エゴの錯覚を超える

前回の続きとなるがね
生とは現象のことだ

あなたが生きているのではない
あなたが目的を持って
どこかに進むことが
「生」ではない

いまそこで感じていることだけが
起こっているだけ
つまり「あなた」はいないのだよ
エゴの錯覚を超えなさい

そして何時もこの言葉に瞑想しなさい

「いまここで感じていることだけがあり
どこにも私はいない」

扉が開いたら
入りなさい

 


Notes , , , , ,

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  1. 岩窟王 より:

    自分と周りとの境界線を作ってしまうから「自分」という錯覚が生まれてしまう。

    境界線がなかったら、感触しか存在しない。
    あとは周りも自分だという安心感と共に見てるだけ。

  2. 岩窟王 より:

    問いも答えも存在していない。

    答えを探しに行って見つけたつもりでも、その答え「2」は存在していない。
    問いが答。

    恐怖の正体が分かった感じがします。

  3. 罪悪感 より:

    皆さんなぜ分かるんでしょうか?
    私には私がいない理解が出来ないんです
    さて、ここ数日状況がかなり悪いです
    悪化していてこの現象は私の望まないことばかり実現していきます。
    エゴが私じゃないが理屈で分かってもそれを体感できない
    感情が大きすぎてすぐ飲まれます

  4. より:

    大半の人は分かる、ではなく、分かったつもりになってる、だけだと思います。

    私も以前、望まない出来事に感情を大きく揺さぶられ、それがいやで逃げ出し、それからは常に壁を作るようになってしまいました。
    人の中に飛び込むのは怖い、また同じような嫌なことがあるんじゃないか、でもそこにはやさしさや楽しいことも待っている、そういう思いでもんもんとしてます。

    感情の対処方法も、自転車にのる練習と同じで慣れなんじゃないかな、と思う。
    むかついたならむかつく、といってみればいいし、その結果どうするかまた考えればいい。
    慣れてくればドラマや漫画の主人公みたいに、あらあらまあまあ、とかなだめる余裕も出てくるかもしれないですね。

    これも正解じゃなくひとつの答え、次に自分が同じような状況になったらやってみようと思ってることです。

    いい悪い、望む望まない、誰が感じてるんでしょうね。
    自分をドラマの登場人物の一人のように見れるようになれればと思ってます。
    そのときの感情を体験しながら、次の展開がどうなるかワクワクできるように。

    自分は恋愛ドラマを求めてるのに、状況はロボットSF映画。
    そこに恋愛の要素は皆無。だったらロボットSF映画を見るのをやめればいい。
    でもその状況自体は自分が作り出したもの。
    ロボットが突然感情を持ち始め恋愛を始めるかもしれない。

    望まないこと、望まない体験、紆余曲折の結果、最終的にどうなってほしいか?
    いろんなことを体験し、幸せに、ハッピーエンドになってもらいたいです。

    でも、終わりはあるのでしょうか。
    昔話とかでは、幸せに暮らしましたとさ、で終わることが多いけど、生きてる限り終わりはないように思う。
    循環、円。

    いい悪いを繰り返し、人生は続く。

    でも、いいこと、望むことだけ起きればいいな。

    罪悪感さんのコメントでこんなことを思いました。
    ありがとう。

  5. 罪悪感 より:

    因みに悟りって一体なんなんでしょうか?
    悪いこと起きて良いことも起きてふつうのじんせいで妥協しましょうみたいなもんですか?受け取り方が変われば幸せ!みたいな詭弁なんでしょうか?酸っぱい葡萄みたい。
    堕ちる時はあっという間、人間って本当に不幸だなって思います。
    願望はかなうんですか?一体この世界はどうなってるんですか?

  6. より:

    展開されている出来事が普通とか駄目とか偉大なとかの比較を絶したものであると言うことは分かる。
    悟ってない段階でも善悪は超越できる。
    出来事に良い悪いの解釈は持ち込まなくなった。
    いや、持ち込まないように心がけている。

  7. 岩窟王 より:

    推測です。

    「目の前の世界」はワンネスで「私の身体」もワンネスにある。

    ワンネスは「もう一つの存在」がなければ、自分自身を見る事が出来ない。
    それで「私」を作った。 

    「私」で「自分=ワンネス」を見るために。

    どうやって「私」が誕生したのか? 

    「私」と認識している者は「思考」。
    思考はタイムラグ 時間。
    このタイムラグのお陰で「私」が誕生した。  

    このタイムラグの「私=思考」は独りだけ同時に動いていないので、「目の前の世界」と「私」は違うという認識を持つ事になる。

    これで「私」と「目の前の世界」とが区別された。
    これでワンネスは自分を見る事が出来た。

    ところがこの後、「私」が一人歩きしてしまったのか、「プロビデンスの目」が横やりを入れているのか「良いとか、悪いとか」、「好き、嫌い」といった「イメージの世界」を創りあげてしまった。 

    この「イメージ」がエゴとよぶ幻。

    この「イメージ」が実権を持っているように錯覚している。

  8. 困ったさん より:

    詳しい方おしえてください。
    仮にプロビデンスの目が横入りいれてるとすれば何のために?
    とくに才能があるわけでもない。
    空想好きでしたから詩や絵画は幼少の頃、得意で表彰もよくされたけど上には上がいて天才と呼ばれるほどでもない。数学は普通。点数は悪くも無く良くもなくたまに頭の中で数字が循環して円周率の先は終わりがあるのかなんて、どうでもいいものに疑問を持つ程度でそれを突っ込んで研究しようと思ったことも無い。確立なんてつまんなくてボケーと空想で終わった。確立に興味をもったのは余りにタイミングの悪さでチャンスを逃してきたから。

