最高の人生にする

常に新しい人生
常に胸躍る人生を生きたければ
出来事を起こらせることだ
それはGO!GO!GO!であるということ
仏陀は弟子に「いつも進み続けなさい」と説いた

それこそがあなたの人生を変容させる
究極のマジックとなる
逆に言えば、出来事を起こらせなければ
そのまま固まってしまう
だから不確定性に委ねることだ
出来事を起こらせて
後は流れに任せる

すべてはそこから始まる

何を不安がる?
不安とは記憶の産物
不安とは未来や過去への妄想

あなたが出来事を起こらせたとき
新しい縁が生まれる
縁こそがステップとなる
縁こそが世界拡大の次のピースだ

だけども努力や苦労はいらない
ただ石を投げるだけだ
その投げる行為すら眺めていればいい
何も考えなくていい
それをしたからどうなるとか
そんなことは必要ない

石を投げるだけ
あなたはそうして楽しくなっていく

 

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  1. あの時の覚醒者 より:

    連載再開ありがとうございます
    過去の記事を読むと当時とは全く違った感想が胸に想起され楽しいです

    先日のインスピレーションに従い生活してますが、さらに意味があるかないか判らないインスピレーションがわきます
    今日は突然散髪したくなって地元の人気店に飛び入りしたら、すぐに予約なしでいつもの美容師を指名できました

    他のインスピレーションもわきます
    一日に複数わいてきます
    でもその中に僕の執着心や苦しみを招く煩悩に基づくものも混じってるように感じる事があり、そういうインスピレーションには従わない事にしています
    やはり栄光と失敗なら栄光を選びたいからです
    これは純粋なインスピレーションに対して僕のエゴが下らない判断を下してるだけなのでしょうか?
    わいた衝動がなんであれやはりGo!なのでしょうか?

    今までこんなに様々なインスピレーションに従ったり、試してみたりするのは初めてなので計画を好み安全策を取りたがる僕のエゴは結構躊躇し戸惑います(笑)

    従うと大抵確率を無視したような出来事や、スムーズとしか言い様のない何かが起きるのですが、本願、もしくはそれに近似する行動は二の足を踏む事が多いです
    そんな僕の今の本願計画はまず準備を進めながら次の動きを待つです

    えーと、これどうですか?(笑)

    もっとやっちまえと言う僕と、馬鹿か?本願だぞ!慎重に行け!って僕がいます
    学問的セオリーでいけば今の僕は待ち、及び見が最善です

    自分さんならどうしますか?

    わいたインスピレーションが何を元にしたものであれ先ずはGOですか?

    最近何となくインスピレーションの純度を測るセンサーができてきた気がするのですが、自分さんはそのセンサー気にしますか?

    すみません、今日の振り子はちょっとあれ側なもんでこんな質問責めな感想になってしまいました(笑)

    次はもっと爽快な報告しにきます(笑)
    先日、過去の自分さんに似てると言われて嬉しかったです

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん

      今回の手記でも書いたが
      すべては同時に起こっているのだよ
      インスピレーションとは
      同時に起こる物事を俯瞰している様子のことだ

      人は時間という概念に縛られているから
      最初は戸惑うかもしれない

      だがね、あなたがそこにいて
      そしてこれまでの人生を振り返るとき
      今日一日のことを思い出すことでもいい
      それは
      思いを巡らすあなたと
      それらの出来事は同じ位置にあるということだ

      逆に言えば
      いまそこのあなたと
      いまのあなたを思い出している未来のあなた
      それもそこに同時にいる
      それを俯瞰してみなさい

      すべては出来レースのようなものだ
      茶番であり
      ジョークであり
      それがその通りにそこにあるのだよ

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん

      ひとつ良いことを伝えておくよ
      仮にあなたが「生活を安定させたい」と思い
      より良い待遇の職や、仕事探し、事業を立ち上げるなど
      そういったことを始めたとする

      すると、あなたが安定するどころか
      「安定している人々」ばかりが世界に登場するようになる
      ふと聞いた、知人の話や
      たまたま開いた新聞やインターネットの情報
      そういったところから
      実に太く安定した人達があなたの世界に飛び込んでくる
      そしてあなたは彼らを見て劣等感に襲われる
      以前にも増して
      あなたは不安定な気持ちになる

      つまり求めれば、その逆の状況になるのだ
      あなたがお金を求めれば
      より「お金のない自分」が強く演出されるようになる
      恋人のハートを求めれば
      より「相手にされていない自分」が演出されるようになる

      これが宇宙の法則、というよりも
      意識の作用だ

      これをうまく生かしなさい

      あなたが不幸に自ら進むほど
      幸福があなたの廻りを包み出すだろう
      だけどもその幸福に手を伸ばしてはならない
      途端にあなたは不幸になるからだ

      その包まれている状態
      それを維持しなさい

      あなたは何もしてはならないのだよ
      起こるがままに任せなさい
      そしてそれを感じなさい

      あなたは実在しないのだから

    • あの時の覚醒者 より:

      自分さんありがとう
      今自分さんの二つ目のレス初めて読みました(笑)
      当時は一つだけと思い込み目に入ってませんでした
      まさに今年、いや今の僕に最適な答でした
      愛してます、本当にありがとうございます

      どうかお身体に気をつけて
      貴男の幸せをいつも祈ってます

      あ、そうそう以前頂いた
      キミの好きな人はキミの好きな人だ
      という言葉ハッとしました。執着心が薄れた気がします
      最近人に過去を話す機会が増えたのですが、いつ誰に話しても今の僕の視点と気分次第でコロコロと過去が変わります(笑)
      いや、起こした事実は変わらないのですが、解釈がまるで違ってたりするのです
      なんだか人の心って本当に無限過ぎてきりが無いな!(笑)って思いました

      本業の他にサイトの記事作成とご多忙かと思いますので、僕へのレスは気が向いた時で結構です
      僕も以前他のサイトで複数の人の相談聞いてた事があり、それが大変だった時期もあったので少し自分さんが心配になりました

      いつもお世話になってます
      ありがとうございます

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん
      やあ
      >起こした事実は変わらないのですが、解釈がまるで違ってたりするのです

      いいかい
      すべては「そこに置いてあるもの」を
      拾い上げたに過ぎないのだ

      あなたは「自分の心」と定義してるがそれは違う
      そもそもあなたはいない
      あなただけがこの世にいないのだ

      ではあなたが自分だと思っているものは何か
      それはそこに置いてあるマインドだ
      思考が自我という影を残す
      あなたはその残像、つまり記憶を己だと擦り込んでしまう
      それを覚えておきなさい
      あなたはいない
      あるのは単なる思考だ

      >少し自分さんが心配になりました
      心配は無用だ
      なぜならばすべてが流れのままにあるからだよ

      私は流れている
      そのとき、私はいない

  2. より:

    そう言えば、お金に関しては全く無関心なのですが、いつもお金には困らないですね。一方で、好きなことを仕事にしたいと、その事ばかり考えているのですが、絶対それだけは叶わない。
    それ以外の事は驚くほどうまくいくのに、仕事運だけは最悪。

  3. より:

    全ては自分だが自分は居ない。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      その通り

      すべてが自分であると悟るとき
      自分は消える
      他者や物、さらには起こる出来事ですら
      その境界線が消え
      ただひとつの流れがある、となる

  4. より:

    この記事からインスピレーションを得ている。

    私は昨夜いくつかの石を投げた。
    一つは予想通りのリアクション。いつもの輪廻。
    一つは投げたあと少し後悔した。結果はまだわからない。
    釈迦は、行為を行って、激しく後悔したならそれは悪い行為だと言ったらしいが、
    どのような結果も、一つのシーンとして受けとるならば良いも悪いもないし、投げないよりは投げた方が良いかもしれない。
    結果に執着しないなら、投げた方が楽しいし。「悪いこと」でも、起こらないより起こった方が良いか。
    そもそも、結果を考えて石を投げるならば、石を投げる行為が苦になる。
    結果に執着しないならば、ロシアンルーレットすら楽しめる。
    人生とはある面でロシアンルーレットだが、いかなる結果も自らを離れて淡々と受け入れるならば、行為に苦は生じない。
    引き金を引くのが楽しくて仕方がないはずだ。とミスターマインドかくかたりき。

  5. ワモノ より:

    あの時の覚醒者さんに対する自分さんのお返事、すごく心当たりがあります

    自分の理想像があり、それに近づこうと頑張ったんですが頑張れば頑張るほど離れていくばかりか、周りの人間がどんどんそれに近づいていきました
    もう劣等感と嫉妬心で心の中がえらいことになってしまいました

    意識の作用は分かりましたが自ら不幸に進むこと自体も幸福を求めてやってしまいます

  6. より:

    全部自分だと思えば余計、腹も立たなくなった。私は生きる。私は生きるために働くと意識しながら一日を送ったら、やたら平穏無事に一日が過ぎて行く。
    芸術の為に生きようなんて思ったから苦が生じたのかな。
    生きるために作る。生きるために作曲し、生きるために歌い、生きるために創作する。

  7. 自分 -涅槃- より:

    >鯤さん
    >ワモノさん

    そう、何かをするために生きているのではない
    それは生がとても貧しいものとなる

    理由が必要な命

    それは、女が男にはまり
    その繋がりのために産まれてきた子供と同じ

    人は自分の人生を
    そのように不幸にする

    理由が必要な命
    その命は生にいない

    理由などいらないのだよ
    意味もいらない

    生きるために食べ
    生きるために創る

    だが「生きるため」は
    「生き延びるため」ではない

    「生きる」で完結しているのだ

    「生きる」という名称が
    あなたそのものなのだ

  8. あめ より:

    自分さん、こんにちは。

    いつも記事を楽しく読ませて頂いています。

    こちらの記事に書かれている、あの時の覚醒者さんへの返答をたまたま拝見し、衝撃を受けました。
    >「求めればその逆の状況になる。お金を求めれば、より「お金のない自分」が強く演出されるようになる。恋人のハートを求めればより「相手にされていない自分」が演出されるようになる」
    まさに私の人生は呆れるほどこの繰り返しだったからです。
    この状態から抜けるためには、

