「あえてしない」を選ぶ

生きてる限り苦悩がある
それは言いかえてみれば
創造と苦は同じ1枚のコインの表裏だということだ

だからといって
新しいなにかをすることを恐れたり
億劫になったりするのは
人生の意義を失うことになる

とはいえ苦しいのはごめんだろう

つまり大事なのは創造(人生を開拓したり
他者とディスカッションするなど)を
やめることではなく

その創造と同じだけの抱えることになる苦を
どこまでなら許容できるかを見極めることにある

その意味で「できるけどもあえてしない」
という選択は有効なんだ

なぜならそれは”創造”を
恐れや虚しさによって放棄したのではなく
むしろ創造性を失わない肯定的な選択であり
無限のエネルギーから外れずに
満ちたままでいられるからにある

ところが最近の人々は
「あえてしない」ができなくなっている

“しない”ができない

仕事や人間関係や
そして自分の生き方にしてもそうだが
本来シンプルだったはずのところに
どんどんやることを追加してしまい
それがいつまでも解消せぬまま
ずっと苦しみ続けている様子にある

たとえばちょっと部屋を片付けるはずが
いつのまにか大掛かりなDIYに発展して
収拾がつかなくなってしまったようなものだ

時間や精神を吸い取られるがために
他のことが疎かになり
かといって途中でやめるわけにもいかず
はやく完成して終わらせたい気持ちばかりが募る

ところがやればやるほど
あれもこれもとやるべきことがさらに増えていく

著名人の議論なんかも
自らの発言に抑えが効かなくなり
深みはまっている様子がよくみられる

そうなると背負う苦しみも増えていく

当人にすれば”その苦”をどうかしたいゆえ
創造をさらに続けるわけだがまさに傷口に塩
悪循環に陥り続ける

つまり「あえてしない」という
第三の選択を忘れているのであって
身の丈を超えてしまっているんだ

ひとりでいても安らぎはなく
疲れ果てた毎日が続くことになる

今世紀になりインターネットが台頭してきて
自己表現の場が生まれたはいいが
「個性的でなければならない」という
思い込みが人々に浸透するようになった

これは”時代の病”であり
テレビのニュース、政策や都市計画
さらにはスーパーの売り出し広告に至るまで
あらゆるところに
その”観念的”な感染パンデミックが染み渡っている

それゆえスマホを持っていない高齢者たちでさえも
いつの間にかそうした
集合的な無意識に自我が上書きされ
自ら気づかないうちに思考や発言
そして感情の傾向までもが変化している

当然そうした人々のなかにいれば
その価値観が当たり前のことになる

以前ならためらうような言葉使いも
いまじゃ普通の言語になってるわけで
それは単に表現に留まらず
感情や思考、なにより”物事の認識”に
直接作用を及ぼすことになる

同時になにをするにしても
他者にどう思われるかが前提に敷かれていたり
また自分の生まれてきた意味について
現代人はあまりに深刻になりすぎている様子にある

だがそうして深刻になるほど
“この世の意味”はつかめないんだ

たしかに時代を遡るほど
人々の暮らしはシンプルになっていく

だけども生きる喜びや
笑いあったり励ましあったり
手を取り合って暮らしていくことそのものは
何も変わっていない

だから現代の複雑さに騙されないようにしよう

わかるかい
“困難”を乗り越える必要などないんだ

そんなときは

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