感謝は自分にするものである

あなたが誰かに感謝をするとき
「ありがとう」「うれしいです」
「よかったです」などを言う

これをよく考えてみなさい
「ありがとう」は有難いだし
その他のどれもが
「自分の心の状態」を現している

つまり自分に向けて「うれしい」や
「よかった」と言っているのだ

つまり感謝とは自分を
あるがままに表現するということとなる
他者は全く関係がない
あくまであなただけの
自分に対する表現である

だが人は感謝を相手に向けようとする
だから混乱が始まる

「なんと言っていいか‥」
「ちゃんと伝わってるのだろうか」
「変に勘違いされないだろうか」

そもそもの「自分の心の状態」から
かけ離れていく

相手を気分良くさせるものではない

自分の心に発生した状態を
自ら感じることが、感謝だ

よいかな?
感謝は自分に言いなさい

 

エゴが邪魔をする

さてここでエゴの話をしよう

ある出来事があり体験が起こる
そうしてゼロになる
これはいつも書いている通りだ

何でもいい
「目の前を車が走る。それを見た」

つまり
車が視界に入るということで完結だ

感謝も同じ
「心に発生する。」
これでひとつのゼロだ

ここにエゴはない
ただ起こる出来事を、
ただあるがままに消化しているからだ

だが先述したように
「ちゃんと伝わってるだろうか」など
本来の流れから外れた展開はエゴとなる

エゴが生まれると苦しい

多くの人は苦しさの中に常にあるから
どれがエゴかがわからない

ゼロに意識を置いた暮らしを送っていると
他者と会話をして「自分の意見」を
伝えただけで苦しさが見えるようになる

この「自分の」というベースがエゴだ
ただ起こる出来事を、
あるがままに消化するとき
どこにあなたが入り込む余地がある?
それを無理に入ろうとするから苦しいのだ

肉体的にあなたに起こる出来事も同じ
指は勝手に動き
血液は勝手に循環している
それすら「あなたの入り込む余地」はない
その入り込もうする者がエゴだ

心に起こるがままに起こった感情を
その通り受け入れれば
エゴは眠っている

人は感謝を述べる
述べたいのだ
生命全体が”嬉しい”のだよ

ゼロに意識を置いた暮らしは
簡単にエゴを見破ることができる
そこから始めなさい

有名な禅問答がある
ある武士が悟りを求めて修行していた
だが彼はいつまでたっても「それ」を
悟ることができていなかった
そうしたある日、
市場で歩いていると
肉屋と客の会話が聞こえてきた
客は店主に訪ねる
「この店で一番上等の肉はどれだい?」
店主は言った
「うちの肉はどれも一番ですよ」
この会話を聞いて
武士は悟りを開いたという

エゴが消えたとき、
すべてがあるがままに
そこに在ったことを知る

起こるがまま、
あるがままに生きなさい
大海に漂う水のように在りなさい
あなたが大海そのものだったことに
気が付くだろ

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コメント・質疑応答

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  1. より:

    世界が思い通りにならないと思っていた。違った。思い通りにならなかったのは自分の心だった。世界はいつでも自分の心を正直に映す鏡だった。恐怖や不安に支配された時、世界はそれを俺に返した。自分が愛に満ちていた時、世界は俺に愛を返した。あなたの顔も名前も知らない。でも、本当にありがとう。俺にも気付くことが出来た。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>Rさん
      その通り

      あなたが変われば世界は変わる

      だが多くの人は現実を変えるように努力する
      それは確かに努力だ
      しかし何も変わらない
      だから人々は絶望する

      そうじゃなく
      自分が変わるのだよ

      お馴染みの見慣れた光景がある
      そこに溶けてみなさい
      なんでそれがそこにあるのか

      そもそもなぜ自分はそれを
      「お馴染み」や「見慣れた」としているのか

      マインドを超えるとき
      あなたはすべてが素晴らしいものだと悟るだろう

      私も本書もあなたが作ったのだ
      それを忘れないようにしなさい

      こちらこそありがとう

  2. 困ったさん より:

    こんばんは。

    とてもいい話ありがとう。
    ですが我慢するのも変わらないかと想い思い切って話しますが、ケチをつけたいわけじゃありません。苦しくてたまらないからです。

    心はどう変えられるのでしょう。
    母との長い葛藤の末、自分が変わらないと人生は変わらないと思えば無駄な抵抗をしてきました。見た目の印象の努力やダイエット、勉強、資格のため。全ては母に気に入られるため。
    「おまえが嫌い」「死んでもしかたない」と心無い言葉を言われるたび何糞やら、思いを見つめなおして善いように見ようとしたり散々、心を変えようと頑張ってきました。

    だけど母に無条件に喜んでもらおうとマッサージをしたり手伝いをしてもいつも不満しか言われませんでした。
    これが出来てない、せっかくしてくれるのならここまでしてほしい。要求ばかりとお金の事ばかり。

