願いが叶うときのプロセスを知ってゆっくり待つ

タイトルを読み違えてはならないよ

「願いを叶える」ではなく
「願いが叶うとき」だ

あなたの現実に物事が起こるとき
二段階のプロセスを経ている

まず何もない空間(意識)に
循環の波が起こる
今回の波は「いいなあ」という
ポジティブなものだとしよう

初期的な衝動として「いいなあ」が起こる
だがその対象(内容)はまだ起きていない
漠然とした循環の波が
そこに押し寄せてきただけ

ここまでが第一段階

次に現実化が起こる

「高級外車を見た」
「4億円当てた話を聞いた」
「好きな人ができた」
「海外旅行に行きたい」
「カッコイイ音楽を見つけた」

あなたの「いいなあ」を象徴する出来事が
ヴィジョンに映し出される

ここまでが第二段階だ

注意すべきは「いいなあ」の波の後に
それらが現実として起こり出すということ
つまり本質が先にある

本質を受信してから
あなたの観念が働き出すということだ
これが「現実は幻想」だという所以となる

あなたはいままで

・フェラーリを見たから
「いいなあ」という気持ちになった

・4億円を目の当たりにしたから
「いいなあ」という気持ちになった

そう思っていた

そうではなく逆だ
あなたの見ている現実とは
ただの映像なのだよ
それを掴もうとするから苦悩する

「いいなあ」が先に起こり
観念が五感上にその夢を見させている
観念とはあなたの主義主張や傾向
知識などから形成される
つまりあなたが疑いもなく
ごく普通のことだと思っているものだ

腹が減ればどこかに食べに行こうとなる
またはスーパーに買い物に行こうとなる

だが発展途上の貧困国で生まれたなら
そんな発想すらもない
これは貧しさや不幸という意味ではなく
それが当たり前の世界なのだ

つまり観念が起こすヴィジョンだ
観念があなたの見えている世界
そのものを作っている

豊かな人がなぜ豊かかといえば
それを考えるまでもなく
当たり前だからなのだ

だから日本で暮らしているならば
あまり悲惨な事件を見たり
関わったりしないことだ
そのような観念が刻まれ
現実に起こり出してしまう

 

阿頼耶に刻まれるもの

話を戻そう

もしあなたが自ら作り出した幻想に
振り回されず

「こんな気持ちになれて良かったなあ」と
初期の衝動だけを消化したとする

すると阿頼耶に種子が刻まれる
阿頼耶はまた同じものを流してくる

現実に出現しているものはすべて
あなたの観念が置き換えたものだ
それは阿頼耶には関係がない

ただその観念に振り回されて苦悶したなら
阿頼耶はその苦悶を種子として刻み出す

つまり「ハート」だけが真実なのだよ

だから「いいなあ」を感じ続けると
阿頼耶は売れ筋のその波を
どんどん出血サービスしてくる

するとあなたの周辺では
「いいなあ」が連発するようになる
様々なケースが現実に起こりだす

例えば家に帰ると
車庫にフェラーリがある

その経緯は後付けで用意される

つまり、すでにあなたのその現実とは
常に願いが叶い続けている状態なのだ
その結果の中を生きている

あなたの思いが阿頼耶に刻まれ
波が毎瞬到来し
観念がその波を翻訳する
その結果が現実なのだよ

あなたが悲観的であれば
世界はグレーに染まる
あなたの印象通りの世界が
そこにあるということだ

願いは叶えようとするものではなく
叶っているもの
だから現実に振り回されずに
出来事の本質を見るようにしなさい
そして観念をより良いものへ磨くことだ
心掛けでいくらでも変わる

素材→翻訳→現実→(素材→翻訳‥)

ハッピーライフを祈っているよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. より:

    確かに。始めに親父が大怪我をして、それを見た一週間後、私が交通事故にあい、さらに一ヶ月後、またも足に怪我をしました。

    お祓いでもするべきでしょうか

  2. より:

    本質が見えて来ました。

    怪我の話とはまた別ですが、
    「すみません」と言う事が起ってますね。
    「悔しい」とか「今に見てろ」も起こっていました。
    しかし「今に見てろ」が起こっているなと冷静に観察出来るようになっているのは進歩です。

