時間を超えて幸せになる
朝ベッドから起きてトイレに入る
あなたはトイレの場所を
思い出すまでもなく向かう
ドアを開ける
そこには便座がある
ここでストップだ
あなたは便座の前に立っている
なぜだ?
このタイミングで自分に問いかける
「私はなぜここにいるのか」
「ここはどこだ?」
あなたはもちろん知っている
お馴染みの”いつものトイレ”だ
だがそれは本当かね?
便座の前に立っているいま現在、
あなたの過去は記憶でしかない
じゃあトイレの壁にクロスが破れてる
それに目がいったとしよう
あなたは瞬時に思い出す
「これはいついつに引っ掛けた傷だ」
それは本当かね?
それも記憶だ
ではいまそこで何をしている?
あなたは便座の前に立っている
立っている様子を知っている
だがね、それすら記憶なのだよ
つまり知っている=記憶だ
当然だ
未来という原稿を捨てる
ここでひとつ楽しい話がある
まず未来とは過去のことだ
だから未来についてあれこれ考えるのは
本当に無駄なことだ
これは覚えておきなさい
過去という材料だけで作り上げた
非常に限定的なもの、それが未来だ
あなたが割り箸しか持っていないなら
割り箸だけで作るしかない
それがあなたの未来というヴィジョンだ
割り箸以外の材料調達は
予測不可能な領域となる
家を建てようとするが
あなたは割り箸しか用意できない
だから「家を建てるって不安なもの」
と定義する
予測不可能という素晴らしいパワーが
そのすべてであるゆえに
あなただけの限定的な青写真は
その時点で企画倒れとなる
つまりボツだ
あなたはボツ原稿を必死に睨んで
不安になったり期待をしたりする
だから未来をあなたの頭で考えること
それはやめておきなさい
純粋なる未知
さて過去の話だ
過去とは記憶のことである
あなたがトイレにいて
何の間違いもなく
何の違和感もなく
そのようにそこに”いられる”のは
あなたが記憶を作っているからだよ
つまりこういうことだ
家を出るときにふと郵便受けを見たら
請求書が届いている
クレジットカードの明細だ
あなたはその請求額を見て愕然とする
「そうだった、先月お洋服買ったんだった」
あなたはその金額に対して
次々と思い出していく
ここでストップ
まず郵便受けに請求書が届いていること
これが予測不可能な領域だ
そして明細を見てそこに並ぶ項目をみて
あなたが”知っている”のなら
それが作りあげた記憶だ
もちろん請求書をみて
それが「請求書である」という観念も
あなたの作り上げた記憶となる
ではあなたが請求内容にまったく見覚えがない
そうなればどうなるのか
それも「作りあげた記憶」だ
何かをみて「これは知らないもの」とは
知らないということを
記憶から作り上げているのだよ
知らないことを知っている、ということだ
予測不可能な領域とは
そのように検証する予知すらないもの
つまり純粋な未知である
純粋な未知は
あなたが入り込むことはできない
だから予測不可能であり
奇跡だとか
運だとか
そのように捉えられる
その対極にあるのが
先に述べたようにあなたの記憶という
限定的なものである
時間の正体
記憶が「時間」の正体だ
純粋な未知には時間の概念はない
あなたは人間だ
もしあなたが花瓶ならば
記憶は持たない
つまり時間のない世界に存在することになる
花瓶は過去を参照して
物事を判断したりはしない
なぜ私はこの窓脇にいるのか
いつからここにいるのだろうか
そんなことを意識することもない
ただそこに在る、
それは時間を超えた世界だ
グルジェフの「私は在る」という想起
本書でよく伝えている
「自分目線の世界」
「不幸そのものになる」
それらは「いま」という次元に入る技法だ
「いま」は未来も過去もなく
つまり記憶のない状態になるということ
あなたの理不尽や不幸は
すべて記憶から読み込んでいるわけだから
「いま」に入れば誰もが
根拠のない安心感に包まれると感じ出す
その安心感はやってきたものじゃない
あなたが記憶を落としたのだ
それが「余計なもの」だ
オバケの甲冑が歩いてる
少しまとめよう
未来とは過去を材料として作り出される
限定的なヴィジョンだ
なんの創造性もない単なるボツ原稿
だから先を見て生きることは
とても不幸に陥ってしまう
未来は最初に捨てるべきものだ
そして過去
過去とは記憶のことだ
記憶が時間の概念を生み出している
あなたがトイレでクロスの破れを見る
もしあなたが記憶を持たない花瓶ならば
それらがそのままそこに在る
そういう一枚絵のワンシーンがあった、となる
だがあなたは絵に奥行きを持たせてしまう
クロスはいついつに引っかけた、とね
そうしてあなたの人生が形成される
あなたが作り出しているのだ
純粋な経験とはその瞬間だけのものであり
思い出すものではない
すべての「体験談」は
ありもしないでっち上げだ
あなたがトイレで「ここは私の家のトイレ」
それすらも思い込みだ
本当にそこはあなたの家のトイレなのかね
そもそもトイレとはなんのことだ?
