時間の中に入る瞑想

仕事中や歩行中などでも
即座に使える手軽な瞑想法となる

「時間の中に入る」と言って
そこに入りなさい

途端に次元が変わる

過ぎていくものに流されなくなり
常に現在進行形の針先に
立っているようになる

つまり「いま」に留まるようになる

すべては時間の支配下にある
ならば時間そのものになれば良いのだよ

風景は非現実となり
あなたは主体そのものになる

 

帰還

世界はあなたの手中に落ちた
もう自由だよ
頭に巻き付いていた鎖が溶け落ちて
自在性が目を覚ましている

好きな人に気持ちを伝えに行く
欲しかった物を手に入れに行く
やりたいことを片っ端からはじめてみる

誰が何を言おうと
社会がどうであろうと
時間の中にいるあなたには
何の影響も与えることはできない
すべてはあなたについてくるだけとなる

王国に戻ってきたね

おめでとう

 

瞑想

「時間の中に入る」と言ってそこに入る

 


Notes, 瞑想 , , , , ,

 

コメント投稿の注意事項

 以下をかならずお読みください。
・公序良俗に反する内容、品性に欠いた文章、その他、閲覧者に不快感を与えると判断された投稿は掲載不可の対象となりますのでご留意ください。コメント欄は常時多くの方が閲覧しておりますことをご理解の上投稿してください。
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名をこちらで申請してください。必須。
・追記などを投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・ハンドル名が変わっても固有idに基づき本人の同一性が保たれます。
・対応の状況によりすべてのコメントに作者が返信できるものではありません。
規定の文字数に満たない短文、英文のみは表示できません。また半角記号(スペースやクエスチョンマークなどの感嘆符)は文字化けなどのエラーになりますので使用しないでください。使われる場合は全角文字でご使用ください。
・他の利用者を勧誘や扇動する行為、誤解を与える表現、卑猥な表現、犯罪行為を正当化するコメントなどは禁止です。また全体の文脈の意図を汲み取らず言葉の端や表現に用いられた構成部分だけを抜き出してその箇所のみへの質疑や意見する投稿も当事者にも他の閲覧者にとっても無益となりますので禁止です。それら意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂いたり、または掲載不可となりますので予めご了承ください。
・同一者の投稿は1日1〜2件程度(例外を除く)に制限させていただいております。連投分は削除させていただきます(コメント欄が同一者で埋まり独占的な利用になってしまうのを防止するためであり日を跨いだ投稿も調整させていただく場合があります)
・個人情報保護法により個人情報や会員情報に関する箇所が含まれている場合は該当箇所を削除させていただきます。
・投稿内容に敏感な方も多くいらっしゃいますので、暴力的な表現など他の利用者様へ影響を与えそうな文面はお控えください。
・意図的であるなしに関わらず、文章が途中で途絶えているものは掲載不可となります。もし誤って送信された場合は早めに追記として再投稿してください。
・マナーを守らない場合は規約違反となります。また他のユーザーや当事業部、作者への中傷や毀損と思われる言動は会員規約に則り強制退会および法的措置となりますのでご注意ください。
・投稿者による有料記事の大部分に渡る引用は禁止しております。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。また短時間の連続投稿はスパム投稿とみなされるため承認されません。時間をおいてください。
・コメントシステムはWordpressを利用しておりますので他でWordpressアカウント(Gravatar)を設定されている場合、アイコン画像がコメント欄に表示されます。会員登録されたメールアドレスで紐づきますので、もしアイコンを表示させたくない場合はお手数ですがこちらより涅槃の書の登録メールアドレスを変更してください。

  1. サボ より:

    自分さん いつもありがとうございます

    >「時間の中に入る」と言ってそこに入る

    「時間の中に入る」これは簡単にいえます。

    「そこに入る」これはどういう意味なのでしょう?
    「そこに入る」とはどうするということなのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      目的地に想いを馳せるのではなく
      出発地を懐かしむのではなく
      現在進行形のいまそこに飛び込むのだよ

      私たちは常に「途中」にいる
      だが「途中」こそが
      はじまりも終わりもない「いま」なのだよ

      いまそこで満たされている水の中を泳ぎなさい

      泳いでいる感覚をつかむことができたら
      できるだけ長い間
      そこに留まれるように頑張ってみることだ

  2. crepper より:

    自分さん

    こんばんは

    ある映画で「この世に安全地帯はない!」と
    言い放ってた男がいて、本当そうだよなぁと
    共感してた時期がありました。
    でも、この手記のように「いま」「フロントライン」に
    立てば自分が消える、自分が消える(マインドが無い)ってことは
    どこでも安全地帯だよな、と少しづつわかるようになってきました。

    言い方変えると、安全地帯なんか無くて、自分が消えるか消えないか
    だけなんだろうなと思ってます。

    • -自分- 涅槃 より:

      creeperさん

      こんばんは
      >言い方変えると、安全地帯なんか無くて、
      >自分が消えるか消えないか
      >だけなんだろうなと思ってます。

      その通り
      あらゆるものは
      自分が作り出している

      遠い場所ばかりを見ようとするから
      恐れや不安、焦りが生まれるのだ
      遠すぎてどうにもできないから
      「どうにもできない」という恐怖が起こる

