我ここに在り

いつもの散歩道で子猫を見た
一ヶ月後の生存率は1割に満たない

巨大な宇宙の循環に
みんな飲まれていく

何の為に生まれてきたのか
その問いすら許されないまま
人も生物も自然も物も
絶対的な否定の中で
生まれ死ぬことを繰り返している

“それ”はとても大きすぎて
マインド(頭)が理解できるような
代物じゃない
それはただ、そういうものなのだ

森の中で暮らす虫や鳥たちにも
個々のドラマはあるのだろう
だがそれらは森という
ひとつの循環の一部分でしかない

だが彼らが森とひとつになるとき
真実の扉が派手な音を立てて開き出す

恐怖を超え、絶望を超え
「我ここに在り」と
“生”の中に住まうようになる

人生はひとつの旅となり
死は旅を手助けしてくれる友人となる

ゆえに恐怖とは真実と向き合うことを
拒むことにより起こるのだ
“彼”の視線があなたに被害妄想を生み出し
死の中で彷徨い続けることになる
誰もがこのように
生きながらも死んでいる

だから恐怖を超えなければ
現実を変えることはできない
恐怖とは、超えるためにあるのだ

「こうなったらどうしよう」
「それは絶対嫌だ」

真実を知ることがそんなに怖いかね?
私はいくらでも背中を押そう
枝を掴んでるその手を離しなさい

 

存在のパワー

現実と向き合うことができると
存在が持つパワーを備えることができる

数千年にも渡る伝承や
スピリチュアルとは
現実に飛び込む準備をさせるもの
アプローチは幾万もあるが
すべては「己が在る」ための方便だ

あなたの人生とは死という、
不動のものが見ている回想に過ぎない
だからその映像の中に同化しないことが
現実を意のままに生き抜く術となる

決して怯えることなく
恐怖心に支配を許さず
恐れ知らずの態度であり続け
逆境があれば自らそこに向かっていく

そんな大胆な生き方が
あなたにある視点を獲得させる
社会というくだらないゲームの中で
自由に泳ぐことのできる視点だ

周囲の環境や状況を
注意深く観察し、積極的に活動する
物事を感情や思考を通さず、
世の中の悪い部分も
自分の欠点もありのままに受け入れ
自然の流れに自らを柔軟に変化させる

生きるために駆け抜け
生きるために食らう

つまり一匹の虫のようになる

すると循環というパワーに融合された
自由自在性が起こり出す

あなたはもう自由となった

渾身の自著作
「社会で認められ安心に生きるルール本」は
ブックオフ行きとなる

 

我ここに在り

社会や相手を変えるようとするのではなく
「自分はどうありたいの?」
その問いに素直に乗り込むだけなのだ

恐怖を超え、そこに存在するとき
あなたは消える
だが恐怖に怯え続ける限り
決して存在できず
あなたはそこにいるままだ

我ここに在り、とは
エゴの存在証明のことじゃない
デカルトのそれではない
大きなうねり(循環)が
そこに流れているということだよ

時間の中に生きるのではなく
あなたが時計の針になりなさい
それが”永遠”だ

 

さて
現実に飛び込む準備はできたかね?

 

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コメント・質疑応答

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  1. たかたかし より:

    準備などできはしない 一般人には・・
    多くの大衆は支配者にいれられた恐怖や不安に惑わされ逃げ惑うのみ
    だれも恐怖と相対する勇気など持ち合わせてはいない

    • -自分- 涅槃 より:

      たかたかしさん

      あなたがそうならばそうなのだ
      つまりあなたは
      自分の世界を選ぶことができる

      勇気を捨てるならば
      それもひとつの選択だし
      立ち向かうならそれも選択だ

      だがひとつ伝えておくよ

      あなたはその問題事に関わってはいるが
      向き合ってはいない

      向き合わない限り
      永久にあなたに付きまとうことになる

      あなたを悩ますのものが人ならば
      先入観を捨て、
      感情を一切通さずに
      その人の動きだけを捉えなさい
      何も怖くはないことがわかる
      生命の循環がそこにあるだけだ

      向き合わない限り
      あなたは自分で恐怖を作り続けるだろう
      だがひとたび本当の姿を見たとき
      一切のネガティブは消失する

    • たかたかし より:

      自分が支配者になるべきなのか?自分がされて吐き気がするほど気持ち悪かった事を今度は他人にしてやるのが正しいのか?
      それとも支配者とは縁を切り神に仕えるのが正しいのか?

