“この絵”を愛する

人間がみることもできず
直接触れることもできない

そんな「大いなる流れ」は
ずっと動き続けてる

つまりこの流れを
人間は観念に置き換えて
“夢”をみている

いつも話していることだね

私たちには空があり街があり
他の人たちや動物たちがいる

そんな世界で暮らしてるが
ところがそれらは
見かけにすぎないのであって

本当は「なにもない」んだ

満ちた流れはあるけども
それは人間にとっては「なにもない」と同じ

だけども
お金で買えない喜びを時折感じたり
損得を超えた信頼関係だったり

「なにもない」のに私たちは
そこになにかを得たりする

人間の幻想を超えた
「向こうにあるもの」を感じ取っているんだね

実際お金を払って何かを「楽しもう」とするとき
しかしその得られる
「楽しさそのもの」は無料であり
本当はお金を払う必要などなかったんだ

お金を払って手にした
そのモノやサービスを通じて
つまり人間は幻想を通じて
ようやく”幻想の向こう”を感じられるという
遠回りをしている様子にある

それは人間自体が
そもそも幻想であるからにほかならない

 

凍える体が温かいシャワーに安らぐとき

さて今回の話のポイントは

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