何か変だなと気付くこと

日々起こる出来事に
注意深く観察をしているならば
「なんか変だな」と思うことがあるだろう
何の変哲もない日々の出来事
それすらも妙に感じている

例えば家族と何気なく話していたことが
翌日に誰かの現実となっていたこと
たまたま契約した物件の建築日が
あなたの出生年月と同じだったなど
「偶然にしては出来すぎた一致」
そんな経験があるだろう

あなたの身に起こる出来事は
すべてシンクロニシティなのだ
つまりどんな体験でさえも
必ず何かと関連がある

そのまま言えば体験をしたときに
関連した記憶があるということだが
そんな話じゃない

体験したときに記憶が作られている
つまり過去はいま作られているのだよ

あなたが出社時に歩くいつもの道
本当に昨日もそこを歩いていたのかね?

「何か変だな」と感じていたら
扉はもう開いている

扉の向こうには
「すべてが許される世界」が広がっている

 

 

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コメント・質疑応答

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  1. なつみ より:

    >あなたが出社時に歩くいつもの道
    本当に昨日もそこを歩いていたのかね?

    何度もすみません。
    一体どういう意味でしょうか?
    時間はないのは分かりましたが回数は積み重なっていくのではないのですか?

    出社時の道はいつも同じで毎日通ってると認識してます。

    • -自分- 涅槃 より:

      なつみさん

      例えばいまあなたの目の前にある光景は、実際にそこにあるものではなく、思考を見ているのだよ。机やコップが見えるなら「机」「コップ」として見ている。

      さらにいえば「目の前にコップがある」ということを、あなたは心の中で感じている。つまりあなたが「自分の外にある」というものはすべて、自分の中でしか知ることができないのだよ。

      これが何を意味するのかといえば、あなたの「外」などなく、あなたが体験しているものはすべて、内側での体験ということだ。生まれてこの方、あなたは何も触れたこともないし、何も見たこともない。指の感触や味などを心(思考)で浮かべているに過ぎない。

      表現するなら、ふわっと浮かんだ光景をリアルに感じてきただけなのだよ。「リアル」という言葉も、理解することだ。最初からその様子でやってきてるわけだから、リアルも何もないということだ。

      そしてもうひとつ深い理解がある。あなたがいまそこで以前の記憶を思い出していることと、目の前のコップに触れることの違いは何かね?

      すべて内的な体験であり、それはあなたの心が見せているものだ。だからいつもの道を歩いているとき、「いつもの道を歩いている」という思考がそこにあるのだよ。あなたが心の世界に住み着いてしまうと、そこは思考に強制された「時間」を経験するだろう。

      だが、思考を見ていると悟るとき、あなたは時間が存在していないことを知る。スピリチュアルでは純粋な無知であることを重要視される。それは真実を見抜くからだ。決して古いものや、見慣れたものなどない。いつも新鮮な世界、つまり新しいあなたがここにあるのだよ。

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