    • -自分- 涅槃 より:

      たかたかしさん

      なぜあなたがその相手に
      怒りがあるのかといえば
      あなたの中に同じものがあるからだ

      誰もが経験することだよ
      そして人は
      相手の中に自分を見ていたことに気付く
      そこに反応していただけなのだと
      わかるようになる

      あなたも自分自身を
      相手に投影している

      つまり他者に罪はない

      他者とはあなたのことであり
      あなたが関わるすべてに対し
      あなたに責任があるということだ

      他者や世間を
      良くも悪くもするのもあなた

      恨み辛みを放てば
      永久にあなたはその中に包まれる

      心の中に生きていることに
      気が付きなさい

      だから自打球をやめることだよ
      心に闇が広がるほど
      妄想は膨らんでいくだけ

      もう相手がどうとかの
      事実を超えているだろう?

      内側に意識を向ければ
      暗い部屋で照明を灯したように
      闇は瞬時に消える

      次へ進みなさい

    • 真弓 より:

      苦しみのなかで生きてるの😆😆😆

    • -自分- 涅槃 より:

      真弓さん

      そう、あなたが苦しみそのものとなるとき、苦は消滅する。苦から逃れようとするほどそれは大きくなる。

  2. cube より:

    今、大事な人を失ってしまうのではないかと言う恐怖に怯えています。
    胸が痛くて涙が出ます。
    何かあればすぐに疑い。
    それがもう真実だと思い込み嫉妬して。
    もう辛くて精神的に参ってきています。
    超えることが出来ないでいます。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      あなたが真実だと
      思い込んで見ているのは
      あなたが作り出した幻想だよ

      それはどうやっても打ち勝つことはできない
      つまり、あなたの希望の通りに
      することはできない

      だから距離を置いて待つだけでいい
      何もしなくていい

      意識に浮かべるだけ
      あなたは傷を負うだろう
      だがそれは何の解決にもならない

      だから自分のことをやりなさい
      あなたはその人の所有物ではない

      その人があなたの世界の一部なのだ

      あなたが正しくあれば
      その世界は正しく軌道を戻していく

      だから待っていなさい
      思い煩ってはならない

      自分のために
      自分のことだけをやりなさい

      超えようとしてはならない
      それは超えるものではない

      距離を置いて
      自分のことだけやりなさい

    • cube より:

      お返事有難うございます。
      また涙が出てきました。

      安心したくて、相手に答えを求めて、一時的に安心するもまた元通り。
      そんな状態が続いていました。

      私を大事にしてくれていると感じるのだけど、でも…この状況は…
      などと思考は常にそのことばかりで。

      距離を置くというのは、こういった思考とでしょうか。
      それとも相手とも距離を置いた方がいいのでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      意識を向けない、ということだよ
      できるかね?

      物理的な距離を置く方が
      意識を引っ張られないのならば
      そうするべきだろう

      まず自分の”弱さ”を深く認めなさい
      それを踏まえた上で
      意識を自分に向けるのだよ

      後は勝手に、成るようになっていく

      自分のことだけをやりなさい
      それだけを忘れなければ大丈夫だ

    • cube より:

      その人自体に意識を向けないのか、自分の嫉妬心等に意識を向けないのか、はたまたその両方なのかわかってないです。
      申し訳ありません…

      今の状況だと物理的に距離を置くのは難しいです。
      どうしても顔を見てしまう状況なので。

      おっしゃる通り、自分の事に専念します。
      自分の弱さも見つめてみます。
      有難うございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      相手さんに意識を向けるから
      あなたの中で嫉妬心が湧き起こるのだよ

      一緒に暮らしているのなら
      それはひとつの修行となる

      ケースは違えど
      みな同じだよ

      自分に意識を向けなさい

      そして自分の欠点や
      他人の悪い部分、汚い部分を
      全部、受け入れて認めることだ
      それらは変える必要もなく
      最初からそういうものなのだよ

