意識の種類
辞書を引いてみれば「意識」にはいくつもの定義がある。便利な言葉であるので文脈によって様々な使い方がされるが、ここでは2つに絞ってみよう。
まず日常会話でよく使われる「意識しすぎている」とか「意識が高い」というタイプのものだ。それらは社会的な態度としての意識となる。これを「Aタイプ」としておこう。
そして「Bタイプ」の意識だが「己の心のうちに起こることへの知覚」となる。これがスピリチュアルや宗教で語られる意識となる。
注意してほしいのは、AもBもどちらも「主観的」であるということ、そしてその主観が向けられている方向が違うということだ。Aは己の外部に向けられているが、Bは己の内面に向けられている。ゆえに同じ主観性でありながらも、その性質は大きく異なるものとなる。
Aタイプの意識は集団心理へとつながる
通常において人はAタイプの意識状態にある。周囲に注意を払い、そうして己の判断をする。たとえば野生のジャングルをさまよっているなかで、いつ危険な獣や虫などに襲われるかわからないとき、「意識を張り巡らせている」ことになるだろう。もちろん社会というジャングルでも同じことだ。他人の目や周囲の状況を伺いながら生きている。
つまりAタイプの意識の発動は即座に思考に転換され、結果的に自己反射の形態を取ることになる。つまり他者は己を映している鏡となる。間違えてはならないのは、鏡には己が映っているのではなく、思考の方が鏡の像に合わせている様子にあるということだ。そこに”映っている像”に自分を合わせるゆえに、どんどん己自身は空虚になっていく。誰もが同じことをしているゆえに一律な社会の様子が完成する。
だからこの意識は主観的とはいえども、それは客観性への希求にすぎない。ゆえに己は社会集団に完全に染められることになる。つまりAタイプの意識は純粋な自己意識にあらず、ただひたすら集団心理に翻弄されることになる。他者の言動が常に心を刺激し、そして何を思考しようとも、それも集団心理に準じたものとなる。つまり蜘蛛の巣に引っかかったように藻がくほど糸は絡みついてくる。
こうして「鏡の像に合わせていく」というプロセスが自動化する。知らぬ間に集団に同調して同じ言動をしているようになる。近年は大多数で個人を攻撃する「炎上」や、一貫したメッセージのない「ただ集まって暴れるだけのデモ運動」なんかが問題になっているが、それはそうした特定の枠だけの特徴ではなく、社会全域がまさしくその様子にある。イエスが処刑前に語ったように「人々は自分がなにをしているのかわかっていない」のである。
言葉の活動
無意識の機械的な流れはこれにあたる。無意識とは思考の動きのことだが、思考は「言葉の活動」に他ならない。そしてなにより重要なのは、こうして無意識によって現れる「自我」とは、決して自己意識などではなく、他者の意識である(つまり自我は言語ネットーワークの住人である)ということにある。
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