    所で、私は、維摩経などの大乗経典が好きなんですが、たぶん、先入観で読んでるので、本質が読めてない気がする。
    バガバットギータにせよ、先入観を排して、虚心に読めば、オッチョコチョイやスイマセンが消滅しそうなものです。
    最近読んでないけれど、確かに、書庫の隅に、維摩経典がある。
    これも仏縁と言うものでしょうか

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      ギーターも読むんだね
      事故に限らずだが
      好ましくないものが起こるなら
      その原因(種子)となる思いが
      あなたの中にあるはずだ

      お祓いとは
      現代では神頼みのイメージだが
      本来は自らを清めるために行うものだ
      つまりあなたの中の何かを浄化すること

      といっても宗教的な話ではなく
      己の傾向に気が付くだけでいいのだよ

      「俺はこういうとき、こんなことを考える」

      変える必要はない
      気が付くだけでいい
      それだけで世界は書き換わる

  3. A より:

    横から失礼します。

    己の傾向に気が付くだけでいいのだよ

    友人達に何度も言われようやく気付けたのですが、私大嫌いな人を恋人にする癖があり、ショックな事の後自暴自棄になり紛らわす為に嫌いなまま付き合って痛い目みたり、嫌いだったけど不安な事の後、コロッと付き合うと言い出してみたり。
    当たり前の事なのですが、嫌いな人と付き合うのは良くないと思ってからは好きな人が出来なくなってしまいました。気がない人ではなく、嫌いな人と付き合ってしまう時があります。
    気付くだけで良いならなんか余計な事してるのでしょうか。

  4. より:

    私も、かつて性格的に大嫌いな人が、あまりにも美人だったので無理やり好きになってしまったことがありましたね。その上、嫌いな職業に就いたり、嫌いな部活に入ったりすることがあり、その大義名分は、いつだって「自己成長の為」とか「克己心の養成」と言い変えてましたが、全く無駄なことをしたものです。

  5. -自分- 涅槃 より:

    Aさん
    鯤さん

    >嫌いな人と付き合う

    心理的な部分は
    専門的なブログなどで
    尋ねるがよい

    霊的なアドバイスとするならば
    その相手と出会っている時点で
    あなたの中の一面が表現されている
    ということだ

    なぜその人が嫌いなのか
    それは嫌いという判断基準を
    あなたが「知っている」からだ

    持っているのではなく
    知っているのだ

    それをする自分が嫌い

    だから同じことをされると
    あなたの中の嫌い反応がおこる

    多くの場合
    嫌いや苦手な相手というのは
    自分の心が浮き彫りになっている
    相手のこと

    それがあからさまに表現されるから
    逃げたくなってしまうのだよ

    つまり
    相手を変えるのではなく
    自分を変えるのだ

    それであなたの恋愛関係は解決する

  6. eternal snow より:

    自分さん、初めまして。
    某掲示板で自分さんの書き込みを発見して以来、
    こちらのブログが出来る前からメッセージを読ませて頂いております。
    自分の人生が何故こうなってしまったのか
    答え合わせをしているような感じです。
    この固い頭では理解出来ないことも多々ありますが、
    ああ、そうだったのかと気付かせて頂いたり納得したり。
    「今にある」「内に明かりを灯す」簡単に出来そうで難しいです。
    自分さんが分かりやすくコツを書いて下さっているので、
    何度も読み返しながらトライしています。

    質問させて下さい。
    何もない空間に「いいなあ」という循環の波が起こる第一段階、
    その対象(内容)はまだ起きていないとありますが、
    その「いいなあ」は高級外車や好きな人など具体的な想像によって
    起こったものということでしょうか?
    そうではなくて、ただ漠然とした「いいなあ」が勝手に起こり、
    現実化される対象は高級外車なのか好きな人なのかは分からないが、
    自分を象徴する出来事になるということですか?
    その場合「いいなあ」の波をキャッチした自分は
    何だか分からないが「いいなあ」という気分みたいなものを
    感じている状態ではあるのですよね?
    想像から湧き出す「いいなあ」とは別物なのですかね・・・

