社会で生きていくために(3)

今章では社会と自然との関係性をベースに、人間界で起こる「いじめ」などの集団心理について、そして狂気について話してみよう。こうした理解がスムーズに人の群れのなかを泳いでいくためのヒントとなるだろう。

さて前回までに私たちの生きている世界とは2つの層があることを話してきた。

まず「心のない世界」だ。物質がただ変質を繰り返しているという自然界(それは境界のないひとつの巨大な生命体の活動といえる)。

そして「心のある世界」。それはそうした巨大生命の循環に恐れて自らを守るために構築した人間社会という形のない概念世界となる。

この2つを並べてみてわかるのは、人間社会というのは自然界と「イタチごっこである」ということだ。つまり自然の流れという脅威に対策するためのものでしかない。

 

あなたの生活は誰のものか

前回にも記した通り、富や権力を得た「既得者」が自らの権利を守るために「社会という幻想」を生み出したわけであり、私たちが生きているうえで常識と思ってすべてのこととは、彼らの権利を守るためにそうさせられているといえる。

学校に通い、成績を伸ばし、社会に出て働く。そしてひとりの異性と婚姻し家庭を築いていく。こうした当たり前のことは、決して「あなたの生活のため」ではないのだ。

確かにこのように書いてみれば「そりゃ社会のためでしょ、そんなことはわかってる、自分ひとりで生きているわけじゃないのだから」といういかにもな道徳的意見が浮かぶ。

だがその道徳性こそが、社会という私たちの心に植え付けられた幻想なのだ。それに気付かなくてはならない。つまり鎖のことだ。

 

知ることからはじまる

この話は反社会的になれということを言っているのではない。そもそも反社会的にあろうとする時点で社会的な枠組みのなかにいるに過ぎない。

そうではなく、ただごく当たり前だと思っている日常の中で、理由のわからない重苦しさ、また将来への絶望感、虚しさ、惨めさ、憎しみ、怒りなど、そうしたものが浮かんでくる背景には「ちゃんと理由のある本当の事情」があるからであり、それを知っているだけでいいということだ。

みんなが盲目的にあり、そして自分も盲目性のなかで違和感を感じているということ、つまりその息苦しさが不幸であることを理解するということにある。

あなたが憂鬱なのは誰かのせいでもないし、置かれている状況のせいでもない。そのような思考回路を持っていることでさえ、社会という「仕組み」がそうさせているのだ。だからどんなに金持ちになっても、いくら他人を支配したところで、その蜘蛛の巣からは逃れられない。

ゆえにあなたが解放されるためには、まったく別のアプローチが必要となるのだよ。では今回の話に入っていこう。

 

1.心のない世界を再考する

上でも話したけども、自然界というのは境界のないひとつの巨大な生命体であるといえる。雨→川→海→雲→雨という自然循環が示す通り、それらは個別のものではない。人間が雨やら川やらと区分けしているにすぎない。

だから地表から生えている樹木でさえも、それは人間でいうところの「雲」や「鳥」と違いはないのだ。あなたの親指とあなたの心臓は、名付けてしまうから「個別の形」を浮かべてしまうけども、どちらも「あなた」であり、その視点でみつめるとき、親指と心臓はそれぞれの形状を失うわけだ。

 

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    • 涅槃の書-自分 より:
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