    学校の理科の生物分野以外はコンピュータや科学にも興味も関心もなかった。中学高校は少し悪かったこともあってヤンチャといわれる部類、グループに属してた。いつも日常のアホ話ばかり。哲学にも関心なし。漫画や映画はSFも好きだったけど大抵は日常コメディ、恥ずかしいけどヤンキーコメディ。霊感もちと自称する友人や自らの祖父母の奇妙話(田舎の家の裏に室町武将の墓がある。そのため田舎の土地を買い取って電信柱を作ろうとしたが不幸ごとが連鎖して断念)
    から霊の存在は多少信じたが黒魔術なんて関心持ったこと無い。そういう趣味はありません。気持ちわるい。ユダヤ陰謀論も好きでないし未だにどこか馬鹿にしてる。けれどそれが関係するかも?と
    思わせたのは私から探ったとか私から関心もったとかじゃなく向こうから気づかせるようにですから。

    コンピュータも最初は絵が好きだったからコンピュータグラフィックスに関心を持ってこの道に入った。CGは専門卒でないと無理で普通高卒、未経験から入れるCADでこの道に入った。別に何も知らず考えてなかった。CADが橋梁、鉄鋼、配管、家電製品から軍事部品まで関わりあるメーカーを渡り合うことになることも
    当然知らなかった。またコンピュータに少しでも関わると必然的に情報処理にたずさわるから詳しくならざるをえない。
    それは探究心や勉強心からでなく飯が食えないから。

    仮にオカルトを信じるならば
    なんのために「プロビデンスの目」こいつは私にわざわざ気づかせ知らせ、道を限定させようとするのか。世界征服なんて野望も持ってない。何か政治的に影響を及ぼすような力も持ってない。
    はっきりいってプロビデンスの目のせいなら、「迷惑なんだよ!!」「ほっといてくれ!こっちは普通で洗脳されてほしければ洗脳されてて一生気づかなければ
    それが砂上の楼閣であっても幸せだったんだから!」と。
    いったい、何をしたいんでしょうか。

  9. より:

    たぶんですけど、思考や想像できるものは全部マインドが作り出してるものだと思います。
    プロビデンスの目も幻。そこに意識を向けるから見えるし作られるんじゃないのかな。

    私の世界では、福島の原発はもうメルトスルーしてて地下で水蒸気爆発繰り返して都心には放射能が振りまくってもう日本は終わりとのことです。
    原発放置したのも三国委員会とか100人なんとかの命令で日本の政治家はそいつらの言いなりでどうすることもできないのだとか。

    全部私の想像の産物で幻。
    どうすることもできないのかもしれないけど、そのイベントに本気でどうにかしようと参加すればどうにかできるんじゃないのかな、とか思えるようになりました。
    面倒そうだから思うだけなんですけどね。

    洗脳する装置もあるみたいですね。
    それも、洗脳されてるかも!という体験をするために自分が作り出したものかも。

    何のために、何をしたいのか。
    全部自分が体験するためにあるものじゃないのかな。
    心情的には望まない出来事に関しては体験させられてる、といった方がいいのかもしれないですけどね。

  10. 岩窟王 より:

    推測です。

    自分さんが言っている、「あなたは普段自分の目で見ていない。」という、「自分の目」と「他者の目」があって、私は「他者の目」で見ているのだと思います。

    個人的には、他者の目は「人類の集合意識」みたいなものだと思っています。
    集合意識に個々が繋がっているので、「人の目が気になる」っていうやつです。

    「プロビデンスの目」が横やりを入れている。というのは、意図的に操作している部分の事で、例えるならマスコミを使った情報操作もその一つの現れじゃないかと思っています。
    これは、アダムとイブの「蛇のそそのかし」と同じです。

    でもそこにあるのはイメージで、「存在していないもの」です。

    この存在していない「イメージの世界=他者の視線」を「私」だと勘違いして、そこから世界を見てしまっているのが「苦」の元凶なんだと思います。

    だから、「イメージ=私」に引っ張られそうになったら、中心に戻る。
    またイメージに引っ張られそうになったら、中心に戻る。

    私は、涅槃の書の一番上のタブにある「本書について」を読んだすぐ後に、境界線が薄く?なって、目の前が生き生きと脈動している状態になって、感触しかないと感じられて、そのまま歩いた時に、普段より体の重さが感じられて、目の前の世界が自分だ!となりました。

    「その時あなたは消えている。」という状態がわかりました。
    主体が、「私」から「目の前の世界」に移ったんです。

    「私が消えたのに見ている目」。この目が「自分の目」だと思います。

  11. 自分 -涅槃- より:

    たくさんコメントをいただいているので
    まとめさせていただくよ

    まず「悟り」だが
    それを理解するには比喩を用いることになる
    その比喩が理解そのものに火を着け
    あなたを遙か上空に放り上げてくれる可能性がある

    つまり「理解」を超えなければならない

    例えばエスニックなパブに飲みに行こうと考える
    だがマインドはこのように言う
    「飲むのなら家でもいい」
    「コンビニで買った方が安い」

    わざわざ着替えて店に飲みに行くことに何の意味がある?
    そう解釈をして「理解」をする

    だから「理解」とはマインドの範疇なのだ
    多くの人は、教えや伝承を理解しようとする
    悟りを理解しようとする

    そうじゃないよ

    あなたがパブに飲み行くとき
    予定外のことが起こる
    「起こらないという起こり」があるかもしれない
    それは理解を超えている

    だが「きっと何かがあるはず」と
    ことの起こりを予測したら
    それはマインドの理解だ

    あなたが何の予測も理解もせず
    ただ起こりに身を任しているとき
    それが「悟り」というものだよ

    だがそれは想定外の起こりを望むものではなく
    望まずに想定外が起こっている様子

    つまり、日常、どんなタイミングでも
    実は常に想定外の中にいたことに気がつくこと
    それが悟りだ

    じゃあ、あなたの中で休みなく稼働しているマインドは
    一体何の意味があるのだろうと考える
    いいや、
    そのマインドの稼働ですら想定外のひとコマなのだよ

