シャボン玉の外側

実のところ私たちは
他人によって描き出された流れに
ただ導かれているだけにある

ところがその流れを
自らで作ったものだと誤解し続けて
一生を過ごしていく

好きなものも日々の義務も
物事の考え方も
自分が生み出したものではない

その何かがそこにあったのだ
それを自分なりに意味を与えたにすぎない

言いかえれば
自分で作り出したものといえば
まさにその自らが与えた意味だけとなる

たとえば毎日の出来事もそう
出来事はどこかからやってくる

良いことも悪いこともやってくるが
それが良いか悪いかという意味を
自分は与えることしかできない

そのように捉えてみれば
私たちは二重の世界を生きていることがわかる

つまり「良くも悪くもないもの」に取り囲まれて
それらに良いか悪いかの意味を与えて
己の人生という世界が出現しているが

しかし当の「良くも悪くもないもの」の流れに
人生は常に支配されている

だから自分のみている世界は
さらに外側にある世界の影響を受け続けるが
しかしその外側の世界を恐れる必要はなく

本当に恐れるべきは
外側の世界のあるがままの流れを
独自に意味づけしてしまう己のほうにある

たとえばある事件の報道をみてあなたは思う
「どうしてこの人はそんな罪を犯したのだろう?」とね

それはあなたの目には
その人が別になんでもない世界にいたのだと
わかるからだ

あなたはその世界に意味づけをしていない

だからその人にとっては過酷で壮絶なことも
あなたにしてみれば
「単にこうしたらよかったのでは?」と
単純明快な答えが出てくる

だがここに外側の世界の本質が現れている

たしかにいろんな人やいろんな出来事がある
ひどい人や悲しい出来事がある

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