    厭世的になり全てが嫌いで憎いような時、病気で入院しました。そこの婦長さんが人格者で話しを聞いて貰ううちに勝手に涙があふれ勝手ににこやかになれました。

    皆、外側からです。真っ暗闇の中でもそういう出会いがあったり、素直な気持ちでも母はそのように受け取ってくれない。だから自分の心のありようが
    そのまま投影というのは全部、信じられないのです。こちらが穏やかに言うと大抵の人は穏やかに返してくれるので他人に対してはある程度通じます。
    ですが身内は変わらないし変えられない。それはおろか邪魔さえしてくる時があります。母親なのに誰よりも。

    どちらかというとここ数年、母親の態度には年齢も年齢だし、諦めの極致でしたが心穏やかに自分がいれば母親のヒステリーも聞かずにすむのでしょうか。間違いなく苦労して育ててくれた事に対しての感謝はあります。反面、諦めたとはいえ、心の奥底には赦せない憎悪も残っています。

    心を変えるのに疲れたのですが何とか心を変えようとせず憎悪したままでいいということでしょうか。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      私は長年、ある人を支えてきた
      その人は女性で
      まさにあなたと同じ境遇の人だった

      直接的な関係性はないのだが
      あることが切っ掛けで
      私は彼女をサポートすることになった

      彼女はずっと母親を憎んでいた
      私はその憎しみの理由がまるでわからなかった
      なぜならばその母は娘思いの良い人だったからだ
      私にはそう見えていた
      だが彼女にとっては不幸を与えてくる存在だ
      あなたを同じことを言っていたよ

      そうしている内にその母親が死んだ
      母親が死ぬまでの一ヶ月間
      その娘が面倒を見た
      便塗れのオムツを替えることもできず
      正直なところ見殺しに近い状態だった
      母親は何も言わずに死んだ

      母親がいなくなったその後
      彼女は罪悪感に悩まされるようになる
      そうして体の異常が発覚する
      診察してもらったときにはすでに末期だった

      彼女はこの世にはもういない
      一体何を見ていたのだろう
      母親の何を見ていたのだろう

      私が見る限り良い親だった
      だが彼女の「作り上げたイメージ」は
      生きていようが死んでいようが
      そこにいようがいまいが
      彼女の負だったのだ

      彼女は自分の母のことだけを考えただけの
      人生だった
      それ以外に意識を向けることはなかった
      この無限の豊かさの中で
      彼女は自ら作り上げた母親像に囚われて
      その人生を終えた
      確かにそうなる切っ掛けはあったのだろう
      だが尾を引かせていたのは
      他ならぬ本人の意思だ

      すべて彼女が作っていた
      そこに母親の真の姿はなかったのだよ

      罪悪感
      確かにそうだ

      彼女なりに努力はしていた
      だが一体何の努力なのだろう
      気難しい母親への対処?
      母親に気に入られるため?
      いくらでも理由が出てくるだろうが
      すべてあなたが作り上げているものだ

      憎悪とは何かね?
      何のためにそれが起こるのだろう

      あなたの人生に理不尽を起こす人ならば
      それはそういうものなのだ
      あなたが自分というものを誇示する限り
      彼女は敵となる

      ひとつだけ伝えておくよ

      どんな家庭にも問題はあるものだ
      だがそれを重要視しなければ
      「あってないようなもの」なのだ

      あなたにはまだ伝わらないかもしれないが
      あなたのようにそれだけに目を向ければ
      誰もがあなたのようになる
      つまり「あなただけではない」ということ

      あなたにとって羨ましい家庭環境の人とは
      あなたのように
      それだけを見ていないだけのことなのだよ
      すべてはあなたの意識を向けたものだけが
      人生を支配する
      その瞬間を牛耳ってしまう

      あなたがお金儲けに没頭する
      恋愛に没頭する
      そのとき
      家族との関係がいまよりも薄くなる

      その程度のものだ
      つまりあなたがどこに意識を向けているかなのだよ
      これはどんな方法論も
      どんな導きも役に立たない
      本書の言葉も役に立たない
      でもあなたは何かにすがろうとする
      だが無駄だ

      あなただけが解決の扉を開くことが出来るのだ

      お母さんのヒステリー
      もしお母さんではなく
      1mm程度の小さな生物のヒステリーならば
      あなたは同じように受け取るのだろうか?
      何らかの違いがあるのならば
      そこで気が付きなさい

      すべて自分が作り上げているものだとね

      あなたの見ているものは
      全部あなたの中で起こっていることなのだと

  3. 困ったさん より:

    真摯にコメント下さってありがとうございます。

    まだ感情が複雑に入り乱れて、誠意あるお返事ができませんが。
    自分さんが大切に思われてた方とだぶらせてしまいお辛い気持ちにさせてしまったかなと思っております。

    何度も読み返させていただきます。
    このような場所を開放して下さった
    自分さんには有難うございますという
    言葉しかありません。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      よろしい
      またいつでもおいで
      私はここにいる