    理解力が乏しい為、馬鹿な質問すみません。
    宜しくお願い致します。

    • -自分- 涅槃 より:

      eternal snowさん

      はじめまして
      「いいなあ」はその時点での
      あなたの性質となる
      それが現実を生み出す

      そもそも高級車がいいなあと思う時点で
      高級車がそこに出現しているのだ
      ということは
      日頃から何かを望もうとしている心がある、
      そのようになる

      具体物は幻だから
      最初に持ってきてはならない

      大事なのは
      それらを見たときに感じる心だ
      その心が唯一のリアリティとなる

      現実の材料となる、ということだよ

      つまり日頃から
      嬉しさに溢れておれば
      嬉しい出来事が次々と起こる

      人生を振り返ってごらん

      あなたのハートに即した現実が
      ずっと起きてきたはずだ

      あなたは「現実に心が影響されただけ」
      そのように捉えているが
      現実とはあなたの心が生み出した
      結果に過ぎない

      もし高級車を渇望するならば
      渇望する出来事ばかり起こる
      あなたはいつまで経っても満たされない

      満たされない気持ちの為の現実が
      そこに起きているからだ

      何を手にすることもできないし
      何をやっても達成はしないだろう

      だがそれはそういうものだと
      あなたの観念が切り替われば
      その思いに応じた現実が起こるようになる

      現実が起こるというよりも
      あなたが「そう解釈できる」現実が
      見えるようになるのだよ

  7. 爽やかハンサム より:

    たびたびこの手の記事があがってくる。
    何かを変える時が来たようだ。

    「ポジティブシンキングや引き寄せの法則」は反対側が引っ付いているけど、これは違う。

    映画「ノーカントリー」見ました。
    殺し屋シガーのセリフ。

     “カバンは運ばれてくるんだよ。俺の足元にな。”

     “「おまえが従うルール」のせいでこうなったのなら、
      そのルールは必要だったか?”

     “馬鹿げている。正しい道具は一つだ”

    みんな誰しもが独自の「ルール」を持っている。
    「世界が強要しているルール」もある。

    以前この「世界が強要しているルール」が偏りすぎている事を知った。
    それを使って意図的に貧困を作り出している事に気が付いた。
    日本人を意図的に減らそうとしている事に気が付いた。

    「周りに伝えなくちゃ」大変だ。
    10年。
    ほとんど誰にも、カスリもしない。

    このまま行けば先が見えてしまっていた。
    未来に明るさがなかった。
    恐怖まみれだった。

    このルールを「私のもの」としてなかったか?

    運命は「私のルール」通りに事を起こしてくる。
    とてもピュアだ。
    シガーもとてもピュアだ。

    しかし唯一、この「ルール」が無くなる瞬間がある。
    そこが「今」だ。

    そこでは全ての限界が無くなるだろう。

     という「作文」を創ってみた。

    が、そんな部分的な事ではなく、
    ゼロベースで「全く新しい幻想世界」に変わってしまう。
    そして「それに気付いている」のが新しい。

    それが「進化するということ」の記事にあるような、
    新しい文明。

    “フォー ビューティフル ヒューマンライフ” 笑 

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      シガーは行動規範がある
      つまりマインドを超えている

      常にいまに在り
      永遠の世界の中にいるのだ

      この映画に限らず
      存在感のあるキャラクターはすべて
      「いま」を醸し出している

      現実でも同じ
      あなたに感動を与える人物
      スポーツ選手でもアーティストでも
      彼らはまさにシガーだ

      未来や過去へぶれずに
      純粋にいまだけに在るとき
      生は鮮烈となる
      己が時間そのものになるゆえ
      時間も止まる

  8. eternal snow より:

    自分さん、お返事有り難うございました。

    高級外車が欲しいからと、頻繁に思い浮かべて
    「いいなあ」に浸るというのは
    幻である具体物に執着していて
    最初に持ってきている状態=渇望ということになるでしょうか。

    日頃から何かを望もうとしている心があり
    (お腹が空いたから~が食べたい的なあくまで自然に浮かぶこと?)
    その時の心が大事であり現実の材料となる・・
    それはとても理解できました。

