あなたの霊能力

「感覚で生きてる」という人たちがいるね
気楽に生きてそうなイメージが浮かぶだろう

だけども勤勉な日本人的な視野からすれば
それはどこか浅はかで注意深さがなく
いい加減な生き方に感じたりもするだろう

たしかにそういう人たちも大勢いるわけで
彼らもまた
「私は感覚で生きてるんです」なんていうが
しかしそれは正しくない

それはその人もあなたも
感覚で生きるというその意味を
「その時々の気分で生きてる」みたいに
解釈しているからにある

それはきっと
感覚=feelingだと思ってるからだ

ここにもカタカナ語のよくある罠がある

「感覚で生きる」というときの
この感覚はsenceであり
外側にあるものを直感するということ

たしかにフィールもセンスもどちらも
日本語では感覚と翻訳されるが
それを混同してしまうと
「感覚で生きる」という素晴らしい意味
理解することができなくなるわけだ

 

現象する世界

では「感覚で生きる」とは
どういうことだろう?

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