何もないけど、何でもある

「何でもあるとは何もないことだ」
そんな逆説めいた皮肉があったりするけども

ホームセンターやディスカウントショップなど
何でも買えるというお店には
専門的なものがないみたいなものだね

もちろん専門的な店にいけば
それ以外の分野のものはないけども
しかし目的のものを発見できる確率は高い

これをたとえば
人間の器用貧乏に置き換えてみれば
広く浅くいろんなことを知っているがために

何かに集中しようとすると
無駄に他の知識や可能性が入り込んで
ひとつの物事に徹することができない様子だといえる

苦悩に縛られているときもそうだね

余計なことを考えなければ
ただシンプルに行動するだけなのに
しかしいろんな考えが入り込んできて
身動きができなくなる

それもまた
「何でもできるけども、しかし何もできない」
というわけだ

 

知識の本当のやくわり

かといって
ただひとつの分野のみに閉じこもるのは
象牙の塔の小さな窓から
外界とやりとりしてるようなものであって

偏屈で融通の効かない
まして自らの観念を解放することができない
そんな人生となってしまう

これはホームセンターの真逆で

「これについては何でもできるが
しかしそれ以外は何もできない」

たしかにある専門家として
それがその分野を知り得たい他者に
役立っているなら素晴らしいことだが

しかし自分自身に対してはどうだろう?

その知識に縛られて身動きが取れないなら
器用貧乏となんら変わらない

幸せな人生もこれらの例題と同じく
何でも持ってるからといって
それが豊かな心を生むわけでもないし

またそうした表面的な充実を蔑視して
融通の効かない閉ざされた心にあるのも
幸せな人生には結びつかないだろう

つまり大事なのは

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