    プロセスは頭で分かっているつもりなのですが。
    難しく考え過ぎるのか、混乱してしまいます。

    欲しい物。望む生活。好きな異性。
    何ひとつ手にすることが出来ていないし
    正に、いつまで経っても満たされない状態です。
    私はひたすら渇望していたのかもしれません。
    何かが間違っていたということですね。

    目の前の現実が変わる様を見てみたい。体験したい。
    自分さんのレベルにまで到達するのは難しそうですが、
    少しずつでも近づけるよう理解を深めたいと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      eternal snowさん

      いいかい
      すべては観念だ

      その枠の中にいるから
      それに対する希望や悩みが起こる

      高級車に夢を見る限り
      どうすれば手に入るのだろう?
      そんな悩みが付きまとうが

      高級車に興味がなくなれば
      同時に悩みも消滅する

      ところが
      観念を崩壊しようとすること自体が
      観念となり
      結局のところ堂々巡りが起こる

      だから自分に意識を向けなさい
      求めずとも
      世界がそこに揃っていることに気が付くことだ

      この手記はそのことを伝えている
      「願いが叶うとき」だ

      その状態に立ってはじめて
      あなたが何が必要だったのかを知るだろう
      物でも生活でも異性でもないということだよ

  9. より:

    「いいなあ」(羨望)だと、近所の家にフェラーリが停まってたり、宝くじが当たった話を聞くことが起きそうですね。
    「やったー」だと、フェラーリが当たったり、宝くじがあたったり直接的に展開するのかもしれませんね。
    私の場合、ここ数年、「転職したい」と思うようなことが起きますが、転職そのものは起きない。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      現象を感情からコントールしようとするのは
      ほぼ不可能だ
      なぜならば感情すらも
      阿頼耶から送られた何かに対する反応だからだ

      引き寄せの法などでよくある話だが
      不足の状態にいながら
      「私は満たされている」などというのは
      そのセリフ自体が不足の状態の反応ゆえ
      やはり現実は不足となる

      すべてからコマを引き上げることだ

      もし転職を望むとするなら
      それを忘れること

      そして自分に意識を向けているだけでいい
      現状のことなど
      ただの幻想となる

      そうなってから
      現実の動きに対して大きな感動が起こるようになる

  10. A より:

    私は母親から満たされていないという気持ちを引っ張ってくる
    →気づいた
    母親に対する感情を、自分の恋愛にリンクさせているようだ。おかしな観念を持っている。
    →気づいた

    変える必要はない →無理に母親を好き等変える必要はない??
    気が付くだけでいい →気がついた、母親に対する感情を恋愛にリンクさせている
    それだけで世界は書き換わる →母親と恋愛をリンクさせるのを解除できた?

    意識を内側にして、そういう母親がいた、そういう人がいた

    つまり
    母親を変えるのではなく 
    自分を変えるのだ → ここがどう変えれば良いのか分かりません。
    母親にリンクさせていたのは気づいたのだから、後はのんきに幸せ~な感情を沢山味わうって感じでしょうか??

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      あなたがその疑問ゲームにいる以上
      どんな答えを得ても
      すぐにまた問いへと変容してしまう

      すべての物事から意識の拘束を解放し
      自分に全意識を向けなさい

      道はそれだけなのだよ
      出口は内側にある

    • A より:

      自分さんお返事ありがとうございます。
      お問い合わせのお返事もありがとうございました。

      よくよく読み返してみます。
      固執していますね・・・期待をして諦めてました。その通りでした。
      疑問ゲームもいつも友達に相談してはグルグル回ってます。いつも終わりがありません。
      あがいてもあがかなくても離れないと一緒なんですね。
      そこから離れてみます。

      自分だけを見ていなさい
      自分を楽しませる人生を歩みなさい

      自分を見ていなかったのは私でした。ちゃんと自分だけを見てあげます。
      自分自身との恋愛みたいですね。
      ご質問させて頂いて本当に良かったです。ありがとうございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      いま古い記事にタグをつけたり
      順に修正しているところでね

      手記が多すぎて
      まだまだ追いついていないのだが
      いくつか恋愛のタグを付けているものもある
      既読のものもあるかもしれないが
      参考になると思うので
      チェックしてみてほしい

