言葉を捨てると「いま」に入る

言葉を捨てて歩いてみる
見たものに名称を付けず
聴こえたものに名称を付けず
ただ感じたままの状態で歩く

「感じること」は全身が察知する
暖かい風も「暖かい風」と名付けず
ただその感触だけを観る

全身が観ているとき
思考の余地はない
それが「いま」だ

どれだけの古い教えだろうが
瞑想もテクニックも
すべて「いま」に溶けるためのもの
だが言葉を捨てたその空間は
言葉で表現ができない
だから指し示す手順だけが残されている

どんな過酷な状況にあろうと
それは過酷という未来、過去を思考している

たったいま、
全身が感じる「何か」に溶けなさい
言葉を捨てて溶け続けるのだ
「いま」と友達になる

そうして「いま」を観ていると
いずれあなたと「いま」が逆転する

つまり
「いま」を感じているのはあなただが
「なぜ自分が感じることができているのか?」
そういう意識から

「自分は体験しているのではなく
すべてが自分そのものだったんだ」

「ああ、そういうことか」と
自然と気が付く

「いま」だけが真実であり
「いま」があなたなのだよ

 

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , ,

コメント・質疑応答

会員記事のコメントは記事上ではログインしないと表示されません。
会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
連続投稿する場合は「自分の最初のコメントに返信」してください。
記事に無関係なコメントは禁止です。良識の範囲内でご利用ください。
業者からのスパム広告を防止するシステムを採用しています。短期間内に連続投稿をするとシステムにスパム登録されてしまい一切の投稿ができなくなりますのでご注意ください。

  1. mmrc7 より:

    (なぜ自分が感じることができているのか?)そういう意識から~
    は、考えている事ではないのですか???
    ああ、そういうことか~が解りたいと思ってしまいます。

    • 涅槃の書-自分 より:

      mmrc7さん

      意識は思考ではない。思考を見ているだけでしかない。たとえばあなたがどこかの店で働いている店員さんを見ている。彼は何かを考えながら仕事をしているが、それはあなたの思考ではないだろう。

      彼の動きを「パターン」として捉えてみなさい。つまり一連の規則に従って動いているだけだとね。つまり彼は思考してなどいない。パターンに沿っているだけであると。

      これは実際あなたの頭の中で起きていることなのだよ。あなたは考えてなどいない。思考という言葉が誤解を生み出す要因なのだけども、私たちのいう「思考」や「考えている」というのは、実際には考えてなどおらず、過去の体験から蓄積された合理的な計算パターンが流れているのを「見ているだけ」でしかない。

      よいかな。

      見ているだけだ。

  2. mmrc7 より:

    お返事ありがとうございます。うれしいです。私自身の仕事は百貨店の店員なんですょ!(なんか驚きでした!)
    見ているだけを集中。意識的とは~流されないよう見ているだけ~とのこと。
    を、インプット。

    • 涅槃の書-自分 より:

      mmrc7さん

      シンクロニシティだね。ひとつアドバイスを伝えておくよ。良いものだ。

      まあ私のことなんだけども、私はいつも「あらゆるもの」に私自身を見ている。いま目の前にソファがあるが、それも「私」だと感じているし、部屋の温度もエアコンの作動音も、すべて「私」であると感じている。

      「私だ」という感じ方は各々の観念で異なるから、それがどのようであるかを伝えるのは無意味なのだけども、たとえばあなたが自分をイメージするときに浮かぶもの(というよりも感じるもの)を、そのまま周囲のすべてのなかに見てみることだ。

      そこに人がいるなら、その人のなかにそれをみる。足の感覚にそれをみる。テーブルやその上のコップにそれをみる。

      そうしてあらゆるものに「私」をみる習慣をつけるといい。これは愛の基本姿勢だ。

      愛の効能は無限にあるのだけども、そのひとつとしては直感力がとても高められるようになる。たとえばあなたに返信しようとしたときに、なぜか「店員さん」という言葉が浮かんでくるようにね。

      こうしたインスピレーションは日頃の無意識のパターンとは真逆で、有益でパーフェクトなものであり、しかも日々絶妙なタイミングで送られてくる。言ってみれば私はそれに従っているだけなのだ。おかげですべてがうまく流れている。

      これは普段あなたにも起きているのだけども、ただそれを高次を経由したものだと気付いていないだけなのだよ。愛に満ちること(ひとつに回帰すること)でそれがわかるようになる。

  3. mmrc7 より:

    私も、『おかげですべてがうまくながれている』!
    に、一瞬でなく、どっぷり浸かりたい!
    (ありがとうございます。)

    • 涅槃の書-自分 より:

      mmrc7さん

      自分のなかで堅く握っているものを「許す」ことだ。ならばあなたを通じて全体が流れるようになる。つまり「ひとつ」となる。

      暮らしのなかのすべてに「自分をみる」ことだ。そうしているうちに許すということが自ずと理解できているだろう。

コメント・質疑応答

  関連記事