  4. ムトウ より:

    本日、世界にダイブしました。やっと。ニューワールド楽しみです。ちなみに今朝もカラスがカーカーと何匹もやって来ましたが、どうやら応援か起こしに来てくれたようです。

    • -自分- 涅槃 より:

      ムトウさん

      よろしい。カラスもあなたの世界を盛り立てるキャストなのだ。それに気付くことが新しい世界の幕開けとなる。

  5. wing より:

    自分さん。こんにちは

    3月18日。ムトウさんと同じ日に世界にダイブしました。公務員を辞めてから、全てうまくいかずに3年程自宅に引きこもっていました。私の世界でもカラスはキャストです。灰色の部屋から外を眺めるといつもカラスが鳴いていました。

    当時の困ったさんの環境はいつもとなりにいてくれる妻の育った環境そのものです。愛しいな。

    瞑想での不思議な体験。シンクロニシティなども良くおこりましたが本当の意味でそれがなんなのかわからなかった。しかし新たな職場の職員さんたちに己を観ました。
    理解、解釈を超えたものです。信じられないほどの安心感に包まれています。本当に一切のネガティブが焼き尽くされました。私は私の中を生きていた。

    真の意味で伝えます。自分さん、導いてくれてありがとう。

    • wing より:

      厳密にいえばこの肉体もあなたですね。あれ、私もいないし、あなたしかいない。ん?ああ、そういうことか。。私の視点からも『あなたはあなたの中で生きているになりました』。私は生まれてもいない。

      とにかくありがとうございました。

    • 匿名 より:

      ここまできてさらに紆余曲折しましたが、どうやら立ち位置そのものが迷いの元のようでした。マインドもボディも世界も観照意識も全て幻想のようです。

      人生とは幻想がつかさどる流れそのもののようです。ゆえに私も流れ。『なるようになる。』しかないのだと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      wingさん

      こんにちは。管理者側のコメントシステムがトラブルでね、かなり遅い返信となってしまった。どうにか調整が終わったところだ。

      この世界は科学としても哲学としても、宗教でも「表現」できる。量子力学やら空観やらどんな「言い方」もできる。だがどれだけ崇高な教えであろうと、どんな世紀の大発見であろうと、所詮は「それ」に新しい呼び方を与えただけに過ぎない。

      この見解はあなたの人生にも言えることだ。素敵な人と関わったこと、美味しいものを食べたこと、不思議な体験のすべて、または苦悩や乗り越えるべきこと、失敗に挫折、希望に栄光。それらすべても「それ」を別の見方で捉えているに過ぎないのだよ。

      つまり名前はどうでもいい。それが何であろうとなんだっていいのだ。ただあなたがそれに触れることだ。それはあなたを遠くに運んでくれる。流れに乗ることとは、何もゆったりしたものに限るものではない。時としてあなたを凄まじいパワーで扉の向こうへ連れ去ってくれる。

      まだあなたは疑いがあるだろう。信じなさい。あなたが信じるから「あなた」は支えてくれるのだよ。クレイジーな夜を楽しむことだ。

  6. komatta より:

    美しいお話です。

    私は泥臭い人で。今は不思議と現実の狭間にいるような感覚だから…。
    「痛み」さえなければ人も動物も分離意識は生まれないのではないでしょうか。

    昔、動物実験反対に募金してたことあって、少しだけ動物の生態に知識増やすことがあって。ただ感情的に反対するというよりは3Rの徹底と法整備の署名に応援。
    愛護団体とかは入ってない。絶滅危惧種の保護で月、500円寄付やら、コスモ石油カードからガスなどいれると、そのお金が
    環境保全に廻るから、どうせ作るならコスモカードとやってるのはその程度。
    「Replacement(代替)」「Reduction(削減)」「Refinement(改善)」
    この概念。実験動物の苦痛を出来るだけ減らす。

    闇雲に殺すなではなく、生きてるうちはせめて快適に…。

    もう今は見てないけど10年くらい前は関心もってました。
    痛みさえなければ、捕食される動物も逃げもせず、抵抗もせず大いなる循環にすらっと入っていけるのではないかと…。

    そういえば、大型肉食獣に捕食される動物は、それほど痛みは強くないが銃で撃たれた時は大層に痛がると。

    痛みさえなければ、生き延びようと我もはらないだろうし幻想を素直に感じやすくなるのではと…。

    • -自分- 涅槃 より:

      komattaさん

      いいかい、「痛み」は観るものだよ。どこかにぶつけたときでもいいから、その「痛み」とやらをよく観察してみることだ。「痛み」というゲシュタルトの崩壊がはじまるだろう。これは重さも寒さもどれも同じだよ。

      あなたがそういった肉体的感覚を眺めるようになるとき、単一的だった視野が拡大していく様子を体験するだろう。痛みを感じていた場所から遠く離れたところにいるようになる。そこがあなたの本当の場所なのだ。

コメント・質疑応答

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