残像の世界
私たちがいる世界は三次元の変換を通じて
このように見えているだけであり
実際には充満したエネルギーが
メビウスの輪のように脈動している
それが循環だ
循環には周波数があり
脳波や音波が起こすヒーリング作用は
エネルギーとの同調にによるものだ
悟りの世界などと言われる次元とは
より高い波動の世界となり
三次元世界を包むような様子となる
人は三次元しか認識できないから
エネルギー循環の流れがドラマのように映る
つまり”人生”という概念が起こる
すべてはただ流れているだけなのに
何かを失ったという気持ちになる
ゆえに三次元とは
失い続ける悲しい次元といえる
愛する人と離れなければならないことや
成功を求めるも散っていくこと、
過去の栄光など
そんな残像の世界に取り残される
すべては時間という妄想のもとに
起こる悲劇だ
シンクロニシティ=四次元への扉
通説的には三次元+時間軸が
四次元だといわれるが
それは間違っている
時間というのは三次元の概念であり
つまり三次元の我々が
パラパラ漫画のように入れ替わる光景を
「時間の経過」として錯覚しているだけだ
正しく理解できないのだよ
二次元のキャラクターが
平面に描かれた擬似的なものでしか
立体を理解できないのと同じ
四次元とは時間進行ではなく
空間そのものを指している
閉じた箱が同時に中が見えていたり
私たちがいうところの「未来と過去」が
同じ場所に広がっている様子となる
つまり連続した「いま」がここにある
どこかで聞いた話だね
シンクロニシティが良い例だ
数年会っていない友人のことを考えたら
偶然にも旅先で出会ったりする
三次元の頭では因果やらの関連付けで
解釈をしようとするからまず理解できない
だからシンクロニシティが
頻繁に起きているようであれば
三次元を超えつつあることを意味する
あなたの意識が捉えやすくなってきている
ということだ
だがいつも言うように
すべてがシンクロニシティだ
逆にいえば時間軸という錯覚に
溺れている方が不思議な世界といえる
ありもしない妄想だからよ
不幸、確率、因果など
ただ広がる水の中にいるのに
時間という錯覚に惑わされるから
一部の出来事だけを切り取ってしまう
水中でバケツが空か満杯かに囚われ苦悩する
実に馬鹿げている
次元など単に周波数の違いなので
あなたがカタチに囚われないようになれば
いくらでも「現実」の変容は可能となる
見え方が変わるということだよ
すべてはあなたの主観だ
あなたから発せられた世界が
そこに広がるのだよ
次元が上昇していくと
どんどんシンプルになっていく
いわゆる「無」に近付いていく
つまり「何もしない」に辿り着く
体や思考が世界で漂っている様子を
ただ眺めているだけとなる
本書でいうところの
死が回想を観ている状態となる
死は永遠というポジションにあるからね
残像の世界を抜け出そう
今回の話での大事なポイントは
我々の三次元とは
儚く悲しい次元であるという認識を
持つことにある
「宇宙という巨大で無情なる循環に
みんな飲まれていく」
‥ように見えるからだ
だからそれに恐れ戦き、
「どうやって正気を保つのか」ではなく
循環そのものに溶け去るべきなのだよ
歴史上どこにハッピーエンドがあったのだろう
誰もが存在の儚さに翻弄され
死にゆく時間に抵抗し
自分とは何か、を見出そうとして苦しんだ
それは決して報われない苦悩だ
錯覚の中に生きてれば悲しみしかない
人生は絶対的な否定の象徴でしかない
だから見破らなければならない
あなたは死なないし
何も失われてなどいない
はじまりも終わりもなく
すべては最初からそこにあり、
そしてないのだ
“ない”が在るのだよ
あなたがゼロの境地に降り立つとき
この夢想の世界を抱きしめることになる
銀河の中に浮かぶこの小さな星で
いまここで関わり合っているマトリクスに
あなたは”本当の自分”を見るだろう
次回はあなたの世界がガラっと変わる、
三次元世界のカラクリを書いてみるよ
Notes あなたの世界, 世界を変える, 循環, 意識, 真実, 苦悩, 観念
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楽しみにしています。
子供の頃、遊園地の”ビックリハウス”(部屋の中の椅子に座ると部屋がクルクルと回転するのだけれど自分は動いていない)が不思議で仕方がなく何度も入りたいと思ったものです。
