あなたに気付かせるためだ

      目を背ければ
      あなたに見るが完了するまで
      「見る」を起こしてくる

      世界から逃げてはならない
      重要で大変な物事などありはしない

      ただ単純な対応がそこにあるだけだ
      観念を捨て去りなさい
      つまり「今に在る」ということだ

      それにはしばらく訓練が必要となる
      「あなたをやめる訓練」がね

      観念を崩壊させる、とは
      リモコンがどうとか
      リモコンを通じて湧き起こる観念がどうとか
      そういうことに囚われず

      ただ、「見る」が起きている

      その対応だけに在るということだよ

      観念を崩壊させること自体が観念だ
      そこに気が付きなさい

      トータルという「土俵」に意識を置きなさい

  5. 悠久 より:

    今回また不思議な経験をしました。
    問題を解決しようと躍起になっていたときは
    解決へ向かうであろうことをたくさん試しました。
    それでもダメでした。3ヶ月ほどです。
    問題を解決しようとする必要はないと
    おぼえてはいたのですが…。
    そして放置しました。
    しかし今回、自分がなぜその行動をとったのか
    今はおぼえていないのですが、
    それにより即座に解決しました。放置して1日で解決しました。
    解決させるために行ったわけではないですし、
    そもそも自分がなぜそのような行動をとったのか
    まったく思い出せないです…。
    とにかく驚きました。

    • -自分- 涅槃 より:

      悠久さん

      >そもそも自分がなぜそのような行動をとったのか
      >まったく思い出せないです…。
      >とにかく驚きました。

      そう、あなたが正しく物事と関わるとき
      それは忘れ去られていく
      なぜならば
      その問題事は存在していなかったからだよ

      単なる状況を問題事としないとき
      それは呼吸のように
      自然の法則に従いただ流れていく

      そこには留める思いはなく
      ゼロとして解消されたのだよ

      思いが現実を作るならば
      思いを捨てれば現実は消える
      無為自然である

      良い話をありがとう

    • 悠久 より:

      普段だと思いもしない行動を自分がとって、
      とても簡単に、スムーズに
      景色が変わっていきました。
      意図したつもりはないのに
      後になって、
      思い通り(?)になっているような
      “感じ”がします。
      何も意図せず暮らしている方が、
      面白い景色が見れています。
      楽しく過ごせて嬉しいです。
      ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      悠久さん

      その通り

      「スムーズ」とは
      何がスムーズなのかといえば
      自然の法則に流れていることを意味する

      日常生活に”流れるような動き”を
      意識してみなさい
      あなたなら掴むことができる

      何も意図せず
      意図を起こらせるのだよ
      意図そのものになるということ

      世界に自分を見つけさせるのだ

  6. momo56 より:

    確かに、逆に簡単すぎて怖い気もする・・・。

コメント・質疑応答

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