幸せそうな人ほどいじめられる

あなたを圧倒する人が身近にいるかもしれない
趣味でも勉強でも仕事でも
生き方にしてもそう

どうしてあんなに実力があるのか
どうしてあんなに余裕に溢れてるのか

それは日常の生活の営みや
恋愛に関する姿勢だったりもする

どうしてあんなふうになれるの?みたいなね

ところがそんな人をみたときの
私たち人間の自我といえば
自らの劣等感を感じてしまい

その薄っぺらい自尊心を守るために
「自分もそれなりに凄いんですよ」とか
そんなアピールをしはじめたりする

自我からすれば
そうした人を前にしたとき
まるで自分がマウントされているように感じ
そのプライドを立て直すには
己も相手をマウントしなければならないといった
短絡な思考が働くからにある

だから承認欲求にも
その中身はいろんな種類があって

たとえば相手に認めてもらいたいその内心には
マウントという前提が抜け切れておらず
認められる=その相手に”勝った”という気分になり
そうなれば自分の尊厳は保たれると
思っていたりもするわけだね

 

「幸せそうな姿が許せない」

無論そんなことをしたところで
結局は虚しいだけであって
もともとの空っぽな闇が保たれただけにすぎない

つまり”あの人たち”のような
優雅な余裕をまとうことができない

それはもちろん
その満たされた人たちというのは
周囲をマウントしているから
その圧倒するなにかを漂わせているのではなくて
そのことが本当に好きなだけであるからだ

寝ても覚めてもそのことばかり考えてる

だから自分自身にとても正直に生きてるわけで
それがあの圧倒する何かの本当の根源にある

しかしそれゆえに
ときにそうした人たちは
自分に正直じゃない人たちから
煙たがられたりする

その相手に何もしてなくてもね

意外に思うだろうけども
その放たれる幸福感や余裕から除け者にされたり
いじめの対象にもなったりすることも多い

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