      恋愛

    • A より:

      重ね重ねありがとうございます。
      何度も読み返してみます。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      まだ修正が全手記の半分も進んでいないから
      度々、恋愛タグをチェックしてみるとよいだろう

  11. より:

    了解です。

    ちょっと話が変わってしまい恐縮なのですが、いつか、自分さんの芸術論を読みたいと思いました。
    覚者は、芸術に関して殆ど興味がないか、むしろ有害みたいに思っている場合が多いですが、自分さんは芸術にも造詣が深そうです。

    私が思うに、芸術は、一般的に人間の「気分」を変えてくれる効果がある
    気分が変わると言う事はその人の宇宙が変わると言うことでもありますね。
    はじめから効用を考えるのはいかがなものかですが、見ただけで、聴いただけで気持ちが上向いたり、落ち着きを取り戻し、自我が希薄になり、周囲と調和すると言ったものを作りたい。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      そう、本人のフィーリングが
      世界のエッセンスとなる
      それ以外にない

      またあらゆる芸術は
      あるがままを象徴したものだ
      逆にいえば
      あるがままを象徴されていないものは
      駄作となる

      人々は敏感だから
      名画はやはり名画なのだよ

      絵画もそうだが
      ウッドベース
      ガムラン
      動物の鳴き声
      土や波

      そうしたものからも
      「私」へアクセスすることが可能となる
      マインドが混じっていないものならば
      どこにでも扉はある

      スピリチュアルにおける
      アートに関する考察は
      また時間のあるときにやってみるよ

  12. eternal snow より:

    アドバイス有り難うございます。

    何かを欲する気持ちがあると
    ついつい、その対象へ意識が向いてしまい、
    どうすれば・・と考え出したり、
    こうなったらどうしよう・・と不安に襲われたり
    たまに良い気分になっても、結局はまた同じで。

    いっそのこと、忘れよう、手放そう、諦めよう
    試みるが簡単にはいかない・・また考えてしまっている。

    こんな調子で悪循環から抜け出せず、
    一体どうしたら良いのか、
    どうすればこの執着を無くせるのか
    その術を捜し求める日々でした。
    何年も・・何年もです。
    「自分に意識を向ける」それが唯一の方法なのですね。

    求めずとも
    世界がそこに揃っていることに気が付くこと

    当然ながら、今は気付けていない状態ですが、
    そのステージに立てた時、自分さんのおっしゃっていること
    本当の意味で理解できるのだろうと思います。
    あれこれ考えるより、
    とにかく「自分へ向ける」を実践していきます。

    有り難うございました。
    また疑問が湧いたら、お邪魔します!

    • -自分- 涅槃 より:

      eternal snowさん

      大事なポイントがある
      それは「そうしよう」としないことだ
      つまり動きのままに任せる

      サーフィンならば
      どれだけ技術が上達しようとも
      あくまで波という前提の上だ

      あなたは大海の上で波に乗らずに
      パドリングだけで進もうとしている

      それは実にハードだ

      あれこれ考えるのはやめて
      波に乗りこみなさい

  13. サボ より:

    自分さん こんばんは

    >今回の波は「いいなあ」という
    ポジティブなものだとしよう

    すいません 確認なのですが、「いいなあ」とは羨望の意味の「いいなあ」ですか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      こんにちは
      >羨望の意味の「いいなあ」ですか?

      違うよ
      羨望とはあなたの解釈だ

      その手記での公案は

      0.何かがハートに起こる
      1.あなたは甘いお菓子だと認識する
      2.おいしそう、と想起する

      あなたのいう羨望とは2の段階だ
      そうではなく手記での「いいなあ」は
      言葉としての表現だけであり
      0の初期的な衝動を意味している

      つまりクリアで何の解釈もない、
      その場に起きたエネルギーのことだ

      我々の生きている現象世界とは
      上記の「1」以降のこと

      あなたが0の段階
      すなわちゼロに在るとき
      自身で巻き付けていた鎖が
      瞬時に溶け落ちる

      最初からそんなものなかったということに
      気がつくようになる

  14. サボ より:

    自分さん いつもありがとうございます

    >あなたが悲観的であれば
    世界はグレーに染まる
    あなたの印象通りの世界が
    そこにあるということだ

    >そして観念をより良いものへ磨くことだ
    心掛けでいくらでも変わる

    記事中にはこのように書かれておりますが、要するに自分の心掛け次第で世界を変えることができるように思えます。
    ところが「いいなあ」が

    >0.何かがハートに起こる
    >そうではなく手記での「いいなあ」は
    言葉としての表現だけであり
    0の初期的な衝動を意味している

    であるならば自分の支配外といいますか、心がけで何とかなるようなものではないように思えますが、いかがでしょうか?

