「いま」という1コマに表示されている全てがあなた

絶対的な前提とは
日々の出来事の中で
四苦八苦しているのがあなたではなく
あなたを含めた出来事そのものが
あなたであるということだ

つまりあなたはキャラクターじゃなく
ワンシーンそのものなのだ

覚えておきなさい
あなたが誰と会って話そうとも
あなたはその誰かと会って
話をしている人物ではない
その「誰か」「会っていること」
「話していること」「その風景、視界、音」
あなたの思考や感情も含めて
そのシーン自体があなただ

料理に例えれば
材料のすべてがその料理そのものだ
みじん切りのタマネギが
「私はタマネギだから‥」が苦だ
「そうか私はピラフだ」が全体性だ
だがピラフと自覚するとき
「私は〜」が消える
ただ「ピラフがあった」だ
全体性を自覚するとき
その自覚が消える

ワンシーンとはフィルムの1コマ
パラパラ漫画の1ページ
そこに描かれているすべてがあなた

だからあなたが世界を変えたいのなら
1コマの中のあなたが変わったところで
何も変容はない
ただ苦しいだけだ
だから多くの人が苦しんでいる

意識を向けるのはシーンの方
シーンそのものが変わるとき
あなたは知らぬ間に変わっていた

ではシーンが変わるとはどういうことだろう

有名な教えに
「あなたが答えを見つけるのではなく
答えにあなたを見つけさせる」
というものがある
まさにその通りだ

その意識の置き方
ただそれだけであなたは文字通り「導かれる」

フィルムの1コマ、
そのシーンには「いま」しかない
その次のコマがどうなのか
その前のコマがどうなのか
それは描かれていない
連想はただの妄想だ
事実的に描かれているのは「いま」だけ
これがヒントとなる

つまりシーンとは「いま」だ
未来や過去が持ち込まれない
そしてシーン、すなわち出来事自体が
あなたであるから
あなたが数コマ先のことばかり考えていれば
その通りの「いま」が描かれる
だけどもあなたはありもしない数コマ先を見ている

理解しやすいようにフィルムのコマを例に挙げたが
実はそのフィルムは繋がっていない
テープリールに巻かれた連続的なものが
次々と投射されるのではなく
バラバラに切り離されている
つまり「次」などない

永遠にその1コマがあるだけ
シーンが変わるとき
まったく別のコマが置かれる
連続性はない
関連性もない

あなたが嫌いな相手も
シーンが変われば
あなたは嫌いではなくなっている

だからシーンがあなたであるという意識
そこが前提中の前提だ
言い換えれば、それしかない
シーンがあなた
もうそれだけのものだ

そこに置かれたシーンだけだ
次のコマも前のコマもない

シーンがすべてだ
それしかない
だから「いま」を感じ取ることが
シーンが己であることを体感する
最もな方法であり
容易に世界を変容させていくことが
できるのだ

 

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