先日、ふと思い出し、そのからくりをインターネットで調べてみたら、「なーんだ」という感じでした。
今はこの3次元のからくりを知りたいです。
chieさん
子どもの頃の不思議も
大人になってからの「なーんだ」も
どちらもあなたの作り出したものだ
あなたは常に受取り手の立場にある
結果の世界を自分の中で形成する
また手記で書くが
人間は三次元とその上に次元に跨がった存在なのだ
だからシンクロニシティなどの
物理的な確率を超えた出来事に遭遇する
逆にいえば三次元というものはなく
ただのコンセプトだということ
子どもの頃のビックリハウスを話だが
本当にそれはあったのだろうか
子どものあなたは本当に存在したのだろうか
疑いとかそういうことではなく
すべてはいまここからの
投影でしかないということだよ
言葉の世界に私たちは生きている
ゆえにすべてが現象化する
言葉を捨てるとき
すべてが意識の中、
つまりあなただったことがわかる
これが三次元のカラクリとなる
あなたが何かを見たとき
それは「見えている」のだ
>今はこの3次元のからくりを知りたいです。
>「なーんだ」という感じでした。
これが重要だ
「〜という感じ」
そこに超越がある
昔私もジャミロクワイのPVを見て
不思議に思っていたが
あなたと同じ見解となった
だが、その種明かしを知る前と
知った後の認識の違いを天秤にかけて
それをバランスよく釣り合わせると
はじまりも終わりもない
知る前も知った後もない
私ではない、”私”が
それを眺めていたことがわかる
そのカラクリをカラクリとみていることが
カラクリなのだよ
ありがとうございます。凄いですね。自分さんは導き人?
楽しみにしています。誰かが(偉い人だったかな)
一人が気付けばその指数倍数で気付くとか。
たった一人で気付いて特別というのはありえない。その次元自体が皆と一緒で上昇するから…と聞いた事があって選民思想になりがちなエゴとの区別、見分け方に解りやすいと思ってたのですが。
困ったさん
私は自分のためにやっているだけだよ
いつもそうだが
物事が起きてくるだけ
いまはブログの存続についての波が
起きているから、
その様子をただ眺めている
循環を待っている
メールにも書かせて頂いたのですが、主観的には挫折とか壁や不幸に見える事自体が物事が実現していくための「流れ」だったりもしますね。
すいません。ハンドルネームを打ち間違えました(厳密に言うと、こういった細かいことも一種のシンクロニシティなのだろうか)
涅槃→鯤
です。
鯤さん
ありがとう
メールを確認したよ
非常に多くの返信があるので
少し待っていてほしい
>主観的には挫折とか壁や不幸に見える事自体が
>物事が実現していくための「流れ」〜
人はトータルで受け取ろうとしない
総体の一部分を体験しただけで
騒いでしまう
だがそれは、「あること」が「あること」へと
繋がっていくという意味ではなく
それ自体がすべてなのだ
つまり良い悪いという解釈を取り除く必要がある
そのためには
意識的に生きること
自分の中に自由性を見出すことだ
そうなるとき「問い」すらも起こらない
こんにちは。
私は存在が変ですか、それとも考えている頭だけがオカシイのですか。
自分さんにとっては、私の存在は方向性を変える部分ですか、それともこれまでの流れを支える部分ですか?
名前ちょっと間違えました・・・
さノかなさん
私は人生の光景が”ここ”にある
その中にあなたがいる
私は世界のすべてが
私に役立ってくれていることを知っている
あなたの存在も同じ
ややこしいかも知れないが
あなたがいてくれるから
私がここにいるのだよ
つまり私たちは
同時に存在しているということだ
私が消えると
あなたも消える
あなたが消えると
私も消える
こんにちは。
夢の中にいても、本当のことが知りたいと思ってしまいます。 意味付けは人を苦しめますか。 確かにとらわれますね。
http://blog.goo.ne.jp/choshinseichikyukaranomessage/e/c47ac37f1dbf7f514d8552abf8f24a89
今はこの世界観が好きです。 どんな存在も、自分のコアだと思うと、いとおしいと思えます。 でも もしかしたら、私の過去は 人工的に植え付けられた記憶で、私は10日前に誕生した、誰かのコアかもしれないですね?