    そのように「すべては流れのままにある」という視点
    それが本来の「光景が起こる空間」のことだ
    つまりあなたの正体

    イルミナティだろうがUFOだろうが
    宗教も科学も
    あなたが知ったことは
    あなたが知ったのではなく
    そこに並べられているものを
    単に見ているだけだ

    もし「イルUF宗科」などというものがそこにあれば
    あなたは「イルUF宗科」を見ていることになる
    それはあなたにとって「既存」であり「事実」となる

    それぞれには何の力もなく
    それをどのように解釈をしているか、
    それがそれらの価値を生み出している

    つまりすべてあなたの手中にあるということだ

    本書も釈迦の伝記も
    単なる文字の羅列でしかない
    般若心経の内容は
    実はティーンの恋愛コメディだとすれば
    それはそうなのだ
    そこには確かに幸福と不幸の分岐点がある

    だが幸福へのルートを求めることが不幸であり
    だからこそ、すべてをあるがままに、
    「そこに置いておく」ことが
    理解を超える、唯一の法となるのだ

  12. 困ったさん より:

    幻さんの世界でもそうなのですか。
    私の世界も黙示録に沿っています。
    私は陰謀論は信じない派です。
    だけど日経ニュースでもそれを伝えてる。

    まずはイスラエルにガス田リバイアタンが発見された。悪魔という意味もあるが国家に人権を浄土した政治哲学の象徴。
    それから変わりだした。イスラエルとガザは攻撃が激しくなり、私自身バブル弾けた不景気とリーマンショックでの不景気は体験して苦労したから多少知っていた。竹中さんらハーバード組が国をA層B層と正規、不正規を分断してしまったこと。これは陰謀ブログでなくもろに自分が派遣で体験しました。これからは外国人の移民、そして中国から水をでる土地を買われてる。大型掲示板は男女分断や分断工作などいつのまにかプロバガンダ用に使用されるようになった。
    普通の政治経済、科学ニュースをおっていけば黙示録シナリオどっぷりです。

    某細胞女史の中傷、揶揄あたりからかわりはじめた。大型まとめ掲示板では酷い女史への中傷と一緒になぜか「人類進化へのシナリオとうとうはじまりました」と煽りにしてもおかしなコメントを多数見る。中韓との罵り合戦も急に「新世界がやってくるんだよ」と何十RESもついたり。またAIの進化が凄い。ドワンゴの社長は日経のニュースの中で「人間はAIに負けるんですよ。その中でやっていくしかない」と諦めた様なコメントをだしている。私自身、過去、航空宇宙がつく部署には短いながらいたからSFめいた先進技術が進んでるのも肌で感じたことあります。天下のハーバードも少しおかしくて最近は中止されたようですが一部学生が黒ミサを行おうとしたとか。

    TPP参加と規制緩和がどんどんすすみ外資系企業優先、外資に日本はのっとられる。米韓FTAを学んでリクルートがAI事業を立ち上げたこと、そして派遣会社の株がM&Aされている現状をみたら先は予想つきます。経団連は外国人との賃金格差は縮め、国内には残業0法案(本家アメリカとも逆行)集団的自衛権に武器輸出緩和、憲法を9条だけでなく全改正。憲法改正草案読まれました?
    公共の福祉を弱めて全て秩序を重んじるになっている。もう日本は終わりのような話を陰謀ブログでなく日経系の雑誌やニュース、そしてエコノミスト経済誌から異様な話が伝わってる。
    これをどうにかするなんて・・・。
    そしてこれを見方で変えるなんて
    黙示録は変えることができないと聖書には書いている。幻想だとしても体験したくはないです。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      あなたはハエの生態に興味はあるかね?
      MPC3000の乾いたサウンドもそうだ

      これらがあなたがの興味のない分野だとしたら
      それは意識を向けていないということとなる
      だがあなたの世界に出現しないが
      確実にこの無限の世界にはあるのだよ
      それは私が証明できる

      なぜならばMPC3000の音が好きだからだ

      つまりあなたにとって政治はその世界の一大イベントであり
      一触即発のエマージェンシーだ
      あなたはその世界に長く浸かっている
      だから緊迫した空気の中で暮らしているのだろう

      だが近所の小学生はそんな外交ごとに興味はない
      ゲームと漫画があればいい

      そこであなたはこう言う
      「ちょっと君たち、いまは興味がなくとも
      君たちにも関わる大変なことなんだよ」
      「情勢が悪化したらゲームどころじゃなくなるよ」とね

      だがあなたが諭すとき
      彼らは「あなたが話を聞かせる対象」となる
      つまりあなたが意識を向けたもの、となる

      もはや国際情勢に興味のなかった彼らはいない
      あなたの中で彼らは消えてしまった
      そこに見えているのは
      あなたのかけているサングラスの汚れだ

      その汚れを見てあなたは話している

      そして本当に黙示録が現実となったとき
      子供たちはあなたの言った通りになる
      その世界は陰謀の手中に降伏を宣言する

      あなたは「ほら言った通りだ」となるだろう

      だがいいかい
      ここが大事なところだ
      野球をプレイしているのと同じ
      その卓上で起こる世界が
      あなたの世界がなのだ
      あなたが体験していることとは
      あなたのサングラスの表面だけで起こっている

      だから本当のところは
      あなたがひとりで黙示録を体験することになる
      周囲の人々はまるで影響がない
      あの日の小学生はやはりゲームと漫画を楽しんでいる
      だが「あなたの中の彼ら」は世界の終末に怯えている

      意識を向ける、とはそういうことだよ
      だから私のサングラスにはMPC3000という汚れがある
      そして涅槃の書や、いつも来てくれるあなたたちがいる
      それが有限の創造、
      つまり「自己管理の法」でいうところの「枠」だ

