死への準備をしておく

最近は断食を
ファスティングと呼んだりするね

英読みしただけで意味は同じだけども
日本でファスティングと呼ぶときは
健康や美容の目的
つまりダイエットやエイジングケアを
示していることが多い

腸内や代謝の機能を正常に回復させて
体をリセットする効果がある
よく眠れるようになり
精神面での安定も取り戻すことができる

もちろん持病を悪化させたり
栄養不足から起こる様々な危険もあるので
慎重にやらなければならないが

だが断食がそもそも宗教的な行為であることを
そのリセット効果と重ね合わせたとき
その本当の意味がみえてくるんだ

それはなにかといえば
死への準備だということにある

 

偽りの生に気づくための手段

たとえば似たものとして「断捨離」は
この意味での断食と同じなんだけども

不要なものを捨てて
物理的に身軽になることがその目的ではなく
いかに己が因果に囚われて生きていたかに
気づくための”心の修行”
にある

ミニマリストはこの真の意図を
見失ってはならない
いつの間にかモノを減らすことに
“執着”していたりするからね

だから断食もまた
単に体が空っぽになるだけでなく
どっぷりと観念の世界に浸かり込んでた己に
気づくことになるわけで

それは逆にいえば
抱え込んでる観念を手放せないからこそ
あらゆることに恐れていたのだと知るんだ

恐れとはなにかを失うことや
積み上げてきたものが崩壊すること

人との別れもそうだし
そして無自覚ながら
刻々と迫っていると感じている
己自身のリミットもそう

そうした恐れゆえに自己保身の執着が生じ
損得に支配された恨み辛みの世界
生きてることになる

ところがその”生”は
本当に生きてるとはいえないわけで
断捨離や断食とは「本来のあり方」から
いかに己がかけ離れていたかを
気づかせてくれるプロセスにあるというわけだ

 

不増不減

では断食や断捨離によってみえてくる
本当の生とはなんだろう

まずその観点においてはじめて
腸内活動や代謝の回復といった”体そのもの”に
生命の神秘を感じ取ることができるのであって

つまり”体”は
宇宙の大きな流れのなかに現れているという
事実を深く実感することになる

水も空気も太陽の光も
すべてが親しい友達であり家族であり
大きな何かにいつも包まれていたことを知る

まったく孤独ではなかったんだ

まわりを見渡してみよう
青い空に流れる雲も
風にゆれる樹木も鳥や虫たちも

みんながひとつの流れとして
一緒に光のなかを歩いている

それは体だけでなく心の世界も同様であり
こうして宇宙の流れとひとつにある様子が
己の観念世界としてそれが現れているのだと
たびたび気づいているようになる

たしかに人生には
出会いがあり別れがある
獲得があり喪失がある

だがそれらは
何かが増えて何かが減ったのではないんだ

永遠の流れが
あなたを”通過”しているだけであり
流れ出ていったものは
それと同じだけ流れ入ってくる

たとえば困ってるからと言われて
家族や友人にお金を貸したはいいけども
一向に返してくれないとしよう

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