聖なる絵

園児たちが
自分と手を繋いだパパとママの絵を描いたりする

青い空に太陽がさんさんと輝き
緑の大地に一軒の家がある
犬もいるかもしれない

その幸福な絵は園児にとっての
「完全な」理想像として描かれている

もちろん描き方は様々だけども
私たちにはこうした「完全性」への理念が
生まれもって魂に刻み付けられているわけで

つまりその”絵”こそが
私たちが心の根底において
人生の目標としているものなんだ

たとえば理想の暮らしや夢の実現
物の所有や恋愛の成就などを通じて
幼少に刻まれたその「完全」を
目指していることになる

あなたは高級品を所有できたならば
不完全だった何かが
すっきり満たされるように思えるかもしれない

誰かの素敵な表情や仕草が
不完全な心の穴を埋めてくれるものに
感じるかもしれない

だからそれらを求めてやまない

それゆえにお金や地位や健康にしろ
なにかを失うことは完全への可能性が閉ざされ
闇のなかへ放り出されたような恐怖として映る

裏切られたら傷ついて
恋人がどこかへ離れるなど認めたくない

そうして引き裂かれる思いをするのは
まさに深層に描かれていた絵が
びりびりと破れたように感じるからなんだ

そんな痛みの経験を重ねるたびに
警戒心が定着して素直さを忘れて
絵の完成を自ら遠ざけるようになる

するとなんのために生きてるのか
わからなくなくなり
退屈や虚しさに自滅しそうになったり

色恋やギャンブルやアルコールなど
安易に「完成」に近づけそうな誘惑に
まんまと溺れてしまったりもする

もちろんそれらは一過的な幻想だから
余計に絵から遠ざかってしまったことを
あとで絶望するはめになる

だから気づかなければならないのは

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