      >>幻想だとしても体験したくはないです。
      幻想は体験を伴うものだよ
      意識を向けないことだ

      意識のプールには
      あなたが知ることのできるものすべて
      可能性のすべてが生み出される
      意識を向けるとそれが生まれてくる

      必要ならばそれを享受しなさい
      不必要ならば忘れなさい

      ハエの生態に意識を向ければ
      以前よりもハエの存在を感じるようになるだろう

      そんなことに興味がなければ
      ただのハエだ

      だが興味がなくとも
      ハエにはあなたの知らないところで生態があるのだよ

      あなたの「知らないところ」
      これが鍵だ
      意識のプール、無限の創造性というスペースとなる

  13. より:

    なるほど。困ったさんのコメントを読むまでそんな事が起こっているとは全く知りませんでした。
    そして私の世界にはやはりそのようなことは起きてない気がします。
    と言うわけで、やはり我々はそれぞれがそれぞれの意識の内容を生きているのかもしれませんね。
    陰謀論の本を一冊でも読めば、凶悪宇宙人やユダヤ人の企みにリアリティが増すのでしょうが。
    読書とは案外恐ろしいものかもしれません。
    一冊の本を読む前と後では文字どおり宇宙が変わっている。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      >読書とは案外恐ろしいものかもしれません。
      一冊の本を読む前と後では文字どおり宇宙が変わっている。

      その通り
      音楽も映画も同じ
      あなたにすべての影響を起こしてくる

      社会であなたが嫌う人がいるとして
      彼があなたに与えているもの、そんなものはなく
      あなたの中の何かが引き出されているのだ
      つまりあなたの嫌いな人とは
      あなたの中にある「嫌いな部分」のことだよ

      出来事のひとつひとつが
      意識のプールにアクセスをするトリガーとなる

      以前ね、人の不幸が自分の幸せだという人がいた
      誰かが不幸になると安心をするらしい
      だがそれはやめておいたほうがいい

      なぜならば、不幸そのものを自らが作り上げているからだ
      彼の世界には毎日悲惨悲痛な事件、理不尽な苦しみであふれている
      他人ごと、とは自分のことなのだ
      もしあなたの世界で「不幸に見えること」が誰かに起こっていたら
      間違いなく、あなたにも起こる
      困ったさんへのレスでも書いたが
      「あなたの中の住人」が不幸になっているのだ
      それはつまり、あなたのことだ

      だからあなたに責任があるのだよ
      あなたが平和であれば
      住人には何も起こらない

      娯楽でも何でもそうだが
      なるべくハッピーな気持ちになるものを選びなさい
      それだけで世界は大幅に変わる

  14. 困ったさん より:

    鯤 さん、お返事ありがとう。
    では鯤 さんの世界では集団的自衛権は閣議決定されていないのですか?

    私はユダヤ陰謀論は一冊も持っておりません。ただ高校卒業時はじめて入った会社が不動産業で投資事業だったから日本列島改造論と原野商法、田中角栄さんの話は結構、聞かされていたからその当時から世の中に少しの疑問は感じてました。当時から少子化問題は予測されていた。将来、年金が破綻するからと私どもは節税のためのマンション経営をすすめていたのです。投資用物件販売してました。営業に疲れて設計方面にいったのですが。

    本や情報からというより体験からです。
    イスラエルのガザ空爆のときによりによって日本はイスラエルに武器を輸出した。たまたま見たニュースから何故武器三要件がいつのまに緩くなってるんだ。
    こんな状態の時にイスラエルに武器をおくれば日本はイスラム諸国から敵視されるのは当たり前じゃないか。何故、武器輸出3要件の規制緩和を大きく報道しないと疑問に想い、そこから全て偶然に十字軍の遠征などとつながりました。

    知人とのメールにいきなりゲッペルスという件名でメールが入り、はあ?なんの意味?と聞くとの冗談といわれましたが、冗談にしても芸能人の名前ならともかく何の洒落?と不振に思うようなこともありました。陰謀論ではなく歴史を調べれば、おかしなことに気づきます。
    私はアルファでありオメガである。

    航空宇宙部署では正直、戦闘機の類の設計の末端に関わっていました。身内も小さな鉄工所ですけど、ほとんどが音響や農耕具ですがたまに川重からの潜水艦部品を内職としてすることもあります。
    戦闘機や潜水艦と書けば大げさですがその末端の末端、線にビニールチューブを巻く、電線をカプラに差し込むなどは別に機密でもなんでもなくおおくの国内産業がしてることがあり自衛隊がある限り暗黙の了解の分野です。ただそのため多少は軍事関係の知識や戦略も知っていました。今の中国包囲網、米国のオフショア戦略など。これも陰謀論や軍事本からでなく日経エコノミスト系からです。
    小泉、竹中さんの時代のBRICSは私も投資信託ながら多少、投資していたので知っています。今は完全に株関係はやめていますが。

    IT分野も世界のニュースもほぼ日経。だとすれば日経がおかしいのでしょうか。
    鯤 さんの世界で学んだ歴史は私の歴史と
    違うのでしょうか。イスラム教とユダヤ教、キリスト教という3大宗教や、新自由主義という思想も日米にも無いのでしょうか。
    鯤 さんの世界では私の世界と歴史やニュースが違う??

