太陽が真上に来る日

眠っているときの自分は
その夢の「始まり」について
何も知ることはできない

むしろ「始まりについて考える」という
発想さえも浮かばないだろう

なぜなら「始まり」にしろ
それを考える自分にしろ
すべては夢の産物であり
つまりそれが夢自体であるからだ

夢のなかの自分が
夢について考えているとき
それは夢について考えているという夢を
みているにすぎない

ここで大事なのは
じゃあその夢をみているのは誰なのか

この何者か
これまで一度も夢に現れたことがない

そう、あなたのことだ

 

1

ではこの夢の構造を
あなたの人生そのものに置き換えてみよう

つまりあなたのこの人生には
一度も現れたことのない何者かがいるわけで

あなたはずっと”自分”のことを
己自身だと思い込んでいるが

しかしその自分は
常に世界の応答でしかないはずだ

誰かのことを考えている自分
何かのことに不安になっている自分

その誰かや何かがなければ
“自分”は存在しない

自分は常に自分以外の対象を必要とする
いわば他者について回る影のようなもので
それは視界にある自らの”体”についても同じ

視界にある指や胴体、顔、髪、さらには
検査入院などをして指摘された内蔵器官など
そうした”他者”について考えるとき
“自分”が出現する

 

2

すると自分というのは
自分以外のすべてが本体であって
これもよく話すように
結局はすべてが他者であり
そして「すべてが他者」ならば
他者はひとりもいないということになる

他者しかいない世界を想像してみるといい
じっくり想像してみよう

そこはどんなところなのか?

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