オヤジは今日も普通に生きている

「自分」に距離を置く
ただそれだけなんだ

何かをしている自分
何かを考えている自分
まるで他人をみているみたいに
意識を離してみよう

コツとしては
少し後ろから自分を眺めているような
そんな感じが”距離”をつかみやすい

この「距離感」によって
心に巻き込まれなくなる

むしろ心は
右から左へと自動的に受け渡しをしている
単なる交通整理のような機関だったとわかる

そしてまた意識を俯瞰させることで
起きている出来事を心の解釈を介さず
純粋あるがままに察知できるようになる

だがあなたは言うだろう

「他人や物事に常に決断を迫られているのに
そんな悠長なことしてられませんよ」

「今月の支払いはどう考えるんですか?」

だがそういう心を
他人事に見える位置まで離れるのだよ

 

充足に包まれている

もうそれはあなたではなく
実際に「他の人」なのであって
だからその人に勝手にやらせておけばいい
実にうまくやってのけていく

なぜならそれは人ですらないからだ

そこに組み込まれている風景の要素
大きな流れの部分にすぎない

だから「風景ごと変化していく」わけで
任せておけばなんだかんだでやっていく

あなたが「その人」に同化すると
その人は世界の流れから切り離されて
世界を相手に戦わなければならない

だけども同化しなければ
ひとつの風景となる
世界そのものとして循環していく

川は海へ流れ出て蒸発して雲となり
雨を降らせてまた川として海に流れていく
この循環だけがある

実際何もかもが循環している

吸って吐くという一連の呼吸も循環
食べて排泄も循環
一日も循環、一生も循環
入ったものは出て行く
そしてまた入ってくる

エアポンプのようなものだ
ギュッと押せば中の空気が出て行く
手の力を緩めればまた空気が満たされる

まさに不増不減
巨大な充足のなかで
“私たち”は循環し続けている

 

無為自然

だから「眺めているだけ」でいいのだよ

問題解決や苦悩の解消へ
立ち向かっているつもりでいるだけで
本当は何もしていないんだ

「何もしていない」からこそ
解決するのであって
何かをしようとするからこそ
問題や苦悩が生まれ続ける

自分に距離を置きなさい
ならば「出来事の側」に立つことができる

ここにあるのは巨大な一枚の絵のみ
すべてはその絵の通りになっていく

すなわち「己の信念」の最良の状態へと
なるようになっていく

自分の「本当にやるべきこと」は
その眺められたなかでのみ為されるのであり
そうして最初から最後まで
何もしていなかったと悟ることになる

つまりあなたは「全体」であり
そのなかの「個」ではない
だが全体の流れを阻止していたのは
「個」に同一化していからにあるわけだ

このように捉えてみるといい
苦しむ自分と街で目にする他人との
その違いはなんだろうとね

必死に難問をクリアして
生き抜いてきた「自分」がここにいる
人生は過酷なものだったろう

だがね
「あんな無職の人生舐めてるオッサンが
うまくやっていけるはずがない」
というオッサンが
今日も普通に生きているのはなぜなのか?

それはあなたが「己の世界」を
風景として見ているかどうか
ただそれだけなのだ

そこには幸せも不幸せもない
ただ一枚の絵があるだけ

唯一、あなたはあなたそのものを
風景としてみていなかった

ずっと”絵”に反発し続けていた
だから不安定だったんだ

 

 

 

 

 


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  1. ワモノ より:

    >自分に距離を置く
    >ただそれだけなのだ

    これです
    これだけで良かったんですね(笑)

    私が求めて求めて求め続けた世界はずっと目の前に展開していた
    これから良いことが起こる、ではなく今起きていた、ずっとその中にいた
    まだ確信はしていませんが、そんな気がします

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      その「距離」が悟りというものとなる。あなたが距離をつかむとき、それまで自分だと思っていたものは、ただそこにあったものだとわかるようになる。

      あなたは思考でも肉体でもない。それらはそこに置いていあるコップと同じものだ。あなたはすべてを見ている者なのだよ。

  2. タタータ より:

    こんにちは。
    本当にここには色々な記事がありますね。

    安定して観ていられる時とそうでない時があります。
    慢性化した不安、不安感から頻繁に起こる動悸。
    その不安、ものすごく大きな黒雲のようで、観ようとしても負けてしまう。飲み込まれるかのように。「こいつがまた来てしまった」という感じ。
    さっきまで内側で安堵していたと思えば、苦手な感情がやってきて意識を
    連れていかれてしまう。
    他人事として完全に観れたら、そんな世界で早く楽になりたい。

    • 涅槃の書-自分 より:

      タタータさん

      私たちはどこから来て、そして何をするためにここにいるのか、またどこへ去っていくのか。

      この探求のために生きなさい。そのために働き、そのために食べて、そのために交流をすることだ。常にヒントは呈示されている。あとはあなたがそれを正しく受け取れるようになるだけだ。

  3. タタータ より:

    自分さん、おはようございます。
    コメントありがとうございます。
    私は人生でやりたいことは、本当の自分と出逢い
    それとして生きていくことだけです。
    「本当の自分」、今は垣間見るだけだけど。
    一言でも良いから、言葉をかけてくれたらいいのにな、なんて思ってしまいます。
    自分さんの手記で「頭だけ見えない」っていうのがあった。
    本当にもし見えたらどんな感じだろう?って思って、もしも自分に、両目以外に飛び出す目玉がついてる仕様とかで自分の頭が見えたらとか・・・・アホみたいだけど想像したら、「え?」ってなった。
    何て言うか、他人を見てるような?
    なんか、見破れそうな?想像でしかないけども・・。

    • 涅槃の書-自分 より:

      タタータさん

      >私は人生でやりたいことは、本当の自分と出逢いそれとして生きていくことだけです。

      よいことだ。あなたがそこにいるということは、すでに本当の自分と共にいるのだから、あとはそれに気づくだけ、つまり、気づきを妨げている要素を落とすだけだ。

      いま空気に包まれているだろう。音が聞こえてくるだろう。肌寒さがあるだろう。誰かが近くを通ればその振動を感じるだろう。そのすべてが「本当の自分」なのだよ。

      もちろん空気や音のことではない。それらは名付けられたものでしかない。その名付け以前にあるもの、すなわち「感じられるという何か」に包まれていることに気づくことだ。その充満した透明な何かにいつも守られていることを感じること、それに触れていることだ。

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