本当に用を足さなければならないのかね
このように記憶が形成しているすべての
知識、習慣、セオリーなどを
どんどん落としていくのだ
落としている最中でよくわかる
全部、記憶だけで出来てる!とね
以前も書いたが物事は逆から見れば
その存在性が見えてくる
それ自体を見ようとしても
それにはたどり着けないようになっている
なぜならば
すべての物事には本質がないからだ
外的要素、付随する要素が絡み合い
それらを外していくと
中には何もない
甲冑の中は空洞なのだよ
夜な夜なその甲冑が美術館の中で徘徊するのは
あなたがそのように見ているに過ぎない
外的要素はあなたの記憶、解釈、判断
そういった思い込みからきている
オバケの甲冑はいない
すべては静止している
だがあなたの世界ではすべてが動き回っている
動きとは時間のことだ
つまりすべてを記憶を通じて
あなたは見ているということだ
秒速30万キロメートル
あなたの人生は記憶が作り出している
ならばそれを変えればいい
過去をこうじゃないと思い込めばそうだが
それは大変なことだ
ハワイの先住民の教えで
人の潜在意識には秒間に1000万ビットの情報が
想起されるとあるし
そして光の速度は秒速30万キロメートルだ
潜在意識を光の浸透範囲とするならば
照らされた先すべてを捕捉することは不可能だ
だがひとつだけ方法がある
光源から変えればいいのだよ
つまりいま幸せになればいいのだ
光源が幸せになれば
そこから照らされる秒速30万キロメートルが
すべてハッピーとなる
もちろん時間はあなたの後を追うだけで
あなたは時間の中心点にいる
回転するものの中心
そこは回転していないのだよ
それが「いまに在る」ことの重要性であり
本来あるべき状態なのだ
いつも現実に振り回されてフラフラだが
本来の場所にいる限りあなたは目が回らない
そこに神の領域がある
体験とはその瞬間だけのものであり
思い出すものではない
そして過去とは記憶であり
記憶とは時間のことだ
それらは「知っている」という概念がベース
あなたの性格も
幸福や不幸の判断基準も
好き嫌いも
記憶が織り成す幻想なのだよ
記憶を持ち運ばなければ
あなたは時間を超える
何も知らない
いま生まれたばかり
そう、幼子のように
それが純粋な未知の境地となる
記憶喪失になれということじゃない
記憶をうまく扱うことだ
自己管理の法は
そういったことを具体的に伝えているが
それもひとつの方法だ
すべては「いまに在る」こと
そこへ向かう道標なのだよ
未来は過去が作る、というのはその通りだ
ガラクタのような青写真としてはね
だがあなたは未来に辿りつくことはできない
常に変化し続ける「いま」にいる
そこに意識を留めることができれば
あなたはすべてを超越する
「いま」という針先の点に在るとき
変化すら感じないだろう
その瞬間だけのものなのだ
その瞬間だけに在りなさい
人格や性格、背負っているものなど
すべての荷物を降ろしていることに気が付くだろう
純粋な未知だけに包まれて生きるとき
あなたは最上の至福の中で
生きることになる
あなたは未知ゆえに
全知全能のパフォーマンスを
発揮することが可能となるのだ
Notes あなたの世界, 世界, 幻想, 生き方, 真実, 観念
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先日、涅ちゃんねるの「宇宙を駆け抜ける」でコメントをいただいていた者です。
自分さんからのコメントをきっかけにいままで持っていた時間の概念が崩壊しつつあります。
スピ系の世界にはまると必ず出で来る“時間は存在しない”というフレーズ。
多くの覚者と呼ばれる人などが、手を変え品を変えという感じで説明していますが、今までピンときませんでした。
ところが、自分さんが書いてくれた直接時間との概念を説明しているわけではない文章を読んで、「あ~っ、時間って単なる記憶なんだ!」と感じたわけです。そのきっかけとなったのが“本”に関することでした。
ほんの少し前まで私の書棚には、自己啓発やスピ系の書籍が溢れかえっていましたのてすが、ほとんどを処分してしまい数冊しか残っていないため、今は書棚が空かすかになっています。その書棚を見ていてふと思いました。
かつてここに溢れかえったほどあった自己啓発やスピ系の書籍は本当にあったのか?本当は最初から無かったのではないのか?
なんてことを考えていると過去そのものはなかったんだというところに行き着きました。
そう思うと1分1秒前の出来事も過去の出来事ではなく、単なる記憶なんでね。
最近、いろいろなことが混乱した感覚でいます。これって、時間の概念の崩壊をはじめ、今まで自分信じてきた価値観・観念が少しずつ崩壊し始めている前兆かなと思ったりしてます。
>>夢太郎さん
もしあなたが針先の一点
そこだけに留まって生きるとき
周囲も前後も手前も奥もなく
ただ目の前に映る一点のみが
あなたの世界となる
簡単なレッスンだ
両手で目の周囲をゴーグルのように遮ってみなさい
顔を振らなければ左右の光景は見えない
右側を見れば左は見えない
手が邪魔だからね
いいかい
その両手の中で見えている光景、
それが「事実」だ
だが人はそのゴーグルのない状態で生きている
つまり右側を見ながら左も意識している
そうして自分は右を見ていることを忘れてしまう
右を見ながらも
まるで見ていないのだ
ゴーグルがなくても
右を見たときには「右」しかない
そこで想起される「左」は幻だ
人はそこにないものばかりに囚われ
そして幻想から抜けられなくなる
あなたが針先の一点という世界で生きるとき
そこには「ただそれだけ」があることになる
上に書いた、周囲や前後、左右とは「時間」のことだ
針先の世界には時間が存在しない
常に「最初であり最後」という風景が起こるのみだ
よくアルファやオメガだとかいうが
それはつまり「いま」のことだ
時間、つまり記憶という幻想を落として生きるとき
あなたはすべてを許すだろう
それらはあるがままだったと知るからね
許す(認める)以外に何もできないのだ
ゴーグルで遮ったその中にある視界
それはただそれだけのものなのだから
常に事実だけの中に在りなさい
これは習慣付けることで
永続できるようになる