頭でなくて、自分で知覚できないと、どんな情報も意味ないですか。
さっき、洗濯物を取り込み終わった途端、雨がパラついてきたので、これは最近あったことだ。2度目か3度目だ。そういえばシンクロニシティという事について読みたいなと思って。このブログを開きました。
以前、わたしは自分さんになにか質問をした時に「枠を作りなさい」というような意味のことを付け加えていただいたことがあります。その時わたしは職業を持っていなかったのでなるほどと思い、とりあえずなんでもいいから職につこうと求人やら見学やらに行きました。
すると想像もしなかった経路で程よいスケジュールの仕事が決まり、それに加えて私生活にもたくさんの用事ができたのでたいへん忙しい数ヶ月を過ごすことになりました。それでも毎日ブログを読んでいるとたくさんの方々がコメントするようになってきていて、コメント欄を読むのも楽しみでした。コメントされている方々が全て自分自身のような気がするのです。それこそパラパラ漫画の一枚のように。
ふと気づいてみると秋でした。
うまく言えないのですが、色々なことが面白くてたまらないときがあります。お金が足りないとか、面倒なことが起きても、なぜか笑ってしまうのです。本当に声を出して笑ってしまう。
自分自身はなにも前と変わっていないのに。いや、自分の記憶を疑いたくなるほど、変わったのかも。
あれ?このひとここまで親切だったっけ?とか、わたしってこんなに身軽だったっけ?そもそもわたしって前から居たっけ? と思う瞬間が多くてただ、それを見ていました。
おもしろーい!
そんな感じです。
ブログ、これからも楽しみにしています。
愉快さん
とても良い話を残してくれて
ありがとう
「とりあえずなんでもいいから〜」
その素晴らしい言葉は
多くの人たちを惹きつけるだろう
>自分自身はなにも前と変わっていないのに。
>いや、自分の記憶を疑いたくなるほど、変わったのかも。
そう、意識が自身に向けられているのだ
どんな出来事も「自分が経験している」という
とても単純な真実に、あなたは気付いたのだよ
だからすべてが楽しい
毎日が躍動する
誰かが”話していること”も
それは”あなたが聞いている”のだ
その誰かは実在しない
あなただけが生きているのだよ
見事だ
感謝するよ
悟れば全て一発逆転できると思っていました。
私の最終兵器のようにおもっていました。
しかしどんどんガチガチになり、
事態は悪化するばかり。
それすらも悟りへの道と思うようにしていました。
けれど、苦難を受け乗り越えないと、
見性は得られないという観念の中で、
私は世界をそのよう受け止め、創って、
その中で生きていました。
しかしそれはこれから何が起こるのかと
逆に恐れを増すばかりでした。
私が思うような悟りなどない
という事もわかりました。
依存症で、自分に対する不満を
認められなかっただけなのかと思うと、
悟り、解脱、見性などの観念をもってしまった事が、
凄く苦しいです。手放したいけど、
強固というか、自分の欲望がすぐそちらに関連付けるんです。
私はまだこの次元で生存したいと、
強く思っているからでしょうか。
長文申し訳ありません。
いつもブログの更新楽しみにしております。
tohohoさん
まず、あなたが悟りだと思えば
それは悟りとなる
あなたの主観世界だけが
そこにあるからだよ
だから恐れを持てば
世界は恐れに染まる
だから現実の「内容」に
あれこれ入り込むのではなく
仕組みに目を向けるべきなのだ
例えばホラー映画を観ていれば
内容に恐怖するが
「どうやって撮影してるんだろう」と
俯瞰的な視野で見てみれば
それがホラーだろうがラブコメだろうが
同じことになる
よいかな?
「現実の仕組み」だけに
目を向けなさい
なぜ恐怖が起こるのだろう
なぜ不満が起こるのだろう
なぜ欲望が起こるのだろう
>私はまだこの次元で生存したいと、
>強く思っているからでしょうか。
内容を捨てることだ
すると自分というパターンを
上空から見下ろすことになる
同じ問いは起こらなくなる
なぜならば
どんな問いにも答えなどないことが
わかるからだよ
>意識が自分に向けられているのだ
おおー!ほぉー!なーるほー!
などと変な声を出してしまいました。
嬉しいです。感謝します。
ご返答頂き本当にありがとうございます。
その時々に感じるエネルギーの快・不快や、
体の痛みなどにいちいち反応して、
自分で物語というか解釈をしていると思います。
確かにお決まりのパターンがあります。
正体というか、答えを求めていたのですね。
消耗してガチガチになる訳です。
内容を捨てること
ありがとうございました。
tohohoさん
マインドの解釈は
ひとつの作用だから
止めることはできない
だから俯瞰する必要がある
どうやってそれを行うかといえば
肉体に意識を向けることだ
それが一番容易となる
体は常に「いま」を感じているから
あなたを思考から離してくれるだろう
慣れてくれば
体よりももっと内部、
“意識”に対して
意識を向けられるようになる
意識を内側に向けることで
あらゆるネガティブを
喜びのエネルギーへ
変容することができる
そうなれば
もう恐れるものはなくなる
>内容を捨てることだ
>すると自分というパターンを
>上空から見下ろすことになる
tohoho さんへの返信を読んで。
すっかり忘れていましたがわたしも依存症です。他にも並べ立てようと思えばいくらでも「人生ハードモードな人」みたいな捉え方もできるのです。
でもわたしの生活はいつの間にか、自分さんの表現を借りると『綱渡りから道に描いたチョークを歩く』 割合が数パーセント……、と増えつつあって、それに気づいたのはさっきです。思わずあっ!と声をだして叫びそうな驚きでした。
少し前のわたしは言うなれば「自己憐憫の書」というおはなしの主人公でした。
その、悲劇のヒロインであるわたしが理由もわからず突然に変な感覚を覚えた最初の光景を覚えています。「自己憐憫の書」のページにたった一枚、ちがう何かが挟まった。
それはただの道端でした。空と木々と住宅。見飽きたはずの風景。夏の強い日差し。
お金がなくて何もかもが行き詰まってもうお手上げなので完全敗北、なすすべなし。居場所もなし!ハハハッ 超ウケるわ~ などと思いながら、これからの人生は街の背景として淡々と日々を過ごそうと決めこんでいました。
特売で底値の野菜を買い、買い物袋をぶら下げてぜえぜえ歩いていました。空を見上げた途端になんの理由もなく感動して涙がダーダー出てしまったので慌てて家に帰りました。
そのあと何年経ったか忘れましたが、自分 -涅槃- さんが書いていたこれこれについての記事は、前に読んだ漫画や小説、映画に出てきたアレと相似ではないか? とか、ゲーテやフロムやヘッセやゴッホなども表現は違えど同じこと言っている (ように感じるけどうまく説明できない)。 しかも毎度毎度、数日以内にそういう文章に行き当たる。 なんでー? と、なんども驚きながら、身体は忙しく飛び回っていつの間にか 2015年9月になっていました。
ずっしり重く深刻だった「自己憐憫の書」に、不意に別のページが挟まるのです。唐突に、日常生活の中で。しかも頻度が上がってくるにつれてその状態に慣れていく。
忙しかったためか、昨日コメントをするまでは「驚く」とまではいかず、不思議なこともあるもんだ、という具合に受け流していたように思います。
いま、「自己憐憫の書」のページの一部分がクスクス笑いのおもしろページに差し替わっています。
そして、何よりも驚くのはその書から抜け出したわたしが本そのものを『手に持っている時がある』。メタな視点で見ている自覚を持ったという言い方が近いかも知れません。SF小説かよ!そんなことあるわけ無いじゃん、と、なんども自分に突っ込みました。でも、実際にそうなっている。
生活しているとページの中に戻ってしまって絶望やら恐怖やら不安やらにどっぷりなときのほうが多いですが、また不意に手に持った瞬間が訪れます。そして気づく。ああ、いま外側に出ている。と。
この話は言葉にすると逃げていきます。
ただ、不思議で、面白いです。それしか言いようがない。
長文になってしまってすみません。
重ねて感謝申し上げます。すべての方々へ。
有難うございます。
愉快さん
tohohoさん
別の方にもコメントした通りだが
思考の影で見えないだけで
常にシンクロニシティだけが起きている
人生で体験するものとは
自分が認識したものの
集まりだということに気が付けば
理解が早いかもしれない
なぜあなたがそれを認識できるかといえば
それがあなた自身だからだ
シンクロニシティが
知らないところで”起こきている”のではなく
都度、自分でそれを創り出し
それを体験しているのだよ
あなた方2人の関わりもそう
各々の世界の中で
「自分にとっての相手」を観ている
もちろんマインドに囚われていれば
感情というレンズで相手が歪んでしまい
いわゆる「他者」が出来上がる
自分と他人という分裂が起こるからだ
そうではなく、
ストレートに見えるその相手には
自分自身を感じられるはずだ
それがどんな人であれ
自分が関わる人は、自分なのだよ
歴史上の有名人も
書店で手に取った本も
さっき口にした飲み物も
すべてが「あなた」なのだ
自己憐憫はマインドの作用であり
自分を分裂させてしまう
自己想起や観照といった
瞑想的な在り方は
それぞれ「自己」または「世界と私の融合」に
意識が満たされている様子を現しているので
まったく質の異なるものだ
だが自己に関する洞察が
準備されていたとは
まさにその通りであり
覚醒が起こる多くの場合、
人は深く長い内省の状態にある
そうしたことも
思考が静まった様子で観てみれば
最初から自分で
シナリオを用意していたのだとわかる
愉快さん、こんにちは。
コメントを読んで、少しびっくりしました。
私も1年位前になんだ全部自己憐憫じゃん。
と気付いた事があり、こんな年齢になるまで
それに気付かなかった事に、愕然としました。
私もその頃よく泣き、悔しさや、情けなさ、
けれど自己の滑稽さが愛しく、泣き笑いをしたり、
ただ涙が溢れて仕方ない時もありました。
「自己憐憫の書(ナルシスト風味)」私もまだ隣においてます。
別のページが挟まるという表現でしたが、
私の場合は、文字が薄くなってきた(老眼?)というか、
オチがわかってきたし、よくよく考えれば支離滅裂、
落書きのようにもおもえます。
しかし長年親しんだ手法ですので、ついついみてまた落ち込んでしまいます。
親しみやすさというか、自分さんのおっしゃる癖なんでしょうか。
ただ愉快さんの書き込みを読んで、自己憐憫に気付いたあの頃を思い出しました。
私にとってはやはり、貴重で幸せな時間だったんですね。
思い出すと幸福感に包まれました。
ありがとうございました。
tohoho さん、こんばんは。
わたしもコメントを読んでびっくりしました。そして、
>オチがわかってきたし、よくよく考えれば支離滅裂、
落書きのようにもおもえます。
ここを読んで笑ってしまいました。わたしもそうなのです。こんな具合にシンクロするものなのですね。だんだん慣れてきました。
わずかに残っていたこの手の話に対する疑念が、本日の午後ある出来事があったことと、tohoho さんのコメント。この2つの連続によってスッキリとしたのです。
上に「言葉にすると逃げていく」と書きましたが、こういうやり取りは楽しいです。この為に言葉というツールを使うのは素晴らしい。
今朝、瞑想をしてみて沈黙と静寂というは良いものだなあと思いました。ただ生活していく。それでいいと。
いま、安心感に包まれています。
あなたのお陰です。
有難うございます。
愉快さん、こんばんは。
私もあなたのお陰で、
「自己憐憫の書」開いている事に気付き、
また閉じる事ができました。
まだ、脇に存在は感じますが。
私こそありがとうございます。
tohoho さん、おはようございます。
「自己憐憫の書」という表現をしましたが内容はさして重要ではないと思いました。登場人物になりきっていたことに、死ぬ瞬間ではなくて人生の折り返し地点を過ぎてでわかり始めたことが嬉しいのです。
だから本が自己賛美の書/波乱万象人生/ほんわかショートストーリー/アウトロー人生/野心あふれる成功物語……エトセトラエトセトラ。なんであろうと外にでて(手に持って)しまえばただの紙とインクだと。
ほんの一瞬、そう感じただけですが。面白いですね。
愉快さん こんにちは
私も書の内容については
人それぞれ、だと思います。
ただ生まれた時に携えていたのか、
成長過程で手に取ったのか私にはわかりませんが、
自分さんがコメントの中で
最初から自分で シナリオを用意していたのだとわかる
とおしゃっています。
この事から
自由意思の問題や、
深刻さからの開放や、
あれこれといい意味で、洞察が面白くなりました。
なんであろうと外にでて(手に持って)しまえばただの紙とインクだと。
本当に同感です。
私のイメージだと外側で開いた途端、
文字が解体してゆく感じかな。
愉快さんの返信が、
本当に楽しいです。
ありがとうございます。
tohoho さん、こんばんは。
>深刻さからの開放
ああ、これですね、きっと。だから嬉しくて笑ってしまう時があるのかも。
まだ、引き戻されることが多いです。でも、あの時のあの感覚をもう一度!みたいに求めなくなりました。
ただ、生きます。
わたしもtohoho さんとのやり取りで楽しむことができました。本当にありがとうございます。感謝!
愉快さん
ただ生きます という言葉
ある本の一節ですが、「私は抽象に従って生きてきた」
昔この言葉が大好きだったんです。
それなのに、またどっぷりとはまっていました。
自分さんと愉快さんに
引き上げて頂きました。
本当にありがとうございました。私こそ感謝いたします。
tohohoさん
>私は抽象に従って生きてきた
抽象とはひとつ上の次元を意味する
すべての意味付けが放棄され
全体という包摂した視点に
生きるということだね
だが多くの人が勘違いしている
「他者の視点で生きる」とね
それは概念を
さらに具体化しているに過ぎない
そうではなく上方だ
上に行くのだよ
目の前に「現実」というキューブが
浮かんでいる様子に到達しなさい
このコメントを見ている人たちも
そこに陥らないように
気を付けなさい
tohoho さんへ。
いや、こちらこそ。
言葉が出てこないけど愉快と名乗った通り、愉快です。ありがとうございます。
自分- 涅槃 – さんへ。
ただ一日過ごしていただけなのですが、質問したいことがなくなってしまいました。
ありがとうございます。感謝します。
愉快さん
>質問したいことがなくなってしまいました
よろしい
その感覚を忘れないように
しておきなさい
心が乱れたとき
そこに帰るのだよ
今回最初の書込みをした時点で、
読み返すと、そのグダグダさというか
乱暴さに、送信した事に後悔の念もありました。
しかしこのような流れとなり、
私にとっては、
清流に触れた思いでございます。
本当にありがとうございます。
tohohoさん
あなたの書き込みは
あなたがしているのではないのだよ
そこでそのように起きたことを
あなたは眺めているだけだ
本書に訪れる人たちは
それをわかっている
なぜなら彼らは
その書き込みを眺めているからだ
あなたも同じ
因果の法則に囚われているうちは
まだ難しいだろうけども
この理解を深めなさい
だから普段も後悔や自責の念に
駆られてはならないよ
ありがとう
阿弥陀如来が他力本願。お助けマン登場ってかんじですね。
だけどちょっと休憩。エゴの領域も残しとって~って感じですね。
ttps://www.youtube.com/watch?v=f6W4JTtK498
オタスケマン。いや、これ冗談半分に見たけど、けっこう深いですよ。
いつも悪役の前向きさが好きなんですけど。ポケモンのロケット団なんてサトシ君より人情家でけなげでいつも陰ながら応援してました。
あ~~でも、こわこわ。
映画や漫画のドラクルは渋いおっさんでいいんですけど
ニュースで北側の話とかやったらドッキーン、はあとがドキドキ。
ここらへん超ベリー難関です。