      あなたが解放されるポイントは3つ

      ・意識を相手に向けず、自分に向けること

      ・弱さや悪など目を逸らしがちなものを
      受け入れて認めること

      ・自分のことだけをやること
      相手さんの食事の用意も
      “自分のため”にやりなさい

      あなたが正しく物事を見据えられるようになれば
      世界は正しく形を変えていく

      だから相手さんのことは世界に任せておきなさい

    • cube より:

      やっとわかりました、すみません…

      もうこんな状態からは抜け出したいので徹底的にやろうと思います。
      自分の為にやります。

      何度も申し訳ありませんでした。
      本当に有難うございます。

    • 真弓 より:

      私もそう😅でも人は、自分のものじゃないとわからないとずっと苦しみつずけるわ❗求めるのをやめるとき自分が見えてくる🎵

    • -自分- 涅槃 より:

      真弓さん

      求めるということは、そこから何かを分断させることを意味する。そうではなく結合させることだ。つまりあなたが一切から手を引く時、そしてあなたが備えたものをすべて落とすとき、「すべてがあなた」となる。

  3. M子 より:

    私がハッピーだから当然の現象として現実がハッピーになることと、
    動物や虫たちのように、物事が起こるままに任せる中で生きていることは違うように感じます。
    いつも2つの違いを感じます。
    事象は変わらないが、自分がどう感じるかでその事象のとらえ方が変わるという、自分の意識の変化と、
    とらえ方を変えるという自分を変えるということではなく、起こることに任せてその物事が連れていくままにまかせる
    という2つがあるようにずっと感じているのですが、どちらも同じですか。

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      >いつも2つの違いを感じます。

      あなたの解釈をそのまま返すならば
      もちろん2者は違う

      その話では
      それらは単なるアプローチであり
      月をさす指でしかない

      つまりあなたは要点を逃している

      まず、ハッピーや退屈を”感じる”のは人間だけだ
      そうした感情はそこにあるものではなく
      心が作り出すものであり
      良くも悪くも
      人間が幻想の世界にいるという証明となる

      もしあなたがネガティブに包まれているならば
      生物的な本能を呼び覚ますこと
      つまり心像世界をリセットすることで
      ネガティブを抹消できる
      これは能動的な行為となる
      意識の向きを外側から内側に変えるということだ

      だがあなたがハッピーであるならば
      それはどういうことだろう?

      ハッピーとはマインドが消滅し
      自らを世界に委ねた時に起こる
      つまり自分で作り出したつもりでいるものが
      実際は「作り出そうとしていない」ときに
      それは起こるのだよ

      いまそこでハッピーになってみなさい
      瞬時にエゴは失われるはずだ

      だからハッピーは能動的な作用ではないのだよ
      ただそこに在ることが
      人間的な解釈としてのハッピーとなる

      牛も虫も植物も知性(本能)のままに存在する
      つまり彼らは
      人間がずっと追い求めていた至福の中に
      すでに生きているのだ

      木は自分が木がであることすら知らない
      だがあなたは自分が自分であることを知っている

      >私がハッピーだから当然の現象として
      >現実がハッピーになることと、
      >動物や虫たちのように、物事が起こるままに任せる中で
      >生きていることは違うように感じます。

      あなたにとってハッピーとはなんだろう?
      「自分に都合の良い何か」が起こることかね?

      あなたがいう意識の変化とは
      外側から内側に向かうときのことだ
      変化はそのどちらかしかない
      ポジティブかネガティブかは単なるマインドの解釈であり
      対象には何の力もない

      意識を内側に向ける、それは
      生というエネルギーに満ちるということだ

      世界に何の意味付けも与えず、

      「ただ、己が生きている」
      「いま、ここに存在している」

      そういう様子のことだよ
      それが偽りのないハッピーというものだ

      すべての疑念は
      「こうなりたい」というエゴのもとに起こる
      意識を内側に向けなさい

      何も目指す必要もないし
      何にもなる必要もない

      マインドにエサを与えないとき
      あなたはハッピーそのものになる

      思考を超えなさい

  4. より:

    自分さん。少し気になったのですが、マハラジなどに代表されるスピリチュアル導師がよく言う「私は在る」に関して、意訳であり、原語のニュアンスとはかなり違うと言う意見がネット上で散見されるのですが、瞑想修業として「私は在る」を求めるのは正しいのでしょうか。
    ちなみにマハラジの英語版書籍のタイトルは、『I am that』ですね。直訳すると、私はあれである。
    本質は、私は全てであり、私しかいないと言うことに意識を向ければ、言葉の形は二義的なものでしょうか。
    マハラジによると、私はあるを実感したら、さらに進めて、私はあるを捨てなければ究極ではないと言う事になってますね。

    もうひとつ。自分さんはたまに、熟考しなさいと言われますが、熟考するとマインドの罠にどっぷりつかまるようなネガティブなイメージがあります。
    マインドでマインドの罠を打破する事は可能でしょうか

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      「私は在る」よりは
      「私はどこだ?」の方が
      日本の様式には合うかもしれない

      ところで、あなたも真理を求めるあまり
      多くの疑念を抱えてしまっているね
      いくらでも謎は起こる
      あなたが意識を向ければそれはカタチとなる
      その問いに答えは見つからない
      なぜなら、あなたが問いとして作ったからだ
      すべては妥協的な解釈で閉じる

      だがね、
      全部あなたという体験上のものなのだよ

      マインドもネガティブも悟りも
      全部同じものだ

      死ねばわかるといえばそうだが
      そういうわけにもいかないだろう

      普段から意識的に生きなさい
      積極的であり
      実際的であり
      ひとつでも多くのことを経験して過ごしなさい

      あなたがしてはならないミスは
      同じことを繰り返すことだ

      歯磨きひとつも
      前回と同じ磨き方をしてはならない

      それを肝に銘じなさい
      あなたの問いはすべて解放される

  5. 青空市場 より:

    あなたは何もしなくていい…。ただ身体の動くまま…。
    よく見る常套句ですが、歯を磨くとか車の運転をするとかなら確かにその通りですよね。習慣に裏打ちされた行動ですし。でも、「この支払いは今すべきか後にまわすか…」「あの返事はどう返せばいいか?」的な事は考えないと無理でしょう?ただ観ている立場でも自分として参加せざるを得ない状況ってあると思うんだけど…。この辺のジレンマはどうすればすっきりするかな?

    • -自分- 涅槃 より:

      青空市場さん

      >歯を磨くとか車の運転をするとかなら
      確かにその通りですよね。習慣に裏打ちされた行動ですし。

      そうじゃないよ
      あなたは要点を逃している

      それらは無意識によるものだ
      私は無意識という自動モードを
      解除することを提唱している

      そうした無意識の中で過ごしている限り
      あなたはまったく生きていない
      死んでいるも同然となる
      ゆえに多くの苦悩や不安に悩まされる
      人生は巨大な何かの支配下に置かれ
      気がつけば人生の終盤だった、となる

      だから「自己の存在性」を根付かせることで
      夢遊病のような無意識の枠を抜け出だせる

      そして次に、

      何もしない、とは
      無為自然、つまり
      解釈などの固執したマインドに囚われず
      ありのままを受け取り、
      それに「対応」することだ

      >「この支払いは今すべきか後にまわすか…」
      >「あの返事はどう返せばいいか?」
      >考えないと無理でしょう?

      あなたは”考えているのは自分”だと
      思い込んでいるからストレスが溜まっていく

      一度実験してみなさい

      「何も考えない」と”意識をしている状態”で
      それら支払いや返事に対応してみるのだ

      すると”自分は勝手に考えている”ことが判明する

      だからあなたの質問は幻想の中でのものだ
      幻想を超えなさい

      生は、驚くぐらいもっと気楽なものだよ

  6. 普通さん より:

    今日はこの記事ですか…?

    準備なんて出来ません。またおそらく自我が
    嫌、準備まだ。ちょっと待ってと言っても。
    真我しだい…。

    • -自分- 涅槃 より:

      普通さん

      準備というのは、あなたがそのようにコメントしようとして、浮かんできた言葉を無視するということだ。人生の流れを阻止しているのは外的に蓄積されたデータであることを見破りなさい。無差別な上書きが続くことでコンフリクトする。ゆえにあなたは固まるのだよ。リフレッシュすることだ。

コメント・質疑応答

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