やる気がでないとき
やらなければならないのに
意欲が出ないときがあるね
仕事、家事、約束事、
他のことなら気が向くのに
それに向き合うと
その途端に消耗してしまう
そんなときは
無理にそれに取り掛かっても
時間を無駄にするだけであり
可能ならば
そこから離れるのがベストだといえる
詳しくはあとで話すけども
つまりそのことを一切忘れるんだ
進むべき方向とはあえて反対側に進むこと
それが”扉”を開くことになる
本当の苦しみ
もちろん職場や家族のことなど
己の都合で後回しにできない場合は
また別のアプローチが有効となるけども
今回の話はたとえば
自宅勤務のように時間配分は自由だけども
捗らないことに張り付いてしまったら
時間もエネルギーも
どんどん失う結果になるということだ
こうした
“自由ゆえ”に不自由にはまる状況は多い
たとえば求職中がそうだろう
働き先が見つかるに越したことはないが
もしかしたら
他にもいい案件があるかもしれないし
まだいまのところ
失業保険でゆっくりできないこともない
だがその”自由”こそが足枷であって
「このまま見つかなければどうしよう」という
刻々と迫る不安を常に抱えているゆえ
結局は心穏やかに過ごせず
そしてまた「探す意欲も湧いてこない」という
ダブルバインドにはまる
実はこれこそが
人生の本当の苦しみなんだ
なぜなら“自由”ではないからにある
本当にほしいもの
その意味ではむしろ職場や家庭内など
嫌でもやるしかない状況で
反発する心を無口にさせるほうが
当然実りある時間を過ごしてるわけで
そのときは辛くても
その意義があったことは
あとでちゃんとわかる
ところがいつか差し迫る終焉に怯えながらも
歩き始める意欲も湧いてこないという日々は
それを耐えたところで報われない
なぜ報われないのかといえば
このように問うてみるといい
「己は何に期待していているのか」とね
ところがその期待しているものは妄想であり
この世には実在しないものなんだ
なんでもそう
理想の職場
理想の彼氏
理想の暮らし
そして理想的な仕事や家事の成果
そうして理想像として期待してるものは
本当に姿としてあるものなのかな?
そうではなく
それがどんな姿であれ
あなたが深く納得して満足できれば
“それこそ”が理想の実現なのではないかな
出来事それ自体は変化しない
ここに「意欲」の正体がある
つまりそれは
見かけの姿の”向こう“にあるんだ
だから何をやるべきか
何をどのように為すべきかは関係がない
むしろその心囚われた表面を払拭したときに
“意欲”は見えてくる
そもそもどうして
「意欲に満ちる」のかといえば
それは目先の個別の出来事や存在を超えて満ちる
巨大なエネルギーの潮流を見出すからにほかならない
この大きな流れを源にして
“あなたという意識空間”に
すべての個物はその姿を持って現れている
それは言いかえれば
そうして見かけ上の物事を消し去るとき
それはあなた自らの姿を消し去ったのであり
満ちているものとひとつになれたからこそ
意欲的になれたんだ
そしてここが重要だが
この無形の流れから
形あるものは生まれるわけで
出来事の進展や解決というのは
古い姿が”消え去った”ことで
新しい姿がそこに創造されたということにある
出来事それ自体が変化したのではない
そしてこれはまた
姿はなんでもいいのだったら
たとえば恋人は誰でもいいのかという話でもない
そうではなく”逆”なんだ
あなたの恋する気持ちや愛する気持ちが
いま目の前のその人を
そのように創り出しているんだよ
意欲の力を湧き立てる
だからこれまでの現実の捉え方を”逆転“すること
冒頭でも話したように
進むべき方向とはあえて反対側に進むこと
つまり何かをしなければならないのに
気力が湧いてこないならば
Notes ゼロ, マインド, ワンネス, 価値, 充実感, 宇宙, 幸福, 技法, 楽しむ, 自由
関連記事
- PREV
- 生まれてきたことの真の理由
- NEXT
- 「あえてしない」を選ぶ