唯識と脳と現実変更(3)

さて前回まで認知科学と唯識仏教について話してきた。唯識は脳を超えているようにみえるだろう。その通り、阿頼耶識は私たちの一生というスパンに縛られていない。

ゆえに古来から「前世」や「不死」が語られてきたのだ。

ではいま現在のあなたの頭のなかにある「脳」と、その永遠不滅の領野がどのように対応していくのかについて話を進めていこう。

まず右脳は常に宇宙に対して開かれている。阿頼耶識はあなたの肉体を超えた次元にあり、右脳はその次元を絶えず読み取っている様子にある。

よって肉体が滅んでも、また別の肉体が「あなたの阿頼耶識」に対して開かれる。つまり来世は別の肉体として、また「あなた」がはじまるわけだ。

1.

だが別にこれは想像を超えた壮大なロマンというわけでもない。なぜならあなたの体は絶えず入れ替わっているからだ。これを代謝回転(ターンオーバー)というが、半年から一年もあれば全身を構成する数十兆個の細胞の分子はほぼ入れ替わる。

5歳の頃の写真といまの姿は明らかに違うのに、ずっと「自分」という感覚が続いている。

要するに人間的な観点で「一生」というスパンを勝手にみているだけであり、毎瞬間ごとにあなたは「来世」に生まれ変わっているということである。

この代謝回転、すなわち「前滅後生」という仕組みは肉体に限らず阿頼耶識の種子でも同じなので覚えておこう。

ここで話を量子論にもっていきたいが、たぶん大幅に文量をとってしまうので、それはまた別の手記にしよう。だが最低限のことはあとで加えておくよ。

とりあえずは、右脳は常に宇宙に向けて(ここでいう宇宙というのは私たちが直接知ることのできない高次の領域のこと=大いなる流れ、愛、神など)開かれているということだ。

2.

さて高次に開かれているといっても、その広大無辺なシーツのなかで、あくまで「あなた」というシミの部分だけに開かれている。

前回も話したが、その無限なるシーツそのものは善も悪もない、中立の様相にある。そこに何が付着しようがシーツからすればニュートラルな汚れでしかない。

右脳はその「汚れ(種子)」にアクセスをしているわけだ。人間の頭から魂の紐が伸びていると表現するならば、それは阿頼耶識に繋がっている。そしてあなたが現実世界でした行為や、心で思ったことが、その「種子」となってどんどん蓄積(薫習)されていく。

いまあなたを取り巻いている現実世界のすべて(あらゆる他者の存在、いつもの風景、経験する日々の出来事など)は、その種子が現れているのであり、つまり己の過去の行いがいまそこに現れている。言ってみれば、今日の行いが明日の世界を作るというわけだ。

そうして種子は相続され続けてきた。ある出来事は以前の種子によるものであり、それをあなたは経験する。するとその経験が新たな種子となる。これが先の代謝回転と同じく、前滅後生という、物質であれ非物質であれこの宇宙の基本原則となる。

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