  15. 困ったさん より:

    MPC3000には関心はありませんがハエの生態には興味あります。それは私がハエの生態に元から関心あったのではなく、飛び込んできたから。以前、ミツバチの話をしましたね。ミツバチの生態にも興味なかった。ただ花に集まる姿が可愛らしい程度の印象。それが何故か都会のうちに分蜂としてこられて生態に関心を持つ羽目になった。私から近づいたわけではありません。ハエもです。いきなり一匹入ってきて、拝むような姿に殺すのに躊躇してなんとか逃がすようにした。そうすると錯覚、妄想なのかハエが友好的に見えた。助けようとしたミツバチもそうです。羽音を優しく震わせて甘えるようによってきた。羽音で機嫌が悪いか良いかなんとなく解ります。

    これは向こうから飛び込んできた出来事に対しての体験ですから。今までのニュースを子供に言い聞かせることも無いです。私と同じように恐怖に怯えさす時間を作らすのは好まないから。
    でも、ずっと、まさかな。まさかな、ありえないよな。そんなアホなと疑って来たれど、これだけカードが揃えばそう認識するしかないというような現状です。

    宇宙人の回想はあくまで子供のころした妄想。そして宇宙人関係のTVやブログも読まないし読んでも色物程度にしか感じません。それならSFはSFと割り切って超能力や宇宙人はハリウッド映画として映画で楽しむほうがましです。星空を見上げていたら面白いなと思うことはあってもその程度です。けれど情報媒体が日経やNASAやJAXAであった時、皆さんは違う情報を見てるのですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      あなたがいましているコメントの時点で
      すでに世界を創造しているのだよ
      関心がないことに関しても
      それを記述している時点で
      それが起こっている

      ミツバチの話のように
      出来事は不意にやってくる
      そしてあなたの中で何かが引き出される

      それが世界の原則だ

      水はある温度で蒸発したり凍ったりする
      その自然の法則と同じで
      森羅万象、あらゆるものに法則がある

      あなた‥、というよりも
      あなたが自分自身だと錯覚しているそのマインドに伝えよう

      出来事は創造の種だ
      その出来事すら法則の流れの中で起こっている
      春になれば多くの花が咲き蝶が舞う
      真冬とは違う
      そして蝶が舞う姿を見て
      あなたの中の何かが引き出される

      あなたの脳内をひとつの宇宙として捉えればいい
      何かが引き出されて
      それが「あなたの宇宙で現実化」する

      例えば、空論をコメントで書いたとしても
      その「書いた」という事実は確かに起こっている

      あなたが「私はそれを信じない」としても
      「信じない」ということが起こっている
      起こっていることはシンプルな事実だけだ
      だがその内容に「私はこうだ」というのは
      事実ではなく、それがマインドの苦しみといえる

      マインドは常に「内容」の中でしか活動できないのだよ

      たとえば一枚の紙に文字がある、
      事実はそれだけだ

      だがマインドはその書いてある内容を吟味する

      いまあなたの状況はマインドだ
      右を向いても左を向いても
      何光年先の未知の世界にたどり着いても
      そこはマインドだ

      あなたはやはりそこで
      何かを判断し
      「これは何か?」と調べ上げる

      そこで得られた答えは
      科学的な書物では正解かもしれないし
      陰謀論としては何らかの見解を持つかもしれない

      だが事実とは
      そこにそれがある、ただそれだけなのだ

      だから「本当のこと」なんてものはない
      本当かどうか
      価値があるかどうか
      それはマインドの範疇だからだ

      マインドは制限の中だけで生きている
      つまり数学の教科書には数学の話しか出てこないのだ
      あなたが超えるべきところは
      まずマインドがそこにあるということ
      それを受け取ることだよ
      数学の本の中でおぼれるのではなく
      その本を手に取っているということに気がつくのだ

      決してマインドを「自分」だとしないことだよ
      そうすれば
      あなたが関心を持っていることは
      「あなたの中だけで起こっていた」という納得に到達する

      >>皆さんは違う情報を見てるのですか?

      長くなったが、その通りだ
      あなたにはあなただけの世界がある
      もちろん、あなたが関わっている人は
      あなたの世界の住人だ

      だから、あなたが問いかけをした時点で
      ピュアな他者はもういない

      誰が何をあなたに伝えようが
      あなたは自己判断の中で、その人を見るだろう
      それはもう「あなた」なのだ

  16. 困ったさん より:

    高校卒業時はじめて入った業界は不動産業でした。もちろんなんにもしりません。
    その当時から年金破綻は予想され会社で田中角栄の日本列島改造論や原野商法など政治的なことや法律的な事を知ったのです。
    あのころはバブル弾ける少し前で土地神話が凄かった。私は節税対策、そして破綻する年金の変わりに家賃収入をと投資用物件を販売してたのです。それは私から勉強したことでなく会社で教えていただいたこと。もちろん今に繋がるなんて知らなかったし当時は政治にも経済にも何の関心もなかった。頭には友人と遊びに踊りにいくことだけ。

    軍事関係は自衛隊がある限りどこのメーカーでも部品は扱いますよね。私の身内は小さい鉄工所ですから潜水艦の部品を扱うこともあり私自身も戦闘機の部品を扱ったこともあります。でもそれは暗黙の了解というか機密情報でもなく電線にチューブを巻くとか小さな小さな部品は内職としてだされて、それが大掛かりな潜水艦や戦闘機になるとしても、部品自体は小さく一般的に知れ渡ってるもので構成されている。不動産業から転職しメーカー関係とかかわったことから軍事情報も少しは詳しくなった。別に軍事戦略戦術に関心はないけれど企業戦略やIT関係戦略も元は軍事戦略や技術をベースにしてるので関心もとうとしなくても知ることになります。

    また武器輸出規制に関しましてはイスラエル攻撃中に日本が部品をイスラエルに輸出したのでイスラム地域との関係性を考えるとどうして今なのだ?そしてどうして武器輸出制限を緩和したことを大きく報道しない?という疑問からです。
    十字軍の遠征や3大宗教については学生時代、歴史で学んだと思います。
    皆さんの世界での歴史は私と違うのですか?皆さんの世界では集団的自衛権は閣議決定されてないのですか?

