自分の意思とは関係なく体は勝手に動いている

瞑想が深まるとき
このような光景を知る

「自分の体が勝手に動いている」

クッキーを食べるとき
これまで自分で手を伸ばし指で掴み
口に運んで噛み砕き味わっていた
と、していた

だが事実は違う

あなたがゴミを漁っているカラスを
目にするのと
あなたがクッキーを食べていることは
同じなのだ

つまり
あなたが自分だと思い込んでいるそれは
一匹の獣だったのだよ

獣が勝手に動いている様を
あなたは自分がそうしていると
思い込んでいたのだ

前回までの手記の通り
思考はあなたではなかったが
肉体もあなたではなかった

指よ動けと念じても動かない
だが指が動くとき、
あなたはただそれを見ているだけのだよ

呼吸に意識を向けると
なお理解が早いだろう

「全部勝手に動いている」とね

そして本当のあなたの正体を知るのだ
その獣に憑依しているだけだった
獣を通じて世界を見ているだけだったのだとね

ゴミを漁るカラスを
コントロールできるかい?
だから「ただ起こるがまま」に
人生を委ねるだけでいいのだよ
目先の状況に囚われて
心を乱してはならない

その獣は咲き誇る花々の如く
あるがままに満たされていくために
生まれてきたのだ

あなたは「あなたという世界」を知るために
獣を通じて見ている
その獣すらも世界の一部なのだよ

だからまずはその獣を愛してあげなさい
食べ物でできたその体を労ってあげなさい
そうして共に世界を幸福へ導きなさい

 

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コメント・質疑応答

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  1. capy より:

    最近も、二度ほどまさにベストなタイミングで世界が動き、
    『神に救われた』と感じるような出来事がありました。
    後になって、『あぁ、このためにか』なんて思うような、
    いろんなタイミングが重なったものでした。
    ひとつは数年“問題”だと思っていたもの。
    しかし何もせず、爆発しそうなその寸前でいつも救われてきました。
    『あぁ、もういいや…終わりかもな』とか毎回のように諦めてはいるのですが、
    救われてしまいます。正直破滅を期待している心もあるかもしれません。
    いつまでこの爆弾を抱えているのか、と。
    しかしまた救われてしまいました。
    郵便の遅れだったり、口実など、あらゆるものが重なって、でも後にならないと気づかないものでした。

    そしてもう一つ、
    家にひとりで、食べ物もほとんど尽きる頃、
    なぜかいつもちょうどその時に家族から連絡が入り、食料をたくさんもらったり、
    実家から迎えが来たりしました。
    今回は、お金も手元にはほぼ全くなく、投資用の資金は現在引き出せない状態で、
    『しんだかも笑』となぜかその状況が楽しくなってきたところ、まさにその数分後
    元々あった家族の出かける予定が急遽なくなったと連絡が入り、迎えに来てもらいました。
    そしてとても食事がおいしく、豊かさを実感しています。

    こんな話だと、単純に自分が不甲斐ないだけのものなのですが、
    他に欲しいものなどを想起した時に、
    いつも世界側が動いてきていたので、本当に『自分は無力だ』と感じていました。
    自分が勝手に動いている??
    でも怠けているようにばかり感じられました。
    しかし、最近気づきました。
    やはり自分も世界の一部であり、まさに『自分も勝手に動いている』
    それも恐ろしいほど完璧なまでに…。
    特に凄まじいと思ったのは、
    問題が発生した時、自分が勝手に解決した時のことなのですが。
    その解決時には、その原因にはまったく気づいていなく
    後になって、気づくことになったことです…。
    全て知っていたのか自分よ…。

    今お金を回すのに、海外のソフトを使っているのですが、
    まずそのソフトを入手するためのお金は勝手にやってきていました(貰っただけの話ですが…)。
    そして、そのソフトを手に入れるための手段や関連する知識は、
    普段ならありえないことなのに、なぜかその時自分が勝手にある外国人に話しかけて
    紹介状を貰って入手しました…。
    なぜそうしようと思ったのか…いや、思うまでもなく動いていたとはこれだと思います。
    しかし、ソフトがちゃんと使えなくて、海外の会社に連絡しても連絡してもまったく解決せず、
    途方に暮れていました。
    去年の夏の話なのですが、『まぁ、いっか』と諦め、夏なので友達と遊んだり楽しんでいました。
    そして、ふとここでも“なぜか急に”PCのアカウントを新しくしようと思い立ちました。
    それで全て解決しました。
    海外のソフトは以前のアカウントだと日本語名でして、日本語の名前のアカウントのフォルダを
    読み込んでくれなかったみたいなのです。
    新しくつくったアカウントはアルファベットだったので読み込まれました。
    もちろんそんなことまったく考えてすらいなかったので、
    ソフトがなぜか使えるようになってる!!と喜んで、その後で原因に気づくことになりました。
    後になって気づいたというより、後になってその原因がつくられたって感じなんでしょうね。
    なんていうか自分にも全体性を伴った意思のようなものを感じました。
    原因をさぐってどうこうせずとも勝手に動いていく、そこにはちゃんと自分も含まれているんだ
    なと感じられました。

    まあよくよく考えるといろんなタイミングでやっぱりありとあらゆる動きの中に“自分の動き”は絡んでいたとは思えてきました。
    今日の朝PCが起動しなくなったのですが、
    気づくとまた自分が直していて、それで去年の話を思い出し、ついコメントに書き込んでしまいました。
    だいぶ前にマーフィーの法則とかマスターの教えというのをネットで読んでいたので
    『願いを叶える』ようなことはぼちぼちやってきたのですが、
    去年の出来事のように、
    『進もうとせず進んだ』り、『解決しようとせずに解決された』
    というのは、特に最善とか感謝とか信頼とか神秘を感じる出来事でした。
    流れるように生きていいのかなっていう、それらです。

    合掌

コメント・質疑応答

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