「いま」と友達になる
言葉を捨てて歩いてみる
見えるものや聴こえるものに
名称を付けず
ただ感じたままで歩く
するといつも頭のなかで
見たり聞いたりしていたことがわかる
なぜなら言葉を捨てた時
体全体が目や耳のようになるからだ
暖かい風が吹いているなら
それを「暖かい風」と名付けず
その感触だけを感じておこう
そうやって体が”観ている”とき
思考の余地はない
外の出来事と体の受容とが
まったくの遅れもなく
ゼロ秒の関係が保持される
つまりそれが「いま」だ
「いま」はあなたを
人間の苦しみから解放してくれる
安らいでいて
失われていた気力も湧いてくる
だから「いま」と友達になるといい
いつも一緒にいることだ
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(なぜ自分が感じることができているのか?)そういう意識から~
は、考えている事ではないのですか???
ああ、そういうことか~が解りたいと思ってしまいます。
mmrc7さん
意識は思考ではない。思考を見ているだけでしかない。たとえばあなたがどこかの店で働いている店員さんを見ている。彼は何かを考えながら仕事をしているが、それはあなたの思考ではないだろう。
彼の動きを「パターン」として捉えてみなさい。つまり一連の規則に従って動いているだけだとね。つまり彼は思考してなどいない。パターンに沿っているだけであると。
これは実際あなたの頭の中で起きていることなのだよ。あなたは考えてなどいない。思考という言葉が誤解を生み出す要因なのだけども、私たちのいう「思考」や「考えている」というのは、実際には考えてなどおらず、過去の体験から蓄積された合理的な計算パターンが流れているのを「見ているだけ」でしかない。
よいかな。
見ているだけだ。
お返事ありがとうございます。うれしいです。私自身の仕事は百貨店の店員なんですょ!(なんか驚きでした!)
見ているだけを集中。意識的とは~流されないよう見ているだけ~とのこと。
を、インプット。
mmrc7さん
シンクロニシティだね。ひとつアドバイスを伝えておくよ。良いものだ。
まあ私のことなんだけども、私はいつも「あらゆるもの」に私自身を見ている。いま目の前にソファがあるが、それも「私」だと感じているし、部屋の温度もエアコンの作動音も、すべて「私」であると感じている。
「私だ」という感じ方は各々の観念で異なるから、それがどのようであるかを伝えるのは無意味なのだけども、たとえばあなたが自分をイメージするときに浮かぶもの(というよりも感じるもの)を、そのまま周囲のすべてのなかに見てみることだ。
そこに人がいるなら、その人のなかにそれをみる。足の感覚にそれをみる。テーブルやその上のコップにそれをみる。
そうしてあらゆるものに「私」をみる習慣をつけるといい。これは愛の基本姿勢だ。
愛の効能は無限にあるのだけども、そのひとつとしては直感力がとても高められるようになる。たとえばあなたに返信しようとしたときに、なぜか「店員さん」という言葉が浮かんでくるようにね。
こうしたインスピレーションは日頃の無意識のパターンとは真逆で、有益でパーフェクトなものであり、しかも日々絶妙なタイミングで送られてくる。言ってみれば私はそれに従っているだけなのだ。おかげですべてがうまく流れている。
これは普段あなたにも起きているのだけども、ただそれを高次を経由したものだと気付いていないだけなのだよ。愛に満ちること(ひとつに回帰すること)でそれがわかるようになる。
私も、『おかげですべてがうまくながれている』!
に、一瞬でなく、どっぷり浸かりたい!
(ありがとうございます。)
mmrc7さん
自分のなかで堅く握っているものを「許す」ことだ。ならばあなたを通じて全体が流れるようになる。つまり「ひとつ」となる。
暮らしのなかのすべてに「自分をみる」ことだ。そうしているうちに許すということが自ずと理解できているだろう。