この世は幻想

芸能人のゴシップニュースや
もちろんコロナもそうだけども
朝のワイドショーは話題に困らない様子で
コメンテーターがそれらについて議論しあう

あなたもそうだね

なにかの物事について
誰かと言いあうことがあるだろう

漫画でもテレビドラマでも
働いてる会社の社長のことや
最近なら政治家のことでもそうだが

当然自分の意見と
相手の意見が食い違うときがある

そんなときあなたは説得するかのように
自分の意見を押し付けていないかな

わたしのほうが正しいのに
どうしてわかってくれないの?とね

いいかい

ワイドショーは特にそれが顕著だが
つまり話してる対象を通じて
みんな自分がどういう人間であるかを
語っているだけなんだ

ある芸能人のニュースが取り上げられてるなら
それはその芸能人が何者であるのかを
明らかにしているのではなく
その芸能人を題材にして
彼らは自分が何者であるのかを語ってる

つまりこういうことだ

30センチの定規を手に
いろんなものを測ってみるといい

その”定規”はあなたになにを伝えているのか

たとえばそれは測った林檎が
12センチだということではなく
己が12センチだといってるのであって
定規のほうが林檎によって測られているんだ

だからネットでもなんでも
他者について辛辣に語る人たちがいたり
相手を罵ったりなどで
攻撃してる人がいるだろうけども

そうして相手のことを矮小に語るとき
それは己自身の小ささを語っているのであって

その人の語るそれがたとえ正論にみえたとしても
「言ってることはわかるけど
なんだかすっきりしないなあ」と
いまいちな感じがするのはそういうことなんだ

たとえばいまは政治家同士の争いは
いかに感情的な支持を集めるかが
主流となっているが
まさにその典型にあるといえる

どこか胡散臭さを感じさせるが
しかしその政治家の発言のなかには
その原因がみえてこない

つまり発言の内容ではなく
彼らが攻撃しているのは
実は彼ら自身が映った鏡だということに
気づいておかなければならない

そうでなければ
いまいち腑に落ちない感覚を
「この人は正しいのだから」と
理屈を重ねてねじ伏せることになるが

しかしそれはあなたの人生そのものが
理由のわからない不快さで
上塗りされ続けることでもあるからだ

同様にネットにしろ社内にしても
誰かの意見に賛同する自体は
別に悪いことではないけども

ただしそれは
その誰かと自分が「同じサイズ」として
対象の物事に”測られてる”のだと理解しておこう

それをわかったうえで
“自分の主張”を持つことだ

ならばその主張自体に
閉じ込められることはなくなる

 

この世は幻想

さてそうして気づきを深めていくとき
この世がいかに実体を持たないものであるのかが
よくわかるようになる

つまり林檎は存在せず
林檎の”12センチ”だけがある

己のみつめた林檎がそこにあるだけで
本当の林檎がどういうものなのかを
決して知ることはできない

言いかえれば
本当の林檎なんていう実体はないんだ

林檎を知る”己だけ”がここにあり
つまり手にしたときのずっしりした重さや
かじった歯応えやその甘い風味こそが
己自身だったのだとわかる

いつも話していることだけども
これまでの人生を振り返ってみれば
それがよくみえてくる

他の何かと関わってきたつもりが
どこを覗き込んでも
あなた”しか”いなかったからだ

よって他人の意見に同調するときは注意しよう

辛辣な意見を述べてるその他人の”姿”こそが
まさにあなただったのであり
そこに気づかないかぎり
同じ現実がループし続けることになる

鏡をみていることに気づかない他人のその姿は
鏡に映っているあなた自身だったんだ

ゆえに”このこと”に気づいたとき
あなたは関わっていく対象を

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