    これを誰かに伝えようと思ったことはありません。だから陰謀ブログも立ち上げてない。まさかな。あほらしい。ありえないという重なりから、いよいよ信じざるを得ないという状況です。
    私はアルファでありオメガである。
    その言葉は皆様の世界には無いのですか? 学校で歴史を学び、仕事で自分の飯の為に望む望まないに関わらず情報を知っていく、又、親子関係から引き継がれる仕事もあるとなった時、私が関心をもったというよりは向こうから知らされて関心をもった。それまでは何も知らなかった。から困っているのです。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      先のコメントと同じになるが
      関心を持つも持たないも、それは内容の話だ

      ただそれがそこにある、
      そのようにしなさい

      それはあなたではない
      そこにただ置いてあるものだ

  17. 困ったさん より:

    ごめんなさい タイムラグがあった。
    じゃあもう巨大なジョークにしよう。
    実はここは天国だった。
    大掛かりな冗談をみんなでやってる。
    なんにも起こらず平々凡々。

    • 自分 -涅槃- より:

      よろしい
      その通りだ

      昨日のことは
      いま起きていない
      ただの冗談だった

      そして明日の悩みは
      明日が勝手に考えている

      あなたはその経過する出来事やマインドを
      眺めているだけなのだよ

      この大がかりなジョーク
      まさにそう
      実際のところ
      すべて夢の中なのだよ

      いつもその距離を忘れないようにしなさい

      ありがとう

  18. より:

    私は法学部を出てるのですが、集団的自衛権など、少なくとも私の世界では存在していないも同然ですね。
    内閣や国会すら存在しているか怪しいものです。
    スピーカーを付けた変な車は存在しますが、選挙は存在しないかもしれません。
    私などまだましな方で友達の昆虫学者の世界には人間すら存在しているか怪しいものです。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      まさにそれでいい
      だが最後の砦を越えなければならない

      それは
      スピーカーを付けた変な車も
      友達の昆虫学者の存在も
      それらが「きっとそうだろう」という見解も含め
      すべてあなたの中の登場物であるということだ

      そしてこの私のメッセージも
      「あなたの中の」涅槃の書の著者が書いている

      その世界では、私の意思も思考もない
      ただ壁の落書きのように
      吐き出された結果でしかない

      だからあなたの世界に私の自由はあり得ないのだ
      あなたの見たままの私がいる
      そしてその私とは
      こちらの私とはかけ離れた私である

      私の世界のあなたもそう
      あなたの知るあなたとはまるで違うあなたがいる

      この多面ミラーボールの映し合いが
      因縁生起の根源となっている
      互いに映し合っているが
      その元となるものは、どこにも存在しないのだ

      何があるかといえば
      あなたという空間がある
      漂う意識の空間がそこにある
      それはあなたという個別のものではないが
      本当のあなただ

      死後であり
      熟睡であり
      そして、いまそこで思い出そうともせず
      完全に忘れていること
      忘れていることであることすら
      忘れていること

      それがあなたの正体だ
      あなただけがすべてを司っているのだよ
      そこにいる「あなた」を含めてね

  19. 困ったさん より:

    例えば恋愛漫画、今でもワンピースやドラゴンボールは読むけれど、そればかり読んでたら兄弟が北朝鮮のミサイルが近海に落とされたニュースを言ってても、それが舞いワールドで気にならないだけか、実際にそういうニュースが流れなくて弟が恋愛話を持ち込んでくるようになるのか。

    阪神淡路大震災は経験しましたが、その時も地震なんてなにも脅えていなかった。いきなりタンスの上においていた雑誌や単行本が頭の上に落ちてきて夢心地にいた私は最初、本気で母が何か私の家事のソソウに激怒して殴りにきたと認識しました。地震と気づいたのはその後。
    あの時は不思議と家族より冷静でいられた。余震にも脅えましたがある意味、達観、なるようにしかならんとは思えました。でも全く恐怖が無いと言えばそうでもない。頭にいくつものタンコブも出来た。マイワールドで世間知らずでいいなら引きこもって一生趣味に生きればいいこと。別に私もそれで御飯が食べれるなら悪いとは思っていませんが・・・。
    悟りといわれる領域での真実の危うさとオタクの認識はちょっと違うのでしょう?

  20. ONEPOINT より:

    また進捗状況のようなコメントになってしまいますが
    最近になってようやく思考は自分ではなくて
    ただ起こっているものだとわかってきました。
    すぐに元に戻るかもしれませんが、これは不思議な感覚です。

    そして自分は今までこれほどまでに思考に一体化していたのだと気づかされました。
    自分の腕や足が自分でないと感じるより遥かに難易度が高かったです。

    後はいかなる状況でもこれが保てれば人生怖いもの無しになれるのですけれどね。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>ONEPOINTさん

      その通り
      次の手記で伝えようと思うが
      思考はそこに置かれているものだ
      さらにいえば
      あらゆる絡み合いの結果、
      そこに咲いた花と同じ
      あなたはその花を摘んでいる
      その花の種は遥か遠くから風に舞ってやってきた

      だから様々な因縁の末に
      そこに咲いたのだ

      美しい花もあれば醜い花もある
      それはあなたの判断だがね

      ただどちらも花なのだよ

  21. より:

    不幸な人が居るならば自分もそうなるというのは、不幸と言う観念を背負った意識が自分に向けられるか他人に向けられるかの違いだからですか?
    それとも、マインドには出来事をすら引き起こす力があると言う意味でしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      すべてあなたの見ている世界なのだよ
      あなたにとって他人とは
      あなた自身だ

      あなたが嫌いな人がいるならば
      それはあなたの中のその部分が
      人を通じて見えている

      それは人でも物でも
      出来事も同じ

      あなたがトマトが嫌いならば
      見るだけで吐き気がするかもしれない
      だがトマトがあなたに吐き気を与えているのではなく
      あなたがトマトを通じて吐き気を表現したのだ