    >これをうまく生かしなさい
    あなたが不幸に自ら進むほど、幸福があなたの廻りを包み出すだろう
    その包まれている状態、それを維持しなさい

    との事ですが、これは一体どうすればいいのでしょうか・・・?不幸に自ら進むとは・・・?是非教えて頂きたいです。

    • 自分 -涅槃- より:

      あめさん

      いいかい
      幸福とは不幸があるから浮かび上がるのだ

      つまり幸福であるとき
      人は不幸を恐れるようになる
      それらはワンセット

      だから幸福であることとは
      不幸であるということ

      ではどうすれば
      そういう苦悩を脱することができるのか

      それは幸福をやめることだ
      つまり
      いまが不幸であるならば
      不幸であることを基準としなさい
      それで当たり前としなさい

      不幸が不幸と感じられないぐらいに
      不幸に染まりなさい

      ならばあなたに幸福を求める気持ちは消える
      幸福が消えれば
      不幸も消える

  9. ボンベロ より:

    意味などない
    意味などないことに意味などない
    ただガチョウが外にいるとすればそれはそれの話だっただけの事。
    一瞬で幸せになるには逆にそれしかないのではないかと思う今日この頃です。

    • 自分 -涅槃- より:

      ボンベロさん

      また手記にするが
      いつくかの要点だけなのだよ

      ただそれを理解するには
      凝り固まったものを溶かさなければならない

      あなたが人生で常識としてきたもの

      それが溶けてはじめて
      その意味がわかる

      こんなに単純なことだったのかと
      それがわかる

      それまでは努力しなさい
      どれだけ世界が自分の価値観だけで作られているか
      それを知ることからはじめなさい

  10. Aslan より:

    私が一番好きな手記がこれ。

    「出来事を起こして流れに委ねる」

    これなら出来るでしょう。

  11. Aslan より:

    この記事が、やはり、私の根本。
    低次元か高次元かはさておき、今まで「出来事を起こらせる」という事を優先させてきた。
    しかし、みっちゃんも言っていたと思うけど、「迷いのなかで行動する」ならば、「出来事も迷っている」
    出来事が迷走しているんだよな。
    一方で、モーセが海底を渡っていくかのごとく、スパッと切れ味よく出来事が起こることも在る。ポジティブが連鎖していく。
    この場合は、出来事を起こす人格と、出来事を体験する人格が分離しない。(「明日は早起きして素振りをしよう」と思って、実際に朝起きて素振りをしているような状態。)

  12. Aslan より:

    仏弟子はいつもGOGOGO!だが、軽はずみな行動は慎むべきだ。
    それが今回の学びかな。
    しかし、何が軽はずみで、何がマインドの抵抗かと言うと、その場では判断しずらい。軽はずみでも、GO!した方が学びが大きい場合もある。

  13. Aslan より:

    いやー、今日も、現実と言う一枚の絵をビリビリッと破り捨てましたよ。
    いつもながらスカッとするね!
    また、まったく新しい展開となる。第二幕、第三幕と。
    かなり迷ったが破ってよかった。
    本当にありがとう。涅槃さん。あなたと言う自分にあったおかげだ。

  14. Aslan より:

    今日さ。「好きな娘」が俺の悪口を言っている夢(つまり現実なんだが)を見たんだよ。
    だけど、夢の中で、「これは夢である可能性があるな」と冷静に考えている自分もいるわけだ。
    そもそも「好きな娘」と言う存在自体も、「そう思えばそう見える」と言う現象に過ぎないことを冷静に確認している。
    つまり、よく分からないのである。
    今朝「底の石 動いて見ゆる 清水かな」と言う夏目漱石の句が浮かんだ。清水とは何だろう。心の事だろうか。
    本当は存在していないのに、存在しているかのように見える。動いているのは石ではなく、川の流れ、すなわち心なのかと。
    そういう観点から、今日の出来事を振り返ってみるのである。
    心が「好きな娘」と言う現象を作り出し、さらに「悪口を言っている」と言う出来事まで作り上げた。しかし、元々は何も無いはずである。(心がなければそこにあるのは石ころである)

  15. aslan より:

    多分、「ただ参加する」のではなく「意識的に参加する」要するに「創造する」と言う行為のみが、至福(満足感)を齎す。
    それ以外は、疎外感や絶望、不満の温床となる。

    • 涅槃の書-自分 より:

      aslanさん

      死とは「何も知らない」という「非知の領域」だ。ゆえに創造とはそこに「知」を起こすことをいう。

      好きなことだけやっていけばいいのだよ。嫌なことがあるなら、それを良い見方に変えていけばいい。それでも変えられないのなら、そこから離れることだ。

      「こうでなければならない」という神話に巻き込まれてはならない。「こうでなければならない」のはその神話なのであり、あなたには関係のないことだ。

      いつも自由でありなさい。その自在性が創造を加速させるのだ。

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