  15. ワタシ より:

    たまに検索でブログを拝見する事がありましたが、
    ありがとうございます。
    今、世界=自分なんだなということが腑に落ちました。
    鈴木太郎や山田花子のように自分と世界を分離してみていましたが、
    全て自分なんですね。
    「愛」しか感じられないとはこの事ですね。
    感謝です。

    • 涅槃の書-自分 より:

      ワタシさん

      この世はどんな小さなこともすべて相対的に成り立っている。つまり差異だけがある。そのトリックに気づけば、何もかもが解け去っていく=あなたは全体でしかなくなるのだ。

      すべての差異の反対側にはただ愛が広がっている。

  16. aslan より:

    フェイスブックとかで、誰かが写真をあげる
    「車を買いました」(興味なし)「家を立てました」(ふ~ん)「彼女が出来ました」(あっそ)「会社を立ち上げました」(ほう)など、様々な心的反応をしているのが分かる。
    「彼女が出来ました」(いいなぁ)とは思わないんだよねw
    むしろそういう現象に反感すら感じている訳だ。
    これが「抵抗」と言うものだろう。
    と言うか、フェイスブックに居るのは友達と言っても「他者」であり、他者と言うことは、「自分」に対して「親和的だが距離がある存在」である。ゆえに、そもそもに「抵抗」がある。抵抗があるから「友達」となる。意外と「友達」と言うのは、自我に対抗してくる存在ともなる。
    「友達が結婚しました」「給料上がりました」となると意外と「焦った」りする訳で、その流れで「自分も」とは案外ならない。
    しかし、そのようなもの(知り合いが結婚する、車を買うなど)が目に付くとしたら、何か同系の流れのようなものが押し寄せているのも事実なのだろう。少なくとも、「彼女が出来ました」「結婚しました」は「いいなぁ」押し寄せてくる流れではなく「あっそ!(軽い反発)」から流れてくる流れである。
    そして現実は「あっそ!」「あっそ!」「あっそ!」「はいはい!」「あーそーですか!!」の連続となる。
    この連鎖はちょっと嫌ですね。

    >つまり、すでにあなたのその現実とは
    >常に願いが叶い続けている状態なのだ
    >その結果の中を生きている

    私自身、椿三十郎のようなイケメンでもないし武士でも全然無いのだが、
    似たような要素、「女を遠ざける」「一匹狼」みたいな部分はあるわけだ。クリスマスに浮かれる世間を尻目に居酒屋で独りで酒を飲んでいるようなタイプ。つまり「そういう美学」な訳で、明らかに「願いが叶い続けている」
    映画で「本当に切れる刀は鞘に入ってるものですよ」(身を固めなさい)と家老の奥方に言われて頭を搔いているが、仕官を奨められても居心地が悪く消え去っている訳である。
    椿三十郎も、人生において「ふん!」「はん!」「へっ!」と言う世間に対する反感の情動が多そうである。「クリスマスだ?・・かーっ、ペッペッ」
    その「世間」も自分が生み出した妄想なのだから、自分に自分で唾を吐いている訳だが。
    しかし、この椿三十郎は自動運動しているので、そういう心理的情動を止めるわけにも行かない。
    「見ている私」と「心理的情動」は別物なのだ。
    祖父も父親もどちらかと言うとそういうタイプなので、私一代の心の動きでも無いと思う。
    手塚治虫の『火の鳥』の猿田彦の如く、縄文時代篇でも現代篇でも未来篇でも同じ事をやってそうである。
    そして、それは「猿田彦自身」にとってもどうにもならない「業」のようなものなのだ。

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