内向的な自分を解放する

あなたが採用している
無意識の法則によって
この世界は「見える」わけだ

あなたの現実はどうだろう

躍動に満ちた朝の光で目覚めて
人々は愛のもとに分かち合い
みんなそれぞれ
自分のやるべきことをやっている

夕方は黄金の光で癒されて
街全体が美しい煌めきを放ち
食べものや衣類に感謝をして
豊かさに包まれている

人生は終わらない夏休みのようなもの
そんなパラダイスに生きているだろうか

それとも欺瞞や裏切りに満ちた
ハードな世界観を
サバイバルしているかもしれない

常に減りゆく何かに怯えて
体に鞭打って動かなければならない

人間関係や生活環境
お金や病気や将来について

あらゆる物事が苦悩であり
そんな冷たい闇のなかで
息を殺して生きているのかもしれない

だが実はどちらも「同じ場所」にいるのだ

あなたがどのような法則(ルール)で
物事を捉えているかでこれだけ違う

またあらゆる人々や物質なども
常にあなたの「すぐ近く」にある
ルールによって
それが見えたり隠れたりしているに過ぎない

だからあなたはその場で
幸せになることができるし
不幸にもなる

欠けているものを補おうとして
次々と何かを求めることは
いまいる場所から意識を離すことにあり
この場を空っぽにすることになる

本当は足元に埋まっているのだ
ルールによって
幸福は隠れているにすぎないのである

それが見えないからあなたは外へ探す
するとますます足元は隠されてしまう
つまり求めるほど欠乏感に浸されるというわけだ

よっていまここで幸せにならない限り
苦しみ続けることになる

 

1.

人それぞれ世界が違うというのは
それぞれの見方が違うということだ

幼少の頃と大人になったいまでも
人々や物事の感じ方は違うだろうし
同じ自分を生きているのに
常に世界は変化がある

つまり世界の変化とは
あなた自身の変化にある

採用している法則とはつまり
あなた自身の性格や考え方を定義し
その法則のなかに「のみ」浮かぶ思考を
あなたは自分の考えだと思っている

これは重大なことである

なぜならあなたが何を考えようとも
それはすでに用意されたなかから
選ばされているものだからだ

そのカードは何枚あるのだろう?
もしかすると数枚程度かもしれない

ならばあなたは数枚のカードしか
思考の猶予(現実の選択肢)が
ないことになる

たとえば誰かと会話していて
相手の言動に腹が立つ
あなたはどう考えても
それは腹が立つことにしか思えない

だが私は同じ言動を受けても
大いに喜んでいるかもしれない

そしてまた法則は「法則である」ゆえに
あるカードを選ぶと
そこから別の何かに連鎖していく

するとさらにカードの枚数が増減する

あなたの持ち札の数が少なければ
もはや他者の行為が
すべて自分への攻撃や非難に
みえているかもしれないね

そうして最後に残ったジョーカーのカード
その絵柄のなかに
あなたは閉じ込められてしまうわけだ

そこから抜け出すには2つの方法がある

ひとつはいつも話しているように
「己はカードではない」
ということを知ることだ

鏡に映る道化師は単なるメイクであることを
知ることにある

もちろんカードにすぐに引き戻されるだろう
ジョーカーは常にあなたを監視している

瞑想的になって解放された気分もつかの間
すぐに他者の嫌な部分が見え始める
どんどん惨めな気持ちになっていく

ほら鏡をごらん
いつもの派手なメイクだ

本当は笑っていないのに
笑っているようにみえる

 

2.

あなたは何を笑っているのだろうか

自分の惨めさを誤魔化すため?
それとも不敵な笑みで
他者を威圧してるのかな

自分がもうこれ以上傷つかないように
何も入ってきてほしくないからと
跳ね返しているのかね

そりゃそうだ

あなたには後がない
もう最後のカードなのだ
これ以上侵入されたら
もうカードは引き裂かれてしまう

だからあなたは外でいい顔をする
いい人であろうと努力する

でもそれは自己防衛だろう

自分がそんな嘘っぱちだから
他人のことがますます信用できなくなる

つまりこうして「法則」に流されていく

2つの方法があるといったが
もうひとつはその法則を逆流させることで
カードを増やしていくことにある

ただし注意があって
いくら増やしてもジョーカーを選べば
また同じところに戻るということだ

ゆえにカードが増えた時点で
別の法則に乗り換えること

これを忘れずに覚えておきなさい

 

3.