      そうではなく
      自分の足が捉えているその地面
      そこだけ感じていれば良いのだよ

      それは確実にそこにあり
      そして、どうにかすることができる
      どうにかすることができるから
      不安は生まれない

      それまで嫌だ嫌だと逃げ回っていたが
      現実に向き合った途端、
      人は備わっているパワーを思い出して
      スイスイとやっていくようになる

      時間に入るとは
      リアルに包まれるということ

      体が感じていることは
      絶対的な「いま」であり
      その「いま」が定着すれば
      ずっと時間が止まったままとなる

      あなたが時間となるからだよ
      頭(自分)は叩き落とされる

      文字通り、ぶっ飛ぶのだよ
      クレイジーであるには
      体に任せることだ

      常日頃から体を愛してあげることだよ
      マインドからボディへと
      意識が向きを変えていくだろう

    • crepper より:

      自分さん

      こんばんは

      >常日頃から体を愛してあげることだよ
      >マインドからボディへと

      ほんとそうですね。
      体に意識を向けてると、体内で何かのエネルギーが
      動きまわってるだけで、ただそれだけですね。

      おもしろいことに、例えば指を怪我して、
      その痛み(エネルギー)に意識を集中させると
      痛みが消えることがあります。
      消えるというか、純粋なエネルギーだけが存在してる感じです。
      「痛い」という反応もマインドの幻想なのかなと思いました。

      それから有料の件、私も近々参加しようと思ってます。
      こういう流れは好きです。
      力強いブログですね。

    • -自分- 涅槃 より:

      crepperさん

      >その痛み(エネルギー)に意識を集中させると
      >痛みが消えることがあります。
      >消えるというか、純粋なエネルギーだけが
      >存在してる感じです。

      素晴らしい話をありがとう

      昔、白隠という禅師がいてね
      彼が結核にかかったとき
      ヘソの辺りに意識を向ける呼吸法で
      病を克服したという

      誰もがよく間違うのだが
      医学的な治癒が起きたのではない
      あなたの洞察の通り、
      病気を自分とは少し離れたところに
      於くことで
      その観念が薄まっていく

      すべてはあなたの意識の上に
      顕現されているものだから
      それと同化しない限り
      その指のケガは、
      隣の誰かのケガと同じものとなる

      つまり「すべてを観ている者」には
      なんの関係もないのだ

      >それから有料の件、私も近々参加しようと思ってます。
      >こういう流れは好きです。

      ありがとう
      本書はこれからみんなで作っていく
      何かができるはずだ

  3. ワモノ より:

    これは良い瞑想ですね
    いつでもできますし
    やってみた感想としては自分さんがよくおっしゃっている「不幸を着る」をやったときのような感じがしました

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      瞑想とは
      いかにして「空」を悟るかにある

      達磨や臨済がそうであったように
      言葉の背景にそれを見出すことだ

      いつもそれはそこにあり
      あなたを包み込んでいた

      他者の顔色?
      支払い?
      面倒な用事?

      視野を「空」に戻すことだ
      何もかもが概念であり
      そこに実在しないもの

      あるのは「いま」という無であり
      その針先に立つとき
      あらゆるものを生み出す境地にいる

      大自然がそこにあるのではなく
      大自然を見ている己がいるから
      それは”そこにあることになっている”のだよ

      不幸を着るとき
      不幸は消える

      白の中で黒は際立つが
      黒の中で黒になるとき
      黒は消滅する

      すべてが黒ゆえに
      黒という概念すら消える

      それは黒であり白である
      不幸であり幸福でもある

      すべてを超越するとは
      そういうことなのだよ

      瞑想を通じて
      その背景を探りなさい

      必ず到達できる

  4. サボ より:

    自分さん いつもお返事をいただきありがとうございます。
    何度も自分さんの文章を読み続け、なんとなくですが、記事によってはこういう意味なんだろうなと分かる場合もあります。
    そういう時は実に気持ちがいいですね。
    今回の記事はよくはわかりませんが、そのうちわかるやもしれません。
    これからもよろしくお願いします。

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      あなたは沢山の人に感動を与えるね
      それでいい

      綺麗なものだ

      ありがとう

  5. なつみ より:

    会員ではないのでこちらで質問させて頂きます。
    全ては私の夢の中ということは
    このホームページも私が想像しているということですか。
    テレビ番組や映画も自分が想像、脚本、製作しているのでしょうか。
    昔観て感動した映画も全て。

    夢の中と知ってから何もかもに対して情熱が無くなってしまいました。
    他人がいないと分かり、張り合いもなく自分は一人なんだと悲しい気持ちでいっぱいです。
    また夢の中を現実と思い込んで他人がちゃんと居てがむしゃらに生きていた頃には
    戻れないのでしょうか。

