壁の虫

あなたが帰宅して
部屋のベッドに転がって
ふと壁をみてみると
そこに大きな虫が張り付いていた

虫はなんでもいいが
あなたのとても嫌いなものにしようか

当然ながら「きゃー!」っと叫んで
その対処に追われることになる

戸締りもちゃんとしてるし
清潔にしてるし
こんなことありえないのに
いったいどうやって入ってきたのだろう

そんな疑問を抱えたまま
どうにか追い出すことができた

 

1

さてこの「ありえないのにあった」という
不思議な出来事は
実は常に起きてることなんだ

つまり日常の出来事や出会いは
この虫の出現とまったく同じにある

しかしそれらは
あなた自身の「説明がつく」がゆえに
不思議さを感じさせないだけでね

言いかえれば
「説明がつく」という裏付けこそが
信念体系そのものであり
それこそがあなたの現実の骨組みにある

さらに重要なのは
そうして説明をつけられる事象もまた
虫と同じように突然にそこに現れているわけで

だからたとえばベッドの下を覗き込んだら
床に穴があいてたとか
そういう”現れ”が
あなたのなかで虫の出現と結ばれることで
「なんだそういうことだったのか」となる

だが今回のように
虫が現れた原因がみつからないときは
推測に結びつけるしかない

帰宅したときに一緒に入ってきたとか
自分がいない間に
家族がその原因をつくっていたとか

実際あとで家族にきいてみたら
「そういえば換気にちょっと窓あけてたよ」と
そんな返答が”現れ”て
虫の出現の不思議はあなたのなかで解消される

このように「やっぱりそうだ」という
あなたにとっての「自明で当たり前の連結」が
いまある”この現実”なんだ

 

2

ところが家族はなにもしていないし
外から一緒に入ってくることもないとしたら
虫の出現は迷宮入りとなるね

もちろんいろんな推測がされるが
どれも”結びつかず”に
理由がないことが明らかであるとき

当然その虫はなぜ壁にいたのかがわからない

いったいどのようにして
そこに現れたのか

なにもないところから
突如としてその姿を現せたとしか思えない

だいたい本当にその虫は
壁をよじ登ってそこにいたのだろうか?
そんな自分の知らないところでの
プロセスがあったのだろうか?

あなたの視界という空間のなかに
それはそこにいた

“ただそれだけ”であり
その瞬間ごとの光景だけがあるということを
なんの裏付けにもつなげられない
この虫の出来事はあなたに突きつけている

だがこれはなにを示しているのだろう?

そこであなたはふと思い出す

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