さてあなたの性質は
大きく分けて2つのパターンがある

外交的であるか内向的であるかだ

その時々の気分によっても違うだろうし
小学校の頃なんかは何も考えずに
みんなで活発に騒いでいたかもしれない

だが大人になるにつれて
どんどん内向的になっていく
カードが減っていくわけである

だから内向的である時間のほうが
長くなってくる

何も考えずに騒いでいた子供の頃を
思い出してみるといい
奔放だったけども言いかえればそれは
鈍感だったともいえる

いまのような過敏症ではなかった

だが世間で生きていくには
その過敏症は致命的になる
なぜなら世間はあまりに
情報が多すぎるからだ

街を少し歩けば
通行人の視線やら店員の態度やら
ガラスに映る自分の容姿やら
あらゆることが気になりはじめる

本当は誰も悪気などない
ただそういう出来事が起きただけなのに
あなたは自分が何かをされたと思う

つまり
「ただそういう出来事が起きただけ」が
膨大な数量で常に連続して
起きるのがこの世間となる

だからあなたは瞬殺される
出かける前の「内向的」に
盛り上がっていた高揚感はどこへやらだ

 

4.

だがここで内向性のメリットが見えてくる

つまり外部の情報と遮断された世界において
自分自身を楽しむことができるということだ

外交的というのは
言ったように鈍感であり
自分自身を楽しむのではなく
その鈍感さゆえに周囲の情報と混じり合って
無思考になることにある

これは禅の「ノーマインド」とは違うものだから
気をつけなければならない
ここでいう無思考とは
「無意識に流されている」ということだ

酒で思考を麻痺させているのと変わらない

あなたが内向的であるとき
世の中の人々について
徒党を組まなきゃ何もできないような
愚かな集団にみえるだろう

騒ぐ若者たち
いじめ集団
主婦の井戸端会議

個々の実際の心情はどうであるかは別として
群衆でいれば発言に責任を負うこともなく
何かのターゲットを見つければ
その話題に溶け合う「ある種の力」に魅了される

その「ある種の力」が無意識の法則となる
ドミノようにどんどん勝手に倒れていく

つまりラクなのだ
無責任かつ無思考でいい

実際これは時代の集団性であり
全体主義やらイデオロギーやらを
生み出す根源にある

だがそのなかで輝きを放つ天才が現れる
ビジネスで成功する者や
幸せな家庭を築くような者

そうしたひと握りの者たちは
総じて内向的にある

SNSやらの炎上などを見ていれば
よくわかるが
後ろ指をさされるような人というのは
だいたいは羨望が向けられているものだ

どうしてそのような個人プレーができるのか
理解できない
納得できない

自分の理解できないことは
当然認めることはできない

するとそれは「許せないもの」だとされる
まさに法則に乗っかっているね

そうして
「あいつはバカじゃないのか」
と罵りはじめる

もちろん指をさす者は
己が羨望しているなんて認めない

それを認めようなんてすれば
彼らの心のなかで壮絶な抵抗感が起こる
引き裂かれそうになる
落ち着かずに不安定になる

すると彼らのお決まりの言葉が出てくる
「虫唾が走る」ってやつだ
吐き気がするほど不快でたまらない

だがその抵抗とはなんだろう?
それは己の愚かさなのだ
どう足掻いてもその個人プレーへ
自分は飛び出すことができない

よって批判したり罵ったりするわけだが
それをする自分には
「聡明な自分がいるはず」であり
ゆえに己の行為を正当化しなければならない
「私はこういう見解で彼を罵っている」とね

だから見解を立てるための知識をかき集める
すべては揺らぐ自分の心を支えるためだ

だがそれでも個人プレーという
飛び出した流星の持つ躍進力は壮絶であり
自分はその流星の後を追いつづけて
小姑のように小言を
言いつづけているだけだと気づく

するとますます心が揺らぎはじめる

そういう者たちが
己の心の抵抗感から逃れるすべはただひとつ

それは大多数を味方につけることにある

ゆえに「彼ら」は何も生成できない
つまり真の幸福を掴むことはできず
苦しさから逃れる領域だけを求めて
その領域が幸福であるのだと誤ってしまう
やがてはそのオアシスも枯渇する

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