    お返事お待ちしています。
    よろしくお願いします。

    • -自分- 涅槃 より:

      なつみさん

      「自分」が体験しているということを基点として捉えると、あなたはエゴを超えることができなくなる。つまりあなたのような「見解」となる。そうではなく「体験があなた」のだよ。

      例えばあなたがいま日本在住だとして、明日から何らかの事情で日本を離れることになったとしよう。もう二度と日本の地を踏むことはない。これからは異国の地での暮らしとなる。

      では日本の暮らしとは何だったのだろう?楽しいことも嫌なこともあった。だがそれらは日本にいたという前提のもとに起きていたことだ。あなたが日本を離れたとき、細かな出来事は力を失い、「日本」という背景だけがそこにあったことを知る。

      あなた通じて、日本が体験を生み、日本が体験をしていたのだ。あなたが日本を離れたとき、日本は体験をすることができない。

      これをあなたの友人や好きだった映画に置き換えてみなさい。あなたの中でみんながパーティをしていたのだよ。

      あなたはみんなのための空間だった。あなたががむしゃらに生きていた頃、あなたは自己という空間に自分自身を遊ばせていた。だから彼女は満たされていた。何も知らず安心してそこで頑張っていた。笑っていた。

      いまあなたは旅の途中にいる。スピリチュアルを知る直前、現実に嫌気がさし、この世の真実に到達するための地図を手にした。地図にはこれまでの道が正反対だったと描かれている。それを見てあなたはガッカリした。「これが真実なのだ」ともう到着したつもりでいる。だがいいかい、それは地図だ。また到達していない。

      最後のトリックに気が付きなさい。すべてが正反対なのだ。つまりその地図もそうなのだよ。

  6. なつみ より:

    ご丁寧なご返信ありがとうございます。

    今まで自分が他人に対して行った言動、傷つけてしまった後悔、など他人の目をいかに気にして生きてきたか…地図を手にした時にそれは全て自分だけで作り上げたことだったのか、と安堵した反面この世は自分の意識しかないという言葉で表すことのできない孤独感、恐怖に溺れました。

    周りに「すべては自分の一人芝居だ」と泣きついても「そんな訳ない、精神科に行け」と言われ続けました。周り(友人、家族)は何一つ変わっていない、変わったのは自分だけでした。
    最初は自分が本当におかしくなったのだと思い(そう思いたかった)精神科に行きました。
    一緒に行ってくれた義理の姉がその一ヶ月後急死しました。

    全て私の「思い」でそうなってしまったのですね。最後のトリックが分かりません。
    自分しかいないなんて信じたくないですが、この世への違和感を感じ模索を続けこのホームページに出会ったのもわたしがそうさせたのですね。

    昔に植物人間になってずっと変な夢を見ていると思いたいです。両親が居たころの幸せな、何一つ疑問に思うことなく日々幸せを感じていたころからやり直したいです。
    これからどうすればいいのでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      なつみさん

      >全て私の「思い」でそうなってしまったのですね。

      ひとつ理解を広げなさい。いまあなたがその思いにあるから「あなたという人格」はそうなのだよ。客観的視点や物理的視点などの理屈は置いておいて、800年前の禅師、道元が語ったように、時間は現在から過去に流れている。もっと言及すれば、時間は存在しない。

      これはどういうことかといえば、自分自身を世界から切り離していること、つまり思考の世界に生きているから時間があるように感じているだけであり、実際にあなたがいるのは、いまそこだけだ。1秒前など実在しないし、まして1ヶ月前などもありもしなかった。単にいまそれがあったように感じているだけだよ。

      だからいいかい。あなたがいま、過去に対して思い煩うことは、いまのムードにそれが染められるということだ。これが道元の言う時間の真実であり、わかりやすく言うなら「現在に対しての過去」、「現在に対しての未来」しか浮かべることはできないのだよ。絶対的な過去というのはない。

      だからあなたが経験してきたこと、背負ってきたこと、それはすべて「いま」作られている。つまりあなたはいま生まれたばかりなのだ。

      「いま作った過去」をどのように染めるのかは、あなたの自由だ。好きにやればいい。だがそんな過去は実在しない。宗教的な哲学としてこの話が聞こえるだろうが、科学もやっとそれに気付き始めている。なによりも絶対的な真実とは「いま過去を思い出している」に過ぎないということだ。それがすべての答えとなる。

      あなたはいま生きている。いまここで生きているのだ。それを忘れてはならない。

  7. なつみ より:

    ご返信ありがとうございます。
    感謝します。
    また質問させて頂くと思いますがその時はよろしくお願いします。

  8. 色即みっちゃん より:

    溺れる人は藁をも掴む…。

    そして、掴んだ藁と供に水底に沈む…。

    手放すんだ…。

    藁を手放すんだよ…。

    力を抜いてごらん…。

    身体がふわって浮きあがるから…。

コメント・質疑応答

  関連記事

-->