      出来事を引き起こすことはできないが
      塞き止めを解除することはできる

      解除することで
      あなたの世界はスムーズに流れていく

      いいかい、世界があなただ
      あなたがスムーズに流れていくということだよ

  22. より:

    わかりました。この肉体や思考が私ではなく、一切の現れが私なのですね。
    トマトの例を取ると、トマトがキモいと言う感情や有害かもと言う思考が現れて消えたとして、それはトマトの実存とは関係ないし、現れては消える思考や感情も私ではない。
    所で、マインド(解釈)抜きに一体どうやってこの本を読むのでしょうか。
    トマトも無ければ、肉体も、人も植物も無いならば、ホワイトアウトな世界に自分自身も溶け込んで真っ白。
    存在すらない世界。
    一切の動作が消えてしまいます。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      あなたはひとつ誤解をしている
      ここは結果の世界だ

      つまりあなたが何かを認識した「後」の様子
      それがいまここに広がっている

      だから目の前にあるもの
      聞こえてくるもの、感じられるもの
      何もかもすべてが「過去」なのだよ

      だがこの場合の過去とは
      時間的な意味の過去ではない
      認識の結果、という意味での過去だ

      つまり形として想起された場所に我々はいる

      この説明は
      「形はそう思い込んでいるもの」と話すこともできるが
      混乱を招くので、ある程度の深さで止めておくよ

      だから、あなたの知る一切は
      感覚を経過しているものとなる

      いま肉体が感じているすべてのもの
      全細胞、全器官、その場で起こる視界、気温など
      リアルタイムな様子だけを捉えることができれば
      生というものが、「考えること」ではなく
      ただ「感じるもの」であることが理解できるだろう

      感じるものという視野にいるとき
      「考えること」はそこに置いてあるようになる
      「考えること」を見ている状態になる

      あなたは「考えること」を「考えること」として
      いままで錯覚してきた
      それが罠なのだよ

      そこに赤いお椀があるだけだ
      あなたも赤くなる必要はない

      だからあなたの質問は
      いまも「考えている」となる
      いいかい、疑問は疑問のまま、
      それがピュアな姿だ
      1+1= は2ではなく
      1+1= なのだよ

      あなたが疑問に感じていることは
      それがいま、そこにあるマインドの「模様」だ
      紙にその疑問文が書かれている
      だが疑問文は疑問文だ
      答えを導くものではない

      目の前の靴が帽子に変容しないのと同じで
      疑問文は回答に変容しない

      それがマインドをあるがままにさせるということだ

      あなたが誰かにひどいことを言われても
      それを解釈せず
      「ただ彼はそう言った」というマインドを眺めるのだよ
      マインドが難色を示しているようならば
      そのマインドの模様を眺める

      眺めているのはマインドではない
      いまそこにあるすべてが
      それを経験しているのだ

      だから問題は解決をするものではないし
      それをすることがどれほど無駄なことなのかわかるだろう
      しかし多くの人は必死になって解決に挑む
      それが不幸の切っ掛けとつながっていく

      解決されたかのように見えたものは
      まったく別方面から流れてきた動きによるものだ
      もちろんあなたの動きも自然の流れのなかにある
      それを制止させない限り
      問題は起こらない
      問題とは「問題」と書かれたマインドが
      そこにあるだけなのだよ

  23. より:

    一連の話、難しくて理解するのが大変なのですが、例えば自分の子供が病気で死にそう、という場合、意識を向けなければ子供は死なないということですか?子供が死に瀕しているのに延命策、治療策を探らずに、趣味にでも興じていれば、子供は助かるということでしょうか?

    それとも子供というのも意識を向けるから存在するわけで、元々居ないに等しく、子供が死ぬも死なないもないと言った話でしょうか?つまり意識を向けようが向けまいが死ぬ、死なないは変わらないということですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>緑さん

      >意識を向けなければ子供は死なないということですか?
      そうではないよ
      あなたは「自分が何かをしている」という次元にいる
      だから子供が死にそうならば助けなさい
      子供がそういう状況にあって
      あなたが動こうという状態にあるとき
      あなたは自分に歯止めをかけてはならない

      子供の話だけじゃない
      目の前に道が開いているのに
      あえてそれを渡らないという選択をするのは
      単なるマインドの怯えだ
      マインドに囚われないとき
      あなたは道を進むし
      子供を助けるだろう

      >子供というのも意識を向けるから存在するわけで、
      元々居ないに等しく、子供が死ぬも死なないもないと言った話でしょうか?

      それも違う
      すべてあなたの解釈だ

      つまり、丸いものを見て、
      あれはボールかな?それとも卵かな?
      そういう話をあなたはしている

      それはボールかもしれないし卵かもしれない

      だがね、その丸いものと
      それを見ているあなたとの関係性
      そこに真実があるのだよ

      だから「丸いもの」と「あなた」は
      重要ではない
      その2者があとから浮かび上がってきた幻だ

      まして、そこに囚われるから
      あなたは丸いものを解決しようとする
      子供が病気ならば不安になる

      そうではない

      その相互の間にある関係性、
      それが真実なのだ
      このコメント欄で交わしている言葉のやりとりでも
      あなたも、私もおらず
      「関わっていること」だけが起こっている

      「自分は歩いている」とするとき
      意識は足と地面に向かう
      だが意識が向かう前、歩いていることは
      一体どうなっていたのだろう?

      「呼吸!」と書けば
      あなたは呼吸に意識を向ける
      すると鼻孔や口から通る冷たい空気の感触、
      腹や肺が膨らんだりする感覚を得る
      だが意識が向かう前、呼吸することは
      どうなっていたのだろう?

