人生の遠まわり、近まわり

順番に並んでいたのに、自分だけなんだか待遇が悪いと感じたときがあったとしよう。

もちろんあなたは腹を立てる。

ところがあとになってみれば、実はそれは誤解だったことが判明して、いろんな物事が往来しているなかで、たまたま自分のときにそれが重なっていただけにすぎなかったとしようか。

みんなそれぞれやるべきことをやっていた。だが偶然的にそうなっただけだった。

だがもしあなたが腹を立てて、その感情のままに態度を選択していたら、”本来予定されていなかった現実“をそこに生み出すことになる。

やがてはその”予定外の現実”は解消していく。つまりそれは今回のように事情が判明したとか、その他の出来事でいずれ怒りがおさまるということだ。

あなたはホッと肩を撫でおろすだろう。そうして満たされた気分になるけども、ところが怒りがおさまったその世界とは、もともとあった世界に戻ってきたにすぎない。

つまりその時々の感情に振り回されるたびに「はじめから現れている満たされた世界」を遠回りしていることになるわけだ。

 

あるのは状況だけ

この観点からみてみれば、人生で起こる「自分の選択を超えた出来事」というのは、結局のところ「成るようにしか成らない」ということであり、そして実は、その成るように成っていく世界というのは、もっとも満たされた世界だったのだとわかる。

もちろん「嫌だった会社で我慢の限界がきて、揉めた結果に辞めることになり、でもいまは幸せですよ」ということもあるだろうし「ずっと親に対して感謝もあるから自分を押し殺していたけども、あるとき本心を伝えたら何だかとてもすっきりした」というのもあるだろう。

だがね、それはそもそもが遠回りをしていたんだ。

これには少し理解が必要だが(日頃の見方を変える必要があるということだが)“究極的”には世界には悪意はない。なぜならどんな悪人であれ、それは自分の必要のためにやっているにすぎないからだ。

つまり泥棒が家に入ったのと、ファミレスでウェイトレスが自らの稼ぎのために給仕してくれるのは、世界の”同じ動き”にある。

わかりやすいところなら、

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