霊の世界と仏の世界

もし家族や知人があなたを誤解したまま
遠いどこかへ引っ越したり
死んでしまったりして
二度と会えなくなったとしよう

するとあなたは未練を残したまま
この世を生きてくことになる

それは言いかえてみれば
恨みや怨念のようなものだ
わからず屋の相手が許せないわけだからね

しかしどうすれば
この無念を晴らせられるのだろうか

相手はもういないわけで
自ら生み出す亡霊に
この先ずっと取り憑かれていくしかない

 

成仏できずにさまよう霊

今度は逆を考えみようか

あなたが他人を誤解したまま
遠いどこかへ引っ越したり
“死んで”しまったりして
もう二度と会えなくなったとする

思い出すたびに
相手のことが脳裏をかすめるわけで

これもまた無念であり
相手のことがすっきりしないままにある

ケースによれば
相手を許せなかったりもするだろうし
あなたが死んでるなら
その様子はまさに怨霊だといえる

しかしこの怨霊は
いったいどうして成仏できるのだろう?

相手があなたのお墓の前で
納得のいく弁明をしてくれるのを待つだけ?

そうなるとそれまであなたの霊は
この世をゆらゆらさまよって
陰鬱な日々を過ごさなければならないね

そればかりか相手もどこかで死んで
そのまま先に成仏してしまったら
永久に浮かばれないことになる

だがこれは日頃のあなたによく似てないかな

つまり怨霊とやらは
あなたが死ななくても
もうここにいるわけだ

むしろ死んでない(成仏してない)からこそ
この霊の世界をずっとさまよっている様子にある

 

間違いはどこにあったのか?

さてこの2つの例題

つまり「誤解されていること」と
「誤解していること」だけども

こうしてみれば
実はどちらもあなたの問題であることがわかる

相手の問題だと思い込んで
相手に解決してもらうのを待ってるが
そうじゃないだね

つまりあなたが成仏できるのは
あなた自身が自らの誤解を解かねばならないわけだが

これは突き詰めていえば
誤解などは本当は存在しないということでもある

相手の誤解や自分の誤解にみえるのは
あなたの頭のなかの納得があるかどうかだけであり

ここにあるのは
ありのままの世界だけ

ありのままの世界にどうして
“間違い”があるのだろう?

 

本当はなにもなかった

だから相手に誤解されたまま
その人がいなくなってしまったとき

誤解しているのは相手ではなく
己のほうなのだと気づかなければならない

つまり相手が誤解しているという己の誤解
解かなければならないが
しかしそれは理屈を重ねて解くものではないし
「もう会わないのだから」と自らの思いに
蓋をして妥協するものでもない

そんなことをしても
あなたのなかの霊は成仏せず
また夜な夜な墓から飛び出しては
恨みや悲しみの泣き声をはじめる

よってそうではなく

むしろその相手と
もう「二度と会えない」という
不思議な隔たりそのもの

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