      あなたが熟睡にあるときや
      完全にいま忘れていること(呼吸!と言う前の呼吸のようにね)
      それらはあなたの意識から完全に解放されている
      つまり、形として想起されていないのだ

      だが「自分の子供が死にそう」ということは
      すでにその形が起こっている
      あなたの知っている通りの展開となる
      医者へ走れば治るとするならば、その子は治る可能性があるし
      あなたの常識が魔術ならば
      それをすることでその子は治る可能性がある

      >つまり意識を向けようが向けまいが死ぬ、死なないは変わらないということですか?

      その質問に限定して答えるならば
      あなたが意識を向けないとすることは、すでに意識を向けている
      向けないというのはそういうことではない

      少し長くなるがね
      言葉を変えて、教えてあげよう

      あなたが子供と幸せに過ごしていきたいならば
      たとえその子が病気になったとしても
      あなたの常識的に、とても困難な状況になったとしても
      そんなことは笑って蹴飛ばすことだ
      現実はすべて嘘っぱちだよ
      これを信じておきなさい

      あなたが我が子へ愛を向けるほど
      そういう困難はやってくる
      人生の真実を探求するとか以前に
      向こうの方からネタばらしをしてくる

      困難が起こるたびに
      真剣に相手をせず笑いなさい
      軽い気持ちで対応していきなさい

      「自分の世界にこの子がいるのだから
      それだけでいい」

      そのようなスタンスでいなさい
      それを貫き通しなさい
      暴風が吹き荒れようが
      暴漢が徘徊しようが
      税務署が督促を送りつけようが
      「我が子と一緒にいること」
      それだけを感じていなさい

      世界は(つまりあなたは)それでも次々と困難を起こしてくる
      これでもかというほどに
      面倒ごとを突きつけてくる
      何が来ようが軽く蹴飛ばしなさい
      「こんな大変なことがずっと続くのか」など
      一切思わなくていい
      数値上はそのように書かれている書類が来ても
      あなたがそれを真に受けなければ
      やがて消えていく

      あなたが困難を「相手にしない」ほど
      困難は困難でなくなってくる
      そうしてあなたはいつの頃からか
      「我が子への意識」ではなく
      あなた自身が「そこに在る」ということをわかるようになる

      その子もあなたなのだ
      その現実もあなただったのだ
      それがわかるようになる

      外の青空も桜も
      路地裏の猫も
      何もかもがあなただったのだとわかる

      それがあなたの聞きたいと思われる「無我」だ
      全部最初から自分の中にあるのに
      どこに愛じゃないものがあるのだろう、となる

  24. より:

    こんばんは
    何時ぞやお返事いただいたまま、失礼しています。
    ここ数年、ずっとお金が回らず大変な思いをしてきました。そしてそれを主人のせいにして苦しんできました。
    で今日、それを含めてすべて自分が作っていた事に気が付きました。やっとです。
    物、人、起きている現実、すべてが自分でもいいか、OK!みたいな感じです。
    自分さんと皆様のやり取りにもたくさんのヒントがあったのだと思います。
    これからもお世話になります。
    宜しくお願いします。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>秀さん

      その通りだ
      あなたの世界は
      すべてあなたの投影なのだよ
      旦那さんの印象とは
      あなたがそのように見ているに過ぎないのだ
      彼は実在しない
      あなたという彼がそこにいる

      この事実を人はどうしても歪めてしまう
      だからまたその気付きから離れたときは
      今日のことを思い出しなさい

      「いま」にシャッターを切りなさい

      どこに不足があるのだろう?
      いつもそれを忘れないようにしなさい

  25. より:

    不足?
    不足はないように思えます。
    なぜなら、すべてが自分だからです?

    あれ?あ〜!

    ありがとうございます!

    • 自分 -涅槃- より:

      そう、いつも包まれているのだよ

      何に?といえば
      あなた自身にだ

      つまりあなたの知るものすべて
      起こる出来事すべては
      あなたそのものなのだ

  26. 色即みっちゃん より:

    全ては無いのに、
    全てがある…。

    なんであるのかね?

    面白いね…。

    自我があるから全てがある…。

    自我がないなら全ては無い…。

    どちらが良いか悪いではない…。

    全ては…。

    無…。

    意味…。

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん

      つまり「ない」すら「ある」のだよ。なぜなら、あなたという容器の中に「あるか、ないか」だからだ。あなたは常に在る。

  27. imacocojin より:

    この記事はゾンビから脱出するための血清のような力がありますね。ありがたい。合掌。

    • 涅槃の書-自分 より:

      imacocojinさん

      >脱出するための血清のような力

      よいところに気づいているね。

      私たちは個体ではなく、個体に「なろうと」し続ける流れそのものであり、よく例に出すように、手のひらに立てたペンを倒さないように手を動かせているその「動作自体」に生命の本質(つまり私たちの本質)がある。

      すべての現実の光景はその動きの後に落とされた残像であり、つまり「ペンが立っていること」が現実であるのだけども、それは個体ではない。ある動きの瞬間をいま思い出しているから静止した個体にみえるにすぎない。

      誰かと過ごしているとき、彼の「瞬間ごと」を捉えてみるといい。瞬間は次の瞬間に移行していくが、その時にはもう前の瞬間は存在しない。その一連の流れ、空中に飛行し続ける点のその軌跡が彼というイメージを生み出していることがわかる。

      眠り(ゾンビ)とは、己や世界が確固たるものであると思い込み、ゆえにその幻想上の法則に操られている状態にある。

      だけどもすべては実体を持たず、動きのなかに結ばれた像にすぎない。

      だから像に支配されることは、過ぎ去った痕跡を再び繰り返していくというループに陥る。輪廻の根本理念はこれにある。つまり「眠り」のことだ。

      よってエゴの錯覚を超えるということは、同一化してしまっている像から離れるということにあり、そしてそれによって現実を「自在に」扱うことができるようになる。

コメント・質疑応答

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