「仕事」とは循環が名を変えただけのもの

仕事とは何だろう

この世界のすべてが
ひとつの総合体であり
その循環のために無常があるのならば
「仕事」が見えてくる

ミツバチは蜜を集めて巣に戻る
物は上から下へ落ちてくる
水は氷温で凍る
暑ければ人間の体は汗をかく
植物は種から育つ
風が吹けば髪や服は靡く

それらが循環だ
つまり各々が「仕事」をしている

では人間でいうところの仕事
呼吸も排泄も仕事だ
だが少し視野を広げてみれば
「勤務」はあなたのためのものではない
「あなたを含んだ総合体」の循環である

ある売れっ子のキャバクラ嬢がいる
彼女たちの世界ではいわゆる「営業」と称して
客に電話をする
成績のために何かしら能動的に動く
そうして「掴もう」とする

だが売れっ子のそのキャバ嬢は
そういった「営業」をしないという
中元や歳暮といった形式的な作法を行うだけで
自ら掴みにはいかない
そこが他の売れない従業員との違いだろう

客は
「自分だけに電話をくれないのかもしれない」
「でも店に行けばとても良い反応をしてくれる」
など様々なことを考えるのかもしれない

どちらにしても売れっ子の彼女は
「出来事を起こらせている」のだよ
彼女は何も仕向けていないし
彼女以外の世界が勝手に動いている
だから売れっ子なのだ

中元などは何の苦もなく
無意識に流してる
その「無為」が雨となり川となり
生物に恵みを与えていく

だが彼女はまったく「引き受けていない」
外に意識が向いていない
自分のやることをただやっているだけだ

営業マンがまったく成績が上がらないのは
出来事を起こらせていないからだ
すべては総合体
その循環を見ていればいいだけ

何もしないでいい
外に意識を向けて
魂を喰わせる必要はないということ

つまり「仕事」とは
循環を停滞なくスムーズに流していくこと
それが結果的に、生物の繁栄だったり
商売繁盛だったりとなる
あなたの人生もそうだ
すべてが循環していれば
あなたの人生もスムーズとなる

だから
「仕事したくない」という人は
循環を止めている
無論、循環の上で仕事をしない人もいる
無為にての無職
それはいい

だが作為的な無職は
自然現象的ではない
あなたは自然に溶けられない

これから商売を始めようとするのならば
その商売の内容は何だっていい
八百屋でも人身売買でも同じことだ
だが
世界を循環させるために行われるのだということ
それを知っておきなさい
「無為」、
つまり勝手に起こる呼吸の如く
あなたは世界を受け流していく

それが商売だ
商売や職とは
まさに「ひとつの総合体」の新陳代謝
海が蒸発して雨になり川が生物に恵みを齎すように
巡り巡る循環のことだ

商売は「商売」ではない
仕事は「仕事」ではない
お金は「お金」ではない

「循環」が名を変えただけのことである
すべてはひとつの総合体
ただそれを流していくだけでいい

苦はあなたが作為的になったときに
必ず発生する

無為でありなさい
出来事を起こらせるのだ
あなたが起すのではない
起こる出来事を見ているだけ

ナンバーワンのキャバ嬢になりなさい
それこそが無為自然の境地である

 

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , ,

コメント・質疑応答

会員記事のコメントは記事上ではログインしないと表示されません。
会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
連続投稿する場合は「自分の最初のコメントに返信」してください。
記事に無関係なコメントは禁止です。良識の範囲内でご利用ください。
業者からのスパム広告を防止するシステムを採用しています。短期間内に連続投稿をするとシステムにスパム登録されてしまい一切の投稿ができなくなりますのでご注意ください。

  1. 仕事 より:

    私の仕事には「指名」というものが絡んできます。
    掴もうとせず、ただただ仕事をする。
    増えました、指名。
    でも、こういう人についてほしい、っていうエゴの望みとは違うタイプの人ばかりの指名が(笑)

    流れって面白いです。

    • -自分- 涅槃 より:

      仕事さん

      とても良いコメントだ
      ありがとう

      その通り、自我を捨てると
      そこに残るのは
      「あなたを含んだ世界」という自己だ
      それが生というキャンバスである

      普段の「自分」をその世界から消し去ってごらん
      イメージでいい
      あなたのいない世界

      老人や子どもたち
      経済
      流行

      そうした物事から「受け取る印象」がある
      そのニュアンスを掴みなさい
      それが本当の「あなた」が反射されたものだ

      つまりあなたのことだよ

      今の仕事が嫌だという人がいる
      今の生活が苦しいという人がいる
      そうしたネガティブの中に
      自分自身がいるのだ

      それを見つけると
      苦は消滅する
      全部自分だったとわかるからだ

      >「エゴの望み」とは違う人が集まる

      どれだけエゴが純粋な流れをせき止めていたか
      その答えが出ている

      そのまま流れなさい
      いずれ舵を取らなくとも
      ちゃんと自分が望んでいた方向に
      向かっていたことがわかるようになる

      身を任せなさい

  2. 仕事 より:

    仕事は喜びです。
    呼び名を変えた方がいいのではないでしょうか。

    ところで、エゴの罠には気を付けないといけないですね。
    「無為の為を行おうとする作為」に嵌まりそうになります。
    それは常にど真ん中の直球を投げようと努力するようなもの。
    もちろん不可能なのですが。

    失敗もします。
    喧嘩もします。
    でも変わらず仕事は喜びです。

    • -自分- 涅槃 より:

      仕事さん

      そう、喜びだ

      「仕事」も「歩く」も「服を着る」も
      「全体」が起こした一連の動きであり
      それを私たちは個別の出来事として
      映し出しているに過ぎない

      あなたが抱えている苦は
      「仕事」「歩く」のように
      名を与えられ
      そして区分されていることが要因となる

      失敗も喧嘩も
      感謝も満足も
      すべて同じものだ

      言葉を捨てることで
      あなたは「大いなるひとつ」に
      触れることができる

      肉体を感じなさい
      そこには仕事も失敗もない
      ただ喜びがあるのみだ

  3. 仕事 より:

    思わぬご指摘をいただきました。
    ありがとうございます。

    「名を与え区分する」という行為は、まだエゴにおいて納得・解釈したい表れですね。
    生が瞑想になります。
    ありがとうございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      仕事さん

      この世界は言葉でできている
      もし言葉を捨てることができれば
      何も存在しないゆえに
      すべてが在ることになる

      手もコップも不安も笑うことも
      何もかも言葉なのだよ

      だから人間だけが
      幸せを作り出すことができ
      そして人間だけが
      不幸になることができる

      瞑想が深まると
      言葉が捨てられるときがわかる

      一度そこまで到達することだ
      いま自分が抱えているものは
      単にそのように見ているだけ、
      その意味が理解できるようになる

コメント・質疑応答

  関連記事