私たちははじめから死んでいる

“私たち”がこうしてみている夢のなかでは
やがて自分は死んでいくという想定が
なされている

自分がまだ存在してなかった世界に
自分は誕生してきて
そしてまた消えていくのだとね

しかしこの死という言葉を
この私たちの夢のなかでの一般的な意味で
用いるならば

なにもなかった状態に戻るのだから
この束の間の人生にしても
はじめからずっと死んでいるのと同じだといえる

言いかえれば
自分がすでに死んでいることに気づかないまま
この夢を見続けているんだね

じゃあ死はどのように訪れるのだろうか

たしかに病気や怪我で
苦しんだりする”夢”はみるだろうけども

この夢が終わったという夢をみることが
死であるならば
それは決してみることができないことになる

つまり自分の死とは
いまみている夢のなかでの単なる想定としてのみ
設定されているにすぎない

まあそうだね

自分が生まれてくる以前の世界を
自分が知ることができないように

自分が死んだという出来事も
知ることはできない

そしてそれは
そもそも私たちは死んでいて
夢をみているだけだということだ

ここで死という言葉を夢のなかでの慣用ではなく
“真の意味”で用いてみたとき

じゃあこの自分という夢をみているのは
いったい誰なのだろうかという疑問に
突き当たることになる

さらにいえばスマホにしろ飛行機にしても
また物事の概念や認識にしても
あなた自身がゼロから作ったのではないわけで
こうして人間の世界のいろんなものが
夢見のなかで現れている

つまりその何者かの記憶によってなされた夢が
いまこうしてあなたの人生として表現されている

するとこの何者かは
永遠に存在していることがみえてくる

だがその永遠性というのは
自分が生まれてくる以前の世界、
すなわち何千年